冬の章・7 大人の時間?
おかしい。今日は四人のはずではなかったのか?
コストパフォーマンスが良いと評判の店は、加藤と御堂の強い要望に負けて予約を取ったと聞いさている。予約を取った篠原本人も「前から気になってたんだ」と、ずいぶん乗り気だったはずだ。
予約は篠原の名前で取れてはいたものの、用意されていたのは二人席。店員が勘違いをしていたと、慌てる四人席に変更して貰えたものの、篠原とその恋人となった御堂が揃って遅刻。何度メール送っても、電話をしても返事はこない。
まったくをもって違和感が拭えない。もしや嵌められたのだろうか。
「篠原、遅いですね」
自分でも少々白々しいとは思う。彼女はどう出るだろう。しきりに携帯電話をいじる眞子の様子伺っていた。
彼女が不意に顔を上げる。
「遅れるって。連絡着たわよ」
「何と、です?」
しかし彼女は答えず、ニコリとほほ笑み小さく首を傾げる。
「だから。先に始めちゃっててって」
一瞬、本当だろうかと疑念がよぎるが、闇雲に疑うのも失礼かと思い直す。
「…………わかりました。メニューを貰いましょう」
「あのさあ、飛沢くん」
「はい?」
発した声は自分でも驚くほど、警戒心に満ちていた。
「シャンパン、頼んでいい?」
「……どうぞ」
すかさず店員を呼び止める。彼女がワインリストから、ひとつを指差す。誉はビールを注文した。去り際に店員から渡されたコースメニューをぱらりと開き、目を落としたまま小さく告げる。
「前菜とメイン、違うのたのんでシェアしない? 量が多いらしいから、一人で食べきれるか自信ない」
「いいですよ」
誉自身、けして大食いというわけではないが、眞子よりは量はいけるだろう。
「じゃあ、魚介とお肉かな。前菜は鯛とサーモンのカルパッチョと豚肉のテリーヌか。メインは牛肉の赤ワイン煮……ラムチョップもいいなあ。あ、これじゃあ両方お肉になっちゃうか」
「両方肉でも構いませんよ」
「そう?」
屈託なく彼女は笑った。
彼女の余裕な態度に、もしかしてこちらが気にし過ぎなような気すらしてきた。この前のキスすら、自分の想像の産物だったのではないか。
眞子を恋愛対象として考えられなと思いつつ、好意を持たれて悪い気はしないが……駄目だ。いつもそれで失敗しているのだから。いい加減学習しろと、自らを叱咤する。
これまで恋愛とは縁遠く、自らを動いたことはなかった。気になる相手が現れても、大抵は気になるままで終わっていた。付き合って欲しいと乞われれば、乞われるがままに付き合ったものの結局は上手くいかずに終わってしまう。
言わなければ。あなたとは付き合えないと。
すでに心に思う相手がいる……とまでは言わないが。
言ったところで公言できる相手ではないのだから。
「飛沢くん、クリスマスは海外なんだって?」
「ええ、学会がありまして」
学会自体は23日だが。学会のあとは古書店めぐりなどして過ごし、旧友と食事をして帰路につく。26日の午前中に帰国するチケットを既に入手してあった。
「場所は?」
「ドイツです」
「ドイツ語話せるの?」
「一応は。いまだに発音に自信はないですけど」
「うわ~飛沢くんって頭よかったんだ」
これは誉めているのだろうか、はたまた馬鹿にされているのだろうか。
彼女の感嘆の声に嫌味な響はないものの、どうも複雑な気分だ。
「……研究に必要だから覚えたまでです」
「向上心が高いんだね」
研究者に向上心が無くてどうする、と続けたいところであるがやめておいた。この話題はどこまで続けても平行線のままのような予感がした。
「わたしもドイツに行くときは飛沢くんに同行願おうかな」
「現地でガイドを雇ってください」
「冷たい。大学って休み多いくせに」
まるで暇そうみたいな言われようだ。確かに大学の夏休みと春休みは長い。しかし。
「学生は休みでも、教員も職員も仕事ですよ。ちなみに教員は自分の研究もあるもので、休暇らしい休暇なんて意識しないと取れないものです」
「ふうん」
彼女は半眼を向けつつ、タイミングよくか悪くか運ばれてきたのシャンパンのグラスを手に取った。
「あのさ。普通相手に合わせシャンパン頼むところじゃない?」
同時に運ばれてきたグラスビールを鋭く指さす。
「ああ……注文してから、もしやと思いましたが」
やはり合わせるべきだったようだ。しかし正直なところビールが飲みたかった。ワインも嫌いじゃないがビールが好きだ。クラフトビールよりも、キンキンに冷やして飲む日本のビールが好きなのだ。
「申し訳ない。ビールが好きなもので」
好きなものを頼んで何が悪い。しかし眞子の毒舌攻撃を一身に浴びるのはいささか……いや、かなり厳しい。謝罪をしたものの、彼女にとっては不満が残るようだ。
やはり来るか。身構えたが。
「……ま、いいわ。ひとまず乾杯しましょ」
意外にも毒舌を飲み込んだようだ。優雅な仕草でシャンパングラスを掲げた、
「そうですね」
ビアグラスを掲げ「お疲れ様です」とグラスを合わせると、眞子はまた何ともいえない表情になる。
「……なんだか、同期と飲みにきたみたい」
華奢な細長のグラスの中で、細かな黄金色の泡が弾けている。生まれては消えてゆく泡を眺めながら、眞子は細くため息を吐いた。
気が合わない二人…。




