冬の章・15 忘年会とクリスマスケーキ
次回はマカダミアナッツチョコレートはやめておこう。せめて現地で売っているものを買ってこよう。来年の時点でこの決意を覚えているかどうか怪しいものだが。
研究室に戻る途中、エレベーターの前でひなたと鉢合わせした。軽く俯いて携帯電話をいじっていたが、こちらから声を掛ける前に、ぱっと顔を上げる。
「先生、おかえりなさい」
はにかむような笑顔に「おかえりなさい」の言葉。これはなかなか胸に来るものがある。
口元が緩みそうになるが、地顔になりつちつある仏頂面のお陰で、だらしない顔を彼女に見られることはないはずだ。
「ああ、ただいま」
予想外に嬉しげな声を発してしまったことに驚いた。
……我ながら気持ちが悪い。
「何か変わりはないかな?」
「はい」
「クリスマス会は楽しめたかな?」
「……はい」
珍しく微かに苦笑いを浮かべる。どうしたのだろうと気にはなるが、あまり詮索するのもいかがなものか。
「先生は、どうでした?」
「ああ、恩師の最終講演があって、なかなか……」
言い掛けて気が付く。恐らく彼女が聞いているのは学会についてではなく、クリスマスについてだと。
「……いつもは友人宅の夕食に招かれるのだが、今年は友人の妻君が身重でね、予定日より早く産気づいたからキャンセルになった」
「もしかして、クリスマスにご誕生ですか?」
「ああ」
「なんだか、素敵ですね」
彼女の笑顔を目にした途端、急に居たたまれない気持ちになる。実は友人の第一子の誕生を祝う気持ちよりも、友人との再会に水を注された気持ちの方が大きかったという、己の気持ちが恥ずかしい。
「何か御祝いでも贈らないとな」
しかし、何を贈ればよいのやら。そうぼやきつつ、そしと内心冷や汗を掻きつつ、エレベーターを待つために彼女と肩を並べる。そして、この二人という状況にやや緊張を覚えた時だった。
「先生ー、いつ戻ったんですか?」
順也の声が引き留める。
エレベーターに乗り込もうとした途端、わらわらと現れたのは、飛沢ゼミに所属する学生ら三名だ。
田所と水沢は確か卓球サークルで、順也と親しい二人であった。
彼女と二人きりの時間が終わりを告げ、軽い落胆と共に安堵をおぼえる。
「ああ、戻ったのは昨日の夜だ」
「ところで、今日の夜空いてます?」
「ああ、特に用事ばないが」
「忘年会やりましょうよ。おれバイト先から唐揚げやポテトフライ貰ってきたんです」
「あとクリスマスケーキも売れ残ったやつ、貰ってきました」
「おれは廃棄になる肉まんくすねてきました」
一気に人口密度が上がったエレベーター内で、男共は代わる代わるバイト先での戦利品を報告していく。
賞味というか、消費期限に若干不安をおぼえるものも混じっているが、それはさておき。
「持ちよりのようだが、場所は……」
「もちろん、研究室で」
今上がった食品は、すでに研究室の冷蔵庫に保管されているとのことだ。
「山田さんも、時間大丈夫だよね?」
「は、はい。でも仕事が」
「急ぎじゃないんですよね、先生?」
「ああ、そうだが……」
「じゃあまた来年ってことで」
「ええっ、でも!」
「まあいい。年明けにやって貰おう」
「は、はい……」
「ところで、智美ちゃんは誘えるかな?」
「えーと、聞いてみるね」
とんとんと忘年会開催について話がまとまったようだ。
やっぱり、年の最後くらい彼女と二人で過ごすのもよかったかもしれないと、未練がましく思うことくらい赦してほしい。
※ ※ ※
「わざわざ家から来たのに、研究室でかあ……」
呼び出されたひなたの友人綿谷智美は上々不服のようだ。
急きょ執り行われた忘年会のメンバーは、小原順也、田所太郎、水沢圭一という卓球サークルおよびゼミ生と、うっかり研究室に顔を出してしまった院生の三河島小次郎。そして今日はバイトで来たはずだった文学部山田ひなたと、彼女の友人である同じく文学部の綿谷智美。
そしてこの研究室の主である准教授、飛沢誉。同じ空間にいつつも、仕事がひと段落してから参加という何とも言えない状況に身を置いていた。
「まあまあ智美ちゃん、ひなたちゃんに恩があるんでしょ?」
「それを言われると……何も言えないわ」
「そんな、恩なんて大袈裟だよ」
「よくわかんないけど、恩人山田さんにクリスマスケーキを進呈しようじゃないか」
「く、クリスマスケーキ?」
「大丈夫! 冷凍してあったから」
「ケーキって冷凍していいわけ?」
「うん、生の果物が入ってるのはアウトだけど、これ入ってないから」
田所は切り分けたブッシュドノエルをテーブル、もといデスクの上に並べる。
さりげなくまだパソコンに向かう誉の前にも置かれる。確かに見た目は何ともない、ごく一般的なブッシュドノエルである。
熱いコーヒーでも欲しいところだが、今テーブル……デスクに並んでいるのは、ビールやサワー、そして冷たいソフトドリンクばかりだ。乾杯の時に配られた飲み物は紅茶だか、残念なことに冷たくて甘い。
こんな寒いところで冷たいものなど飲みたくはない。しかし、この寒さの中、冷たいものを平気で飲むのは、やはり若さゆえであろうか。
「あの、先生。コーヒー淹れてもいいですか?」
「あ、ああ。どうぞ」
輪から外れて話し掛けてきたのは、三河島だった。
「先生も飲みます?」
「ぜひ」
「わたしも!」
「俺も」
「すみません、わたしも」
「じゃあ全員分ってことで」
結局全員がコーヒーを所望ということになり、三河島とひなたがコーヒーの用意をすることになる。
「お砂糖とミルクがいる人も、いらない人もいますよね」
「じゃあ全部ブラックにして、砂糖とミルクはご自由にってことにしておけばいいんじゃないすかね」
「あ、そうですね!」
三河島と彼女が普段会話をしている様子もないが、なかなか和やかな雰囲気だ。
やはり、年が近いと話が合うのだろうか。
仕事をしている振りをして、二人の会話に耳を傾けてしまう。
「うわ、三河島さんがちょっと優しい」
「確かに! 雪が降るんじゃないの?」
「うるせーぞ。コーヒーやらないぞ、あちっ!」
「大丈夫ですか? 早く冷やしましょう!」
「あらー、ひなたってば優しい」
「もー、からかわないでよ」
口数の少ない三河島が珍しいと、周囲が二人を冷やかし出す始末。
恐らく、自分と彼女が一緒にいても、同じような感想は抱かれないのだろう。
やはり、渡せそうにないか……。
コートのポケットにある小さな贈り物は、このまま年を越しそうだ。
解凍されたケーキがほろ苦く感じたのは、きっと気のせいだろう。




