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冬の章・18  小さな勇気が必要だ2

「……山田さん」

「はい。何でしょう?」


 無垢な笑顔を目の当たりにして、途端に決心が鈍る。

 彼女は自分を数居る教員のひとりとして認識しているに過ぎない。一応自分の元で仕事をしている上、ほど良い信頼関係を築けているはずだ。

 その信頼を裏切っていいのか?

 一応は信頼しているはずの教員が、自分に邪な感情を抱いているとは夢にも思っていないだろう。

 ……いや、まて。

 弱気になる己に叱咤する。

 だから、これは単なる手土産だ。温泉まんじゅうだと言っているだろうが。温泉まんじゅうを渡すのに、一体何のためらいがある?

 そう、これは食えはしないが温泉まんじゅうなのだ。心配するな。渡してしまえ。


 一瞬のうちに己の内にある相反する感情……つまりは天使と悪魔のようなものが、ああだこうだと言い合った結果、やはりこれは単なる手土産で、温泉まんじゅうに値するものだと結論付ける。


「あの、どうされました?」

「ああ……渡したいものがあってね」

「もしかして、やりそこねたお仕事ですか?」


 彼女の生真面目な答えに苦笑する。


「違うよ」


 握り締めていた手を広げ、案の定皺の寄ってしまった小さな贈り物……お土産を差し出した。


「これは?」


 よくぞ聞いてくれた。誉は用意していた言葉をゆっくりと吐き出す。


「お守りのお礼を兼ねたお土産だ。まあつまらないものだが、よかったら貰ってやってくれないか」

「え、そんな! お守りと言っても手作りですし、全然大したものじゃないので」

「こちらも大したものじゃないよ。温泉まんじゅう程度のものだ」

「でも、お礼なんて……あの、でも、ありがとうございます。嬉しいです」


 彼女にとっては予想外だったようだ。狼狽えつつも、嬉しいと受け取ってくれた。もうそれだけで満足だなんて……重症だ。

 一方、お土産を受け取った彼女は、予想外の重みを感じたようだ。不思議そうに目を瞬く。


「おまんじゅう、ですよね?」

「……訂正する。的なものだ」


 やはり菓子にすればよかったと後悔する。食えない置物にするべきではなかった。


「開けてみても、いいですか?」 

「……どうぞ」


 できれば家に帰ってから開けて欲しかった。

 勿論、相手(ひなた)が好みそうなものを選んだつもりだ。マスコットをバッグにぶら下げたりはしていないが、彼女が使用している文具がファンシーなものだったから、恐らくその系統のものなら喜んで貰えるかと思ったわけだ。


 幸いクリスマスマーケットには、愛らしい小物がこれでもかと言わんばかりに揃っていた。しかしクリスマスは過ぎてしまうから、敢えていかにもクリスマス的なものは避けたわけだが……。


「わあ……」


 視線をあらぬ方向に向けていたので、彼女がどんな表情なのかはわからない。しかし、耳に届いたその声は恐らく喜んで貰えたと思えるものだった。


「先生が選んでくれたのですか?」


 キラキラとした目を向けられ、なんだか恥ずかしい。ずり落ちてもいない眼鏡を押し上げながら「まあそんなところだ」と、よくわからない返しをしてしまう。


「可愛い……きれい」


 手のひらに乗せた小さなスノードームを見つめて、ふわりと目を細める。

 赤い帽子を被った雪だるまの周りを、雪の結晶と銀色の粒が照明の光を受け輝きながら小さなドームの中を舞う。

 彼女はスノードームを手の中に包み込むと、嬉しさを噛み締めるように、そっと目を伏せた。


「ありがとうございます……大事にします」

「いや……こちらこそ。気に入って貰えたと受け取っていいのかな」

「もちろんです!」


 いつになく力強い返答に、嬉しさと彼女の愛らしと、プレッシャーから解き放たれた相乗効果だろう。表情が緩むのを自覚する。


「……先生」

「うん?」


 一体どうしたと言うのだろう。彼女の顔がみるみる真っ赤に染まってしまった。そして、見てはいけないものを見てしまったかのように口許を押さえて目を伏せてしまう。


「その表情(かお)は反則です……」


 その表情(かお)とは、どんな表情(かお)だ!

 慌てて眉間に手をやるが、大丈夫だ。深い皺なんて刻まれていない。

 ということは緩みきっただらしない顔をしていたことか……!

 穴があったら入りたい。しかしここには穴などないし、見苦しい顔を晒した事実は覆せない。

 このような時、何と言えばいいのだろう。見苦しいものを見せてしまって申し訳ない、か?


「ははは……」


 駄目だ。乾いた笑いしかできない。仕方がない、今の会話は流してしまおう。そうしよう。そして自分に出来ることと言ったら、二度と緩んだ顔をしないよう油断しないことだ。


「山田さん、そろそろ小原くんたちから連絡が」

「好きです」

「うん? ああ、スノードームか。そんなに好きだったのか、それはよかっ」

「先生のことが好きです」


 声が出なかった。言葉を失うとは、まさに今の状況である。

 ひなたは真っ赤な顔のまま、今にも泣きそう潤んだ瞳で真っ直ぐに誉を見つめる。


「わたし、先生なことが……大好きなんです」


 胸元でスノードームを握り締めた彼女の白い手が、微かに震えているのを茫然と見つめた。







 

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