秋の章・9 学生同士
あっという間に金曜日がやってきた。
場所は新宿の某雑居ビルのビストロで、現地集合とのことだった。誉は十九時に大学を出ると、満員電車に揉まれながら新宿の地にたどり着いた。
残念ながら書店に立ち寄る時間はなさそうだ。仕方なくまっすぐ店のあるビルへ向かうことにする。
金曜日の夜というせいもあり、道路は行き交う人々で溢れていた。社会人だけではなく、学生の姿も多い。目的のビルにたどり着くと、エレベーターの前はかなりの行列が出来上がっていた。
これは乗り込むまで時間が掛かりそうだ。時間を確認すべく携帯電話を取り出す。ちょうどいいタイミングでメールが届いた。
メールの送信者は篠原であった。
『もう店の中にいます。今どこ?』
今エレベーターを待っている。と返信し終えると、小さく欠伸をしながら空を仰ぐ。見上げても視界を埋め尽くすビルビルビル……。喧噪に包まれた夜の街に出向くのは、思い返してみればずいぶんと久しぶりだ。
たまにゼミの学生たちと飲みに行くこともあるが年に数える程度だ。あとは文学部の年が近い教員や、篠原と飲みに行ったりするものの、すべて大学の周辺の居酒屋。改めて行動範囲の狭さを自覚する。
数年前は篠原主催の合コンもどきに顔を出していたが、あまりものテンションの高さに辟易して、以来誘われても断り続けていた。
駄目だ。急に面倒くさくなってきた。
ビルに入るまでの長い行列を目の当たりにしたら、廻れ右で帰りたくなってきた。しかし、土壇場でキャンセルするのは今回の会合を企画した人物に――恐らく篠原であろうが――迷惑を掛けるのもどうかと思う。いや、たまには迷惑を掛けてやるのも一興か?
「あれ、先生?」
どこからともなく聞き覚えのある声がした。反射的に振り返ると、数人挟んだ列の後ろに、頭一つ飛び出した人物は誉がよく知る人物であった。
「――小原くん?」
「奇遇ですね」
イケメン青年、小原順也。彼は彼に相応しい爽やかな笑顔を浮かべる。
「先生も飲み会ですか?」
「あ、ああ」
とてもではないが、合コンだなんて言えない。
この場に篠原がいなくてよかった。もしいたら「うん、これから合コンだよー」と聞かれもしないのに言うに決まっている。
「先生はどの店ですか?」
もしや同じ店か?
「……六階の、名前は忘れたがビストロだ」
「いいなあ、僕らは三階のあかさたなですよ。」
全国展開をしているチェーン居酒屋の名を口にした。内心安堵する。
「私も学生の頃はよく行っていたよ」
「へえ、そうなんですか。あ――すみません」
順也はジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。どうやら着信があったらしい。
「あ、ひなたちゃん?」
不意にひなたの名前が出てきて、どきりとする。
「どうしたの? え、場所?」
もしや……小原くんと約束をしているのだろうか?
次第に心臓の鼓動が速くなる。
別におかしいことではない。同じ学生同士、飲むことだってあるだろう。
そうだ、何もおかしいことじゃない。
自分に言い聞かせるように頭の中でくり返す。だが、胸に何かが詰まっているかのように息苦しい。
「うん、うん……じゃあそこ動かないで。すぐ迎えに行くから」
会話を終えた順也は、携帯電話をジーンズのポケットに納める。
「先生、これから迷子のメンバー迎えに行ってきます」
「ああ」
列から抜けた順也は小さく手を振ると、背中を向けて小走りで人ごみの中へと消えていった。




