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冬の章・11 おくりもの

 本当に十二月かと疑うほど暖かな日もあったが、最近ようやく冬らしい寒さに落ち着いてきてように思う。それに合わせて、街中も大学内も、浮かれたようにクリスマスムードに包まれていた。


 まさか、ここにまで及んでいるとは……。

 学内の生協までもがクリスマスに毒されている。いわゆるコンビニスイーツや、菓子パンがクリスマス仕様に(サンタや柊の紙のシールがパッケージに貼ってある程度だか)になっていたり、パーティー用グッズのコーナーが出現したり、クリスマスケーキの予約まで受け付けているではないか。

 書籍コーナーもクリスマス関連の書籍を集め、手書きのポップの他には、色とりどりの折り紙で作った輪っかを繋いだ飾りや、色画用紙で作った平面的なクリスマスツリー。いわゆる小学校のクリスマス会的な飾り付けを見ていると、微笑ましさと少々気恥ずかしさで、何というかむずかゆい。

 まあ、いくらキリスト教徒とはいえ、ドイツのクリスマスの気合いの入れようは生半可なものではない。あそこまで行くと外国人だから宗教が違うからとかではなく、あの場にいたら楽しまなくてどうする! という圧倒的な存在感でクリスマスというものがあるように思う。


「あら、そんなにすごいんですか。ドイツのクリスマスって」


 パート職員の大原に近々迫っている出張の話から、クリスマスマーケットの話になった。どの都市でもクリスマス時期は街中がクリスマス一色に染まる。

 寒い中で飲むグリューワインの美味しさを語ると、大原は「先生ったら色気より食い気ですね」と笑われてしまった。


 元より色気などないのだから、食い気優先で多いに結構。

 我が家ではクリスマスとはケーキとご馳走を食べる日だ。サンタの正体は小学校に上がる前に自ら暴いてしまったものだから、飛沢家のクリスマスにはファンタジーは存在せず、残ったのは食い気だけだ。


 とはいえ、ドイツのクリスマス時期は嫌でも圧倒される。現地の友人に「来年はパートナーを連れてこい」と、毎年のように言われているが、ずっと連れて行く機会はないままである。

 お陰で「ホマレの興味は女性にはないのだな」と納得されていたから、もしかしたら今年は独身男性を紹介されるのではないかと危惧している。


 * * *


「じゃあ、お土産はドイツワインでいいからね」

「重いから却下だ」

「じゃあソーセージ」

「腐るぞ」

「うーん、じゃあ……」

「チョコレートが無難だな」

「えー! また免税店?」


 ハワイのお土産じゃないんだから、と文句を垂れる篠原を無視して、足早に事務室を後にした。

 研究室に戻ると、まだ明かりが点いていた。現在の時間は七時。大原の勤務時間はとっくに過ぎている。どうやら談笑しているようだ。大原の他にいる人物は見当がつく。

 恐らく、彼女だ。


「先生お帰りなさい」


 明るい声で出迎えてくれたのは大原だった。彼女と向かい合わせに座るひなたは、居心地悪そうにしながらも「おじゃましてます」と、はにかんだ。

 二人でコートを着込んだまま談笑していたらしい。二人の吐く息が白い。


「先生明日から出張でしょう? 私は今年の出勤日は今日で最後ですから、ご挨拶しておきたくて」

「ああ、そうでしたね。申し訳ない」

「いいえ、こっちが勝手に待っていただけですから。それに、ひなたちゃんとお喋りに巻き込んで待たせて貰っていました……すみません、騒がしくって」

「いいえ」

「では先生」


 大原は椅子から立ち上がる。何故かひなたも大原にならって立ち上がる。


「今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いしますね」

「いえ、こちらこそ。よいお年をお過ごしください」

「はい先生も。出張、お気をつけて。じゃあ、ひたなちゃんもよいお年を」

「はい、よいお年を」


 一足早い年末の挨拶合戦が終わると、大原は帰っていった。すでに帰り支度をしていたようで、あっという間の退場だった。

 研究室が急に静まり返ってしまった。

 ふと、ひたなと二人きりになったことに気付いて、軽く動揺する。


「あの、先生は……もうお帰りですか?」

「ああ。パソコンを落としたら帰るよ」

「あの……」

「ん?」


 ひなたは何かを言いたげに視線をさまよわせる。なんだろうと待っていたが、なかなか話を切り出そうとしない。何か言い出しにくいことなのだろう。


「山田さん。もう暗いから一緒に帰ろうか」

「え?」

「話は帰り道にゆっくり聞こう」

「は、はい!」


 途端、ひなたの頬がかあっと赤く染まる。

 彼女のこの反応は……後ろめたいことや、言い出しにくいことがある時のものだ。

 最初の頃、誉の本をダメにした上、コロッケを顔に投げ付けたのは自分だと告白されたのを思い出す。

 今度は一体何をしでかしたと言い出すのやら。



 今日の彼女は随分と饒舌だ。大原のこと、授業のこと、学食のメニューのこと、篠原のこと……共通の話題を次から次へと出してくるが、どことなく空回っている。


「あの……先生、笑ってます?」


 噛み殺したつもりだったがバレてしまったようだ。


「いいや?」

「いえ! 確かに笑ってました」


 確信を持った声が、静かな住宅街に響く。

 意外にも響いた自分の声に驚いたようで、ひなたは口を押さえて肩を竦める。


「すみません……」


 暗がりでもわかるほど、ひなたの頬は真っ赤に染まっている。それほど言いづらいことなのだろうかと、誉は助け舟を出すことにする。


「……多少のことなら怒ったりしないから、正直に言ってみなさい」

「…………え?」

「何か、私に言いづらいことでもあるのだろう?」

「え、え、あの……はい」


 やはりそうか。ふと口元が緩む。


「例えばだ。もう少し稼ぎたいからバイトを増やしたいとか、研修室の書籍をこっそり貸してしまったとか」


 戸惑ったように、ひなたが目を瞬く。目測を誤っただろうか?


「いや……その様子から察するに、以前の本やコロッケのように、言いづらいが言わなきゃならないことでもあるのではないかと思ったのだが、違っていたかな?」

「……違います」

「ハズレたか」


 ではなんだろう?

 誉が頭をひねっていると、唐突にバッグの中をまさぐり出した。


「あの、これ」


 手のひらに収まるサイズの紙袋を取り出した。


「お守りです」

「お守り?」

「はい。先生明日から出張でしたよね。だから」


 はい、と差し出されるがままに受け取った。紙袋の中で、しゃらりと音がする。神社のお守りとは違うようだ。すると彼女は赤らんだ頬のまま、ふわりと微笑んだ。


「作ってきたんです。明日から先生海外だから……最近物騒ですし……よかったらと思いまして」


 躊躇っていたのは、手作りで、しかもたいしたもなじゃないから、渡していいものか迷っていたという。


「あの! 最初は神社で買おうかと思ったんですけど、外国だと日本の神様のご利益が及ばないかもしれないと思いまして。パワーストーンを使ってみました。だから外国でも効き目があるはず、だと思います」


 懸命に説明というよりか言い訳をしている彼女の話を聞きながら、手の中にある紙袋ーーお守りを見つめる。

 どうしたらいいのだろう。このままでは不味い。とてつもなく不味い。

 こんなことをされたら……。

 込み上げる感情と衝動を押さえ付け、冷静で客観的な己を総動員させる。

 待て。これは好意だとしても知人や隣人に対する気遣いのようなもので、手土産やお歳暮のようなものに過ぎなくて……。もしくは義理チョコのようなものだ。うんそうだ。そうに違いない。

 訳のわからない理屈で固めてたが、自分でもわけがわからない。とにかく、期待してしまいがちな好意ではない。ではないのだが。

 正直に言おう。嬉し過ぎて、何をしでかしてしまいそうな自分が怖い。


「……先生?」

 誉が何も反応を示さないからだろう。ひなたの表情が不安に曇る。


「ご迷惑でしたよね。ごめんなさい」

「っ!」


 ひなたは申し訳なさそうな面持ちで、誉の手からお守りを回収しようとするが、誉は慌てて握り締める。結果、紙袋ごと彼女の手まで握ってしまう。

 冷たくて細い指だ。目が合うと、誉の手の中で、彼女の細い指がびくりと震える。手を解こうと思うが、今だけ、ほんの少しの間だけでいいから、こうしていたいと思ってしまった。


「迷惑じゃない」


 駄目だ。

 握り締めていた手をゆっくりと解く。彼女の手は数秒の間、誉の手の中に留まっていたが、紙袋を残してゆっくりと離れる。


「……ありがとう」


 自然と笑みがこぼれる。目の前の彼女は驚いたように目を見開くと、真っ赤に頬を染めて嬉しそうに破顔した。

 




 




 

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