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冬の章・16 仕事納め

章の番号を振り間違えていました。

今回で、冬の章は16話目です。

 時計はすでに八時を回っていた。

 ささやかな忘年会もお開きにしようとしている時だった。

 ドアをノックする音に、誰もが振り返る。


「失礼しまーす」


 誰かと思ったら篠原だった。一応文学部の事務職員なのだからまだ大学に残っていても不思議はないのだが。


「悪いが、もうお開きだ」

「いやだなあ、僕はまだ仕事中なんですから、お酒なんて飲みませんよ」


 暗に職場で飲むなと言われている気がする。ビールを紙コップで一杯といえども、飲んでいることには違いない。


「山田さん、今年最後のお仕事。頼まれてくれるかな?」

「え、あ、はい!」


 仕事と言われて、ひなたはすっくと立ち上がった。


「あと先生も。出張書類は?」

「もう提出したぞ」

「足りないのがあるから取りに来てください」

「……わかった」


 おかしいな。提出した時は何も言われなかったのに。それにテンプレートなら教職員用サイトからダウンロードできるはずた。わざわざ事務室に取りに行く必要などないばずだ。

 しかし「来てください」と言われたからには確認も含めて一応従うしかないだろう。


「悪いがちょっと行ってくる」

「鍵閉めどうしますか?」

「すぐに」


 戻ってくる、と言おうとしたが篠原によって遮られる。


「ちょっと時間掛かるから、研究室出ちゃった方がいいかな」

「でも、まだ片付けが残っていますよ」


 綿谷智美が戸惑うようにテーブルがわりとなったデスクに目を向ける。

 飲みかけの紙コップや、食べ残されたクリスマスケーキや唐揚げ、食い散らかされたスナック類などで散乱している状態だ。さすがにこれを片付けないまま退出するのは気が引けるようだ。彼女の反応は至極まっとうなものだ。


「平気平気、後でやっておくから気にしなくていいよ。ほら、この後も予定があるんじゃないの?」

「ええ、ですけど」

「気にしない気にしない! 楽しんできなよ。でもちゃんと終電には間に合うようにね」


 メンバー同士がお互いの顔を見渡す。大抵のものは智美と同じように思っているのだろう。しかし。


「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。篠原さん、先生、ありがとうございます!」


 軽快な笑顔で答えたのは、こともあろうにこの面子のリーダー的存在の小原順也であった。順也がそういうのなら、と自然と篠原の好意とやらに甘える方向に話が進んでいく。


「あのお、ひなたの用事は年内じゃないとダメなんですか?」


 この流れで、ひなたの用事も後回しにできないかと考えたのだろう。智美の提案に、篠原は「ごめんね」と首を振る。


「山田さんのは、どうしても年内じゃないとダメなんだ。できるだけすぐに済ませるからゴメンね。ほら、お店に行くなら携帯でも連絡取れるでしょ? 年末はどこのお店も混んでるからさ、ここで待っているより、先に出てお店決めちゃった方が効率よくない?」

「……わかりました。じゃあ、ひなた。先に出てお店決めて置くから、後からちゃんと来るんだよ?」

「うん、連絡待ってるね」

「はい、じゃあ話が決まったら、皆出て出て~」


 篠原がさっそく追い出しに掛かる。

 全員あっさりと荷物をまとめると、研究室を後にする。全員の退出を見届けた後、篠原はきっちりと施錠するのを確認すると、謎の満面の笑みを浮かべる。


「さて、我々も行きましょうか」

「あ、ああ……」


 きつねにつままれた気分のまま、誉とひなたは篠原の後に続いた。


* * * *


 はい、と篠原に手渡されたのは、すでに提出済みの書類のテンプレートだった。


「もうデータで提出したはずだが」

「あれはデータ提出じゃなくて、テンプレをプリントして手書きで提出です。ほら印も押してなかったし」

「しかし」

「もう事務室も閉めなきゃいけないから、早くしてください」

「……わかった」


 これまでデータで対応してくれていたはずだ、という誉の反論は告げられることなく喉の奥で消えた。手近な空いたデスクに腰を落ち着けると、仕方がなくペンを取る。


「篠原さん、わたしの仕事って何ですか?」

「ああ、山田さんの仕事は、先生がちゃんと書類を解読できる字で書いてくれるよう見張っておいて」

「……はい」


 それが今年最後の仕事? とでも言いたげな様子だが、ひなたは素直に頷くと、椅子を引き寄せて誉の隣りに座った。


「篠原、見張りなどされなくても書くから。山田さん、もういいから帰りなさい」


 くだらないことで拘束するなんて気の毒だろう。ひなたに「お疲れ様」と言って帰宅を促すが、彼女は「いいえ」と首を振った。


「お仕事ですから、ちゃんと済ませてから帰ります」

「だが」

「他のお仕事後回しにしてしまったので、これくらいはさせてください」

「…………わかった。申し訳ない」

「いいえ」


 ひなたの笑顔を目の端で感じつつ、書類を仕上げることに没頭する。何となくだが、篠原の思惑が読み取れた。

 ようするに、あれだ。加藤眞子の「告白しなさい」という指令を実行しろと言うのだろう。

 わざわざ二人の時間を作って実行させる機会をお膳立ててくれたのだろうが、そうは問屋が下ろさない。


 告白なんて、できるわけがないだろうが。

 ささやかなプレゼントすら、なかなか渡せないというのに。


 書類を仕上げたのは時間にして十分から十五分か程度だった。

 前回書いたばかりだから、内容はほぼ覚えていたからだろう。ひなたの目があって緊張したものの、思っていたより時間が掛からず終えることができた。

 最後に個人の印鑑を押すと、ふうと肩の力を抜いた。


「お付き合いありがとう。ごれで業務終了だ。もう帰りなさい」

「あの……荷物、まだ研究室に置いたままなんです」

「ああ、そうか」


 まさか篠原が残ったメンバーを研究室から追い出すとは思っていなかったから、手荷物はおろかコートすら着ていないことに今更ながら気が付いた。

 書類をカウンターに持って行くと、自分のデスクで入力作業をしていた篠原がこちらに気が付いた。


「終わりました? ご苦労様です」


 気が付けば他の職員はもういない。照明も部屋の三分の一はすでに落としてあった。


「研究室に戻るが、片付けはお前もやってくれるんだろうな」

「もちろんですよー。こっちも片付けたら向かいます」


 篠原はひらひらと手を振ってみせる。

 ひなたと二人で研究室に向かいながら、ふと思う。


 プレゼント、いやお土産くらいなら渡してもいいだろうか、と。



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