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秋の章・13 酒の肴になっています

「お待たせしました」


 元気のよい店員の声と共に、リズムよくテーブルに置かれたビールジョッキが三つ。仕方がなく手に取ると、取っ手は氷のように冷たく、ずっしりとした重量感があった。


「はい、乾杯!」


 順也の声を合図に、三人でジョッキ同志をかち合わせる。コン、とくぐもった音が立つ。順也と智美はさっそく勢いよくビールを飲んでいる。ひなたもそろりとジョッキに口を付ける。

 に、苦い……。

 最初は冷たさであまり感じないが、飲み込んだ後、じわじわと苦みが口の中に広がってくる。


「くー美味い。発泡酒も美味しいけど、やっぱりビール美味しいわ」


 一方順也は実に美味しそな様子だ。半分以上飲み干して、しみじみとビールの美味しさを噛みしめている。智美も同様、半分以上ジョッキを空けてしまっている。


「日本のビールって軽くて美味しいんだけど、あんまり特徴がない気がするんだよね。なんていうか、ちょっと物足りない」


 物足りない? こんな苦いものを物足りないなんて……。

 智美が酒豪だとは知らなかった。新しい発見である。

 智美とは高校から親しくはしているが、これまで飲みに行く機会などなかった。親しい間柄でも結構知らないことはあるものなのだと、改めて知る。


 二人はビール談義で盛り上がっているが、ひなたは話の輪に入れそうにない。先に料理でも選んでいようと、メニューを手に取ると、智美が「はい!」と小学生が発言を宣言するかのように手を挙げる。

 酔っ払っているなあ……。


「智美ちゃん、何か注文?」

「ひなた。飛沢先生とはどうなの?」

「え」


 瞬間、頬が赤くなるのを自覚する。

 智美の予想外……いいや、少しは予想をしていた。智美は恋愛方面について、かなり鋭い。高校生の時もクラスメイトの誰と誰がカップルだとか、誰が誰を好きなようだとか、周囲が気づく前に目ざとく察知してしまう。


 だから飛沢を好きだと自覚してから、もしかするといずれ気づかれてしまうのではないかと薄々感じていはいたが。

 ひなたの沈黙で確信を得た智美は、自信ありげに目を細める。


「それで? 一体どこまで進んでいるわけ?」

「え!」


 どこまで進んだかと聞かれても困る。ここ最近飛沢への思いに気が付いたところであって、自分でもこの気持ちをどうすればいいのかわからないというのに。


「進むも何も、何にもないよ!」

 必死に否定するものの。

「ウソだあ。しらばくれちゃって! 最近ひなた可愛くなったもん。これは絶対先生と何かあったはずだと、わたしは読んだ!」

 智美は熱弁を振い、拳でテーブルを叩く。


 可愛くなったと言われるのは嬉しいが、本当に何もない。智美の隣りでにこやかにしている順也に救いを求めるが、そうだ彼も「洗いざらい話してもらうね」と言っていたのは、この話題だったのだと今更になって気が付いた。

 しらばっくれるもなにも、本当に何もないのだ。しかも、飛沢に思いを伝えるなど考えてもしないのだから。


「本当に何にもないんだってば」

「こらー言いなさい。ひなた。それだけ赤くなっているわけだから、少なからずとも何かあったわけでしょ」

「そんなあ……」

 するとフォローするかのように順也が口を挟む。


「ひなたちゃんは、ここ最近になってやっと自覚したんじゃないの? だからまだどうすればいいのかわからない……ってところじゃない?」

 当たりだ。ストレートど真ん中で何も言えなくなってしまう。さらに体温が上昇したような気がする。

「あ、順也くんビンゴだよ」

 智美のからかいに、さらに恥ずかしくなる。

「こんなお子様が年上となんて……大丈夫かな」

 不安げに智美は溜息を付く。順也は苦笑する。

「まあ先生だったら大丈夫じゃない」


 もう、勝手なことばかり言って!

 やり場のない気持ちをどうすればいいのかわからない。取り敢えずビールをもう一口飲んでみるが、やっぱり苦くて堪らない。あまりの苦さに涙が出てくる。


「う……他の頼んじゃダメ?」

 涙目で訴えると、智美は「そうだなあ」と宙を軽く睨む。

「じゃあ、奴を好きになった切っ掛けを教えてくれたらいいよ」

「切っ掛け?」

 また智美は無理難題を押し付ける。

「無いの?」

「そういうわけじゃ……」


 ないと思うけれど。

 初めて飛沢と出会った頃に時間を巻き戻してみる。

 出会いは最悪と言ってもいいだろう。雨の中飛沢の荷物をぶちまけ、コロッケをぶつけるわ、罪悪感に駆られて逃げ出すわと、本当に本当に最悪だ。

 その後も酔っ払って醜態を晒すわ、お財布を忘れて物を奢らせるわ……考えれば考えるほど最悪だ。


 最初は近づきがたい人だと思っていたけれど、話てみると案外そんなことはなくて。カチカチに堅い口調も、少しずつ柔らかくなってきたような気がする。滅多に見られない笑顔が堪らなく貴重に思えたり。

 そうだ、わたし。先生の色んな顔が見てみたいって思ったんだ。

 できるなら、先生の隣りで。ずっと。 


 青ざめたと思ったら、みるみる真っ赤に頬を染めるひなたの様子に、智美と順也は顔を見合わせ、苦笑交じりの溜息を付く。


「……智美ちゃん。これ飲んだらさ、上の階行ってみない?」

 自分の世界に入り込んだひなたの耳に届かないよう声を潜める。

「上の階?」

「うん、ビストロなんだけどさ。外国ビールも揃っているみたいだよ」

「でも高いんじゃない?」

「大丈夫、上にはパトロンがいるから」

 意味ありげに片目を瞑ると、ニコリとする。

「あ、そういうこと?」


 順也が誰を指しているのか、ぴんときたようだ。智美もニヤリと笑みを返すのだった。

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