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秋の章・7 自覚はしてみたものの

 彼女は教え子だ。だからこんな想いを抱くことは罪だと思っていた。しかし、もう彼女への想いを堪えるのは限界だった。


「君のことが、好きだ」

 ずっと心に秘めていた想いを告げた途端、彼女は驚愕したように瞠目した。

 恐らく彼女にとっては思いがけない告白だったのだろう。酸素を求める魚のように口をぱくぱくとしていたが、見る見るうちに白い頬が見事に赤く染まっていった。

「……やめてください」

 泣きそうに表情を歪める。

 そんな顔をさせたかったわけじゃない。私の想いは、迷惑でしかないのか?

 言いようのない喪失感に捉われそうになるときだった。

「だって、わたし……わたしなんか、子供っぽいし、色気はないし……」

「え」

「先生に好かれるようなものは一つも……持ってない」

 彼女に一歩近づく。そっと熱く火照った頬に触れる。びくっと身体が強張るのが、指先に伝わってくる。

「冗談なんかじゃ、ない」

 自分でも驚くほど、切羽詰まった声になった。彼女にとっても意外だったようで、恐る恐る顔を上げた。

「せん、せい?」

 必死に涙を堪えているのがわかる。涙で被われた瞳は、決壊寸前だった。

「どうすれば、信じてもらえる?」

「先生?」

「どうすれば、君が好きだと信じてもらえる?」

 彼女の瞳が大きく揺らいだ。途端、綺麗な涙の粒が白い頬を転がる。

「……っ」

 崩れるように胸の中に飛び込んできた彼女の細い身体を受け止めた。腕の中で身じろぎをした彼女は、乞うような瞳で見上げる。

「信じさせてください……わたしのこと、好きだって」

 途端、抑えていたものが弾け飛ぶのを自覚した。




 おい! それしきのことで理性を飛ばしてどうする?!

 本の中の登場人物に突っ込みを入れても仕方がないが、同じ教職者として非常に許し難い。

 しかも生徒を誰もいない教室に連れ込むとは……。

 無意識のうちに眉間に皺が刻まれているが、当の本人は気付かない。

 しかも校内で生徒に手を出すな!

 心の中で登場人物に叱咤すると、閉じた本をデスクの引き出しの中へ放り込んだ。うっかり誰かが研究室に入ってきて、この本を目にされたらたまったものじゃない。


 こんなもの、読むべきではなかった……。

 椅子の背もたれに身体を預けると、大きく息をひとつ吐いた。


 普段なら恋愛もの、しかもティーン向けの小説など読んだりはしない。だが、つい気になってネットで購入してしまった。

 書店ではとても買えないような類いのジャンルだが、つい内容が教師と生徒の恋愛もので、なかなか人気があるという。

 もしや、何か参考になることが書かれているかもしれないと思ったが、冷静になって考えればわかるはずだ。参考になるはずがないと。


「俺は馬鹿か……」

 髪をくしゃりと搔き毟る。

 正真正銘の馬鹿だ。よりによって学生に恋情を抱くなど、まったくの大馬鹿だ。

 彼女、山田ひなたへの想いを自覚した後、ずっと考えていたことがある。

 どうすれば、彼女への想いを断ち切ることができるだろうか――と。


 圭介と友紀の結婚式から一週間が経ったが、いまだに名案が思い付かない。持ち前のポーカーフェイスのお陰で、ひなたと顔を合わせても普段通りと変わらない態度で接せている。

 いつか物語の教師のように抑えられなくなる時が来るのだろうか?

 まあ、自分は情熱的とは対称の位置にあるから、そこまで心配をする必要もないだろう。過去の少ない恋愛遍歴を思い起こしてみても、心配をする要素は見当たらない。

 だから、大丈夫だ。自分のことだ、この気持ちもいずれ醒める日が来るだろう。根拠はないが自信はある。

 自分に言い聞かせて安堵した直後だった。


 研究室の扉をノックする音が響いた。途端、心臓の鼓動が一気に速くなる。思わず息を呑んでしまう。

 ……落ち着け。

 己に言い聞かせると、小さく息を吸い込んだ。

「どうぞ」

 ゆっくりとドアが開く。ドアの向こうから姿を現したのは。

「先生、時間なんで帰りますね」


 パート職員の大原奈美だった。

 そうだ。今日は大原さんの勤務日だったっけ。

 仕事を終えた後、必ず研究室に顔を出すのが彼女の習慣だ。時間が来たら適当に切り上げていいと言ってはいたが、彼女は律儀に仕事開始と終わりに研究室を訪れる。

「ああ、お疲れ様」

 一瞬の戸惑いと葛藤を胸の中に収めて挨拶を返す。


 やれやれ、心臓に悪い。

 大原が立ち去った後、気分を入れ替えようとコーヒーでも淹れようかと席を立った時だった。

 コンコン。

 軽くドアをノックする音が響く。

「……」

 誰が来ても心かき乱されるものかと、気合いを入れて待ち構える。

 そろりとドアが開いた。

 この控え目な動作は……。

 息を呑み込んだ誉の目の前に現れたのは。

「なーんだ、誉くん、いるんじゃない」

 文学部事務室職員、篠原真人だった。

 相手が篠原だとわかった途端、眉間に皺が寄るのがわかる。


「なんだ」

 ぶっきら棒に訊ねると、今度は篠原が眉根を寄せた。

「なんだ、じゃないでしょうが」

 篠原はやれやれ、と首を竦める。

「教員会議。時間になっても来ないから呼びに来たんでしょうが」

「あ」

 しまった。すっかり忘れていた。

「あ、じゃないでしょうが。ほら資料は?」

「ええと……」

 慌ててデスクの上を見渡すが、見当たらない。あんな分厚い資料が見つからないわけがないというのに。

「手の下。資料の上に手をのせてるよ」

「あ、ああ……」

 灯台もと暗しとはこのことを言うのだろう。なんて思いつつ、手の下に敷いていた資料を手に取る。

「あと、教員会議が終わった後、僕とミーティングだから」

「え? あ、ああ」

 一体なんのミーティングだ?

「ほら、急いだ急いだ」


 しかし訊ねる間もなかった。急かす篠原に背を押されながら、研究室を飛び出した。

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