冬の章・22 告白
「……山田さん」
寒そうに身を震わせながらベンチに座っていたのは、必死に探し回っていた山田ひなただった。
見つかってよかったという安堵もあるが、彼女にどんな言葉を掛けたらいいのか躊躇する気持ちの方が勝ってしまう。
ひなたは突然立ち上がり、勢いよく頭を下げた。
「……失礼、します」
立ち去ろうとする彼女の姿に、再び迷いが生じる。が、即座に我に返り、彼女を引き留めようと腕を伸ばす。
「待ってくれ」
「あっ……」
掴んだのは彼女のバッグだった。肩か腕かと短い間に迷った挙げ句の行動だったが、この選択は間違っていたようだ。するりと彼女の肩からすべり落ちて、バッグを奪い取る形になってしまう。
一瞬彼女は驚いた顔になるが、次の瞬間、脱兎のごとく走り出した。
このままでいいのか? 駄目だ。この機会を失ったら、彼女が確実に離れていってしまう予感がする。
今度は躊躇しない。腕を掴んで引き寄せる。勢い余って胸に倒れ込んで来たひなたの身体を、無意識のうちに抱き締めた。
自分の行動に驚愕しつつも、彼女を離すことはできない。
なのに、この期に及んでまだ迷っているなんて。
この気持ちを告げてもいいのだろうかと思う。わかっている、告げない方がリスクが低いことなど。
だが、そうしなければ彼女の手は二度と取れない。そのリスクの方が、自分にとっては遥かに高い。
そして、もうひとつ決心がつかない理由がある。腕の中にいる彼女が、まるで拒絶するかのように身体を強張ったままだということ。
人の気持ちは移ろいやすい。さっき「好きだ」と言われたものの、その気持ちはまだ彼女の中にあるのだろうか。考えただけで、堪らなく怖くなる。
でも。
「頼むから……待って欲しい」
「せん、せい?」
誉の懇願に応えるひなたの声は、どうしても戸惑いを隠せない。しかし、そこの声に拒絶する気配がないことを確認すると、彼女を閉じ込めていた腕の力をほんの少しだけ緩める。
ゆっくりと彼女が身を引くと、互いの顔を合わせるだけの隙間が生まれる。彼女の頬に涙の跡を見つけ、そっと指で拭った。
--冷たい。
涙に濡れた頬は、氷のように冷たかった。冷たい頬を温めるように、そっと手のひらで包み込む。
「少しだけでいい。話す時間を、くれないないだろうか」
「あ、あの……」
一瞬だけ目が合ったが、すぐに視線を外されてしまう。こちらを見て欲しかったが、無理強いはいけない。
ふと、次第に冷たかった頬がほんのり温かくなっていることに気づく。頬に触れていた手をそっと放すと、ようやく彼女がこちらを見てくれた。
「……わかりました」
「ありがとう」
あからさまに安堵した顔になってしまったせいだろうか。せっかく彼女が目を合わせてくれたのに、すぐさま反らされてしまった。
めげてはいけないと、自らを叱咤し奮い立たせる。
「先ほどは悪かった。申し訳ない」
「い、え……わたしも。先生のご迷惑も考えず……あんなことを。ごめんなさい」
「……じゃない」
「え?」
彼女の耳に届かなかったようだ。自分の頬が赤らんでいくのがわかる。しかし、言わなければ。きっと後悔する。
「迷惑なんかじゃない……ありがとう」
彼女は呆けたように誉を見つめると、くしゃりと表情を歪める。
「そんな。お礼なんて」
彼女の両の目から涙が溢れる。恥じ入るように目を伏せると、震えるのを堪えながら声を振り絞る。
「迷惑じゃないって。そう言って貰えるだけで、もう十分…………」
小さな嗚咽が漏れる。だか、それを堪えるように唇を引き結ぶと、振り絞るように言葉を紡ぐ。
「十分だと、思ったんです。でも、わたし……」
途切れ途切れだか、彼女は告げることをやめようとしない。
「やっぱり、それだけじゃ嫌で」
涙が滲む目で、真っ直ぐに誉を見つめる。
「……あの、どうしたら、わたし」
一瞬、迷うように瞳が揺れる。だが意を決したように、眼差しを強くする。
「先生に…………女の人として、見て貰えますか?」
彼女の問いに、思わず息を呑む。胸が、心臓が、息をするのすら苦しい。年長者らしい気の利いた言葉など思い浮かぶはずもなく、でもさっきのように何も言わなかったら誤解される。
今はただ、心に浮かんだ気の利かない言葉しか言えそうにない。
「もう、とっくに見ている」
彼女の嗚咽が止まる。こちらを見ようと視線を上げようとするから、彼女の頭を自分の肩口に押し付けた。暗いからわからないかもしれないが、赤面した顔など見られたくなかった。
ずっと、ひとりの女性として、君を見ていた。
彼女の髪に頬を埋め囁いた。柄にも無い台詞ではあるが、まぎれもない本当の気持ちであった。
やっとここまでたどり着きました。




