秋の章・6 自覚した想い
「先生、目のやり場に困っていましたね」
挙式が終わり、使ったハンカチを洗ってから返す、いやこのままで構わない……などというやり取りの後、ひなたは悪戯っぽく囁いた。
何気ない彼女の言葉に、一気に血の気が引いた。
まさか……鉄壁のポーカーフェイスが見破られたというのだろうか? 実際目のやり場に困ったのは事実だ。自分では上手く誤魔化せたと思っていたが、どうやら彼女にはお見通しだったということか?
「やっぱり、お父さんのって、ちょっと恥ずかしくて見れませんよね」
「え? ……あ、ああ」
お父さんの?
ということは、つまりは、ええと……鉄壁のポーカーフェイスは健在ということか。
どっと、身体の力が抜けて、このまま座り込んでしまいそうになるが、実際座り込むわけにはいかない。
「確かに……恥ずかしいかな」
ははは、と乾いた笑いを浮かべる。
それにしても世間は狭いものだ。まさか友紀が勤務する老人ホームに、ひなたの祖父が入居しているなんて。しかも、エスコート役である祖父の付き添いで、父の結婚式に彼女まで参列しているとは。
夢にも思わないだろう、普通。
当たり前のように隣りに立つ、ひなたの姿を垣間見る。
淡い桜色のシンプルなワンピースの裾から覗く、白くて細い足。大きく開いた襟ぐりからは、華奢な鎖骨がくっきりと見える。セミロングというにはやや短めの髪は、どうやったのかわからないが、上手いことまとめてアップになっている。
普段は目にすることがない襟足は、片手で掴めそうなほど細い。頬がふっくらしているから気がつかなかったが、全体的に華奢だったのだと今更ながら気がついた。
普段はふんわりした服や、重ね着が多いせいか、身体の線がわかるような服装というのは初めて目にしたような気がする。
目のやり場に困る……。
一方、誉の焦りなど露ほども知らないひなたは、目を輝かせて緑と薔薇で溢れる庭を見渡した。
「わたし、結婚式って初めてなんです。チャペルもですけど、お庭もやっぱり素敵ですね」
夢見るように、うっとりと目を細める。
淡い色合いの小さな薔薇、素朴な花を咲かせたハーブ。野趣溢れる雰囲気ではあるものの、まるで物語に出てくるような幻想的な雰囲気のイングリッシュガーデンに仕上がっていた。ひなたがうっとりするのも、なるほど頷ける。
招待客は思ったよりも少なかった。父圭介の教え子もしくは友紀の友人らしき人物が半数以上を占めているようだ。
飛沢家の親戚縁者を呼ばなかったのは、すでに両親を亡くした友紀に合わせたのか、はたまた再婚だから来てもらえなかっただけなのか。
まあいい。もしこの場に親戚縁者がいようものなら、速効で結婚はどうしたこうしたと槍玉に上げられるがオチに決まっているのだから。
「そういえば、山田さんのお祖父さんは?」
付き添いで来たのだから、一緒にいた方がいいのではなかろうか。
「それが……」
ひなたは困った顔になる。
「急に具合が悪くなったから帰るって……タクシーで帰っちゃいました」
「具合が悪いって、大丈夫なのか?」
ところがひなたは心配するどころか困ったように「そうじゃないんです」と力なく笑う。
「実は、お二人の誓いのあれを見て……ショックだったみたいです」
誓いのあれとは、恐らく誓いのキスのことであろう。その単語を口にするのもはずかしいのか、少々頬を赤らめている。
「しかし……どうして、山田さんのお祖父さんがショックを受けるんだろう?」
素朴な疑問を口にすると、ひなたはさらに困った顔になる。
「老人ホームのおじいちゃん達のアイドル的存在みたいなんです。今日のエスコート役も、誰がやるって揉めていたみたいで……将棋で対戦してうちの祖父に決まったみたいです」
「大した人気だな……」
どうやら友紀は年配の男性に人気があるようだ。確かに友紀は美人である。それだけではなく、年配男性に好かれるような要素があるのかもしれない。
「あの、先生。わたし、そろそろ帰らせて貰おうかと思います」
ひなたの思いがけない発言に、一瞬うろたえる。
「どうして?」
これからブーケトスがあるというのに。だが彼女はまだ学生だ。新婦のブーケが欲しいかは謎であるので、この誘い文句はいかがなものか。
そうだ披露宴はやらないが、近くのレストランでちょっとした食事会がある。立食なので突然の参加でも構わない。もし良ければ一緒にどうか……引き留める言葉がぐるぐると頭をめぐる。
「これからブーケトスがあるそうだ」
結局適切な言葉が見つからず、ブーケトスが口をついてしまった。
彼女は小さく「あ」と漏らした。意外にもブーケトスに興味があるようだ。しかし、そんな自分を恥じらうように、彼女は首を振った。
「でも、わたし、部外者ですし……」
語尾が小さくなると共に、俯いてしまう。
遠慮をしているのか、本当に帰りたがっているのかわからない。帰りたがっているなら帰した方がいいのかもしれない。
だが……。
「部外者じゃないさ」
とん、と細い肩を叩く。ひなたは、驚いたように顔を上げる。
「さあ行こうか」
「は、はい!」
少々戸惑っているようではあるが、元気のいい返事が返ってきて安堵すると同時に、彼女を引き留めようと必死になっていた自分に驚いた。
不味いな……。
胸の中に漂う曖昧な想い。少しずつ形になっていくのを自覚していたものの、その想いに背を向けていた。
しかし、そろそろ限界かもしれない。いつの間にか彼女の姿を目で追ってしまう。いなければいないで、もしかしてと思って探してしまうこともしばしばあった。
……いや待て。恐らく結婚式という場で、気分が高揚しているだけかもしれない。しかも偶然彼女がこの場にいて、しかも普段に増して可愛いというか綺麗というか……。
駄目だ。これ以上考えては余計に深みに嵌まっていく。
己の思考にストップをかけると、気持ちを落ちつけようと静かに息を吐き出した。
すでに新郎新婦の周りには、人の輪が出来上がっていた。数人の女性たちが、ブーケが飛んでくるのを今か今かと待ち構えている。
「君も行ってきなさい」
軽く彼女の背を押して促すものの、ひなたはつんのめるように立ち止まる。
「せ、先生も一緒に行かないんですか?」
まるで置いてけぼりにされた子犬のような目で見上げる。
「私が出る幕ではないだろう」
思わず失笑してしまう。
「さあ」
それでも何か言いたげな様子のひなたの頭に、ぽんと手をのせる。ひなたはくすぐったそうに身を竦める。
「ここで待っているから」
途端、頭にバサッと何かが落ちてきた。慌てて落ちてきたものを受け止める。手の中に落ちてきたものを目にして驚いた。
「これは……」
白い花を基調にして作られたブーケだった。女性陣の痛いほどの視線を感じつつ、ブーケを投げた花嫁を見る。当の本人もまさか誉が受け取るとは思わなかったらしく、驚きに目を見張っているが、どこか愉快そうな様子だ。
「先生」
目の前のひなたは、呆気に取られたようにブーケを見つめ、誉の顔を見上げ、ぽつりと呟いた。
「先生が、次の花婿さんですね?」
「おいおい…………」
ブーケを受け取ったからには、そういうことになるわけか? いや、そういうわけにはいかないだろう。
手にしたブーケを、ひなたに差し出した。
「あの、先生?」
それでもきょとんとしている彼女の手を取ると、ブーケをその手に握らせた。
「こういうものは、やはり女性が受け取らないと」
「え、え、ええっ?」
自分の手の中に納まったブーケと誉を交互に見ながら、ひなたは戸惑うように訊ねる。
「あの、これ、わたし……いいんですか?」
「もちろん」
やはり女性が持っていた方が、いや、彼女が持っていた方がブーケだって嬉しいだろう。
ひなたは感極まったのか、頬を紅潮させて涙ぐむ。本人も自覚をしたのか、慌てて涙を隠すかのように瞬きをする。
「……先生」
潤んだ瞳を隠すように、ブーケに視線を落とす。
「ありがとうございます」
不意に視線を上げると、はにかむように微笑んだ。
その笑顔があまりにも綺麗で……もっと上手い言葉で形容できればいいのだろうが、今の自分では上手い言葉や形容詞などで表せそうにない。
そこまで喜ぶほどブーケが欲しかったのは、思いを寄せる相手がいるからなのだろうか? 勘繰ってしまう自分の了見の狭さに笑いたくなる。
そんな笑顔を浮かべるような相手が、彼女の心に棲みついているのかと思うと、胸が燻るように苦しくなる。
ああ、やっぱりそうか……。
蓋をしていた想いの正体を、改めて自覚する。
どうやら俺は、彼女に…………恋をしているようだ、と。
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