秋の章・15 突撃されても困ります
どうして彼女がここにいるんだ?
一瞬目が合った気がするが、気のせいかもしれない。以前にも同じように思ったことがあったような気がすると思いつつ、慌てて視線をあらぬ方向へ逸らしてしまう自分が少々情けない。
「ところで小原くん、もう席は決まってるの?」
篠原が訊ねる。
「いえ。実は飛沢先生がいらっしゃるって知っていたから、あてにして来ちゃいました」
順也はあっけらかんと答える。しかし、このテーブルも三人分追加するような広さはない。
「ごめんね、こっちも余裕があったら、テーブルにお誘いするところなんだけどね」
「そこを何とか!」
顔の前で両手を合わせ、順也は懇願のポーズを取る。テーブルの面々は困ったように顔を見合わせる。
「わたし、帰ろうかと思います」
どちらかというと聞き手に回って、静かに飲んでいた芽衣が小さく手を挙げる。
「野上さんが気を遣う必要ないですよ」
「でも、そもそも既婚者ですから場違いですし……」
今にも席を立ちそうな芽衣を、篠原と理央がどうにかいさめている。
これはいかんな。
順也は自分をあてにして、この店にやってきたということだ。ここは、自分がきちんとけじめを付けないと、周囲に迷惑が掛かってしまう。
「小原くん」
誉は席を立つと、順也の元へ歩み寄る。
「あ、先生」
屈託のない笑顔で「お願いします!」と両手を顔の前で合わせる。
「女の子にいい顔させてください!」
「君は女性陣のうけはいいのだから、そんなことをしなくても問題ないだろう?」
「先生、おだてても無駄ですよ」
「別におだててなどいないぞ」
「あ……それはどうも」
真顔で言われたせいかのか、男に褒められたせいなのか、順也は微妙な面持ちで苦笑する。
「やっぱりダメですか……ね」
順也も周囲の空気が読めないわけではない。やはり無理そうな雰囲気を読み取り、少々遠慮気味に確認を取る。
「こちらも予約を取って席を確保しているわけだからな。それに、まだ席が空くのを待っている人たちもいる。どうしてもこの店で飲みたかったら順番を待ちなさい」
我ながら説教臭いとは思うが、こればかりは仕方がない。篠原の友人たちにも、他の客たちにも迷惑を掛けるわけにはいかない。
「すみません……」
渋ってくるかと思いきや、案外素直に引き下がった。思ったよりも、あっさりと事態を収めることができ、誉もほっと息を付く。
「では、後ろの二人にもよろしく伝えて欲しい」
「はーい。あと、先生。念のため聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
あっさり引き下がってくれたということもあり、誉は気安く頷いた。
「今日の飲み会は、合コンですか?」
直球の質問に、一瞬たじろぐ。ひなたが見てる手前、事実は伏せておきたいところではあるが、この場を目撃されて今更隠しても白々しいだけだ。
「そのとおりだ」
素直に答えると、順也にはそれが意外だったようだ。驚いたように目を見開く。
「……先生、彼女いないんですか?」
「いないよ」
「彼女、欲しいんですか?」
「もちろん」
自分でも「酔っているな」と思う。普段なら絶対に言わない台詞だ。どうした自分、と己に突っ込みを入れてみる。
「そうですか……」
一瞬呆気に取られたようだが、すぐにいつもの人懐っこい笑顔を作る。
「先生も男だったんですね」
どういう意味だ、と言いたいところだが、恐らくそのままの意味なのであろう。
ああ……なるほど。
不意に己の発言の発端に気が付いた。
どうせ、彼女も自分のことなど男となど思っていない。だからわざと自分も一人の男なのだと強調するような発言をしたくなってみたのかもしれない。だからといって、彼女に異性として意識されるわけでは、無いのだろうけれど。
「……では気を付けて」
「はい。失礼しました」
わずかな間を読んだのか、順也は素直にテーブルの面々に向かって深く腰を折る。
「お楽しみのところを失礼しました。篠原さん、ホントすみませんでした」
では! と踵を返し、後ろに控えていた二人に何やら話ながら退散していく。順也に背を押されながら振り返るひなたは、何か言いたげな様子だったが、それが何だったのかはわからない。
「はあ……嵐みたいだったね」
疲れたような理央の声に、誉は我に返る。
「うちの学生がお騒がせしてしまいまして、申し訳ございません」
「別に飛沢くんのせいじゃないから気にしないで。小学生じゃないんだから、先生の指導が足りなかったなんで思わないわ」
すかさず入る眞子の辛辣なコメントを、芽衣がやんわりフォローする。
「それだけ学生さんに慕われているっていうことですよね。いい先生なんですね、飛沢さん」
「舐められているだけじゃないの」
フォローを打ち消す眞子の言葉は実に耳が痛い。
舐められている……のだろうか。
慕われているというわけではない。残念ながら、学生たちに慕われるような人格の持ち主ではないことくらいは自覚している。ということは、やはり舐められているのか。
しかし順也は人を舐めて掛かるような青年ではないと思っている。今回のような場合は困るが、一緒に飲むくらいなら別に困るものでもない。
「眞子さん、誉くん地味に落ち込んでいるから、もうその辺でやめておいてあげて」
また篠原は余計なことを……。
「あ、落ち込んでいたの? ごめんね」
眞子は謝るものの、まったく申し訳なさそうではない。
「別に落ち込んでなんていませんよ」
「そう? それにしてもカッコいいわね、あの学生さん。女の子二人もはべらせちゃってさ。結構遊び人なの?」
「いや、彼女らは、彼とはそういう関係ではない……」
そういう関係ではない?
本当に断言できるのだろうか。順也は非常に魅力的な青年だ。親しくしているうちに、さらに親しい間柄になっても不思議ではない。
「ちょっと背伸びしてみたかったのかな? 女の子の前で、カッコつけたかったとか」
「でもさ、あんな子が学生の頃いたら、毎日学生生活が楽しかっただろうな」
「ま、学生は学生同士で楽しく過ごすのが一番ね」
女性陣の会話を耳にしながら、学生は学生同士、という言葉がえらく胸の奥に突き刺さる。
そうだ。彼女……ひなただって、順也のような若くて見目麗しく、好感が持てる青年が傍にいたら、心が動かないはずがない。
「飛沢くん」
名を呼ばれるのと同時に、眞子の細い指が誉の眉間にそっと触れる。
「眉間の皺、怖いよ」
「……どうせ怖いですよ」
指から逃れるように身を引くと、眞子は不敵にほほ笑む。ボトルに残ったワインを残らず誉のグラスに注ぎ始める。
「こういう時は飲みなさい。ね?」
大きなお世話だと思いつつ、無言でワインを飲み干した。




