秋の章・2 結婚式は気合を入れて
「あのスーツ着るつもり?!」
どこから情報を入手したのか、篠原の話題は明日の結婚式だった。スーツの話になった途端、篠原は血相を変えた。
何に一体驚いているのだろうか。
「冠婚葬祭用だぞ。何の問題もない」
「あるよ! 大有りだよ! お父さんのハレの日に、何が悲しくて葬式にも着ていけるようなスーツを着るんだよ!」
「だからネクタイを」
「駅の売店で買ったネクタイだよね。却下」
去年の友人の結婚式には篠原も出席していたから、誉が間に合わせに駅の売店でネクタイを購入したことを知っている。嘆かわしいと言わんばかりに、大げさな溜息を吐いた。
「よし……俺のスーツを貸してあげよう」
「別に必要は無い」
「駄目だって」
いつになく篠原が強い口調で嗜める。
「そのスーツだって、もう何年も前に買ったものでしょうが」
「う……」
篠原の指摘どおり、五、六年前に買ったものだ。
「普段のスーツだって、もう何年目だよ。金が無いわけじゃなんだからさ、そろそろ新調しなよ。あ、もちろんオーダーメイドだよ」
体型が変わらないのをいいことに、数年同じものを順繰りに着ているのは事実だ。まさか篠原に指摘されようとは思ってもみなかったが、篠原が学生の頃から着道楽だったと思い出す。
反して誉は着たきりスズメ……高校生の頃、確か修学旅行の時だったはずだ。自由行動で誉の私服を目にした篠原の第一声はいまでも忘れられない。
「うわ。ださー」
ださー?
直後は何を言われたのか理解できなかったが、そのまま服屋に連行されて、ようやく理解した。
ださー、とは、ダサい。
つまり、格好悪い、野暮ったいと言われたのだと。お土産を買うための小遣いを、勝手に洋服代に注ぎ込まれたと気が付いた時だった。
そんなこともあったな。
ずいぶん昔のことなのに、あの衝撃は今でも忘れられない。せっかくの修学旅行だというのに、奴のお陰で饅頭一箱すら買えなかったのだから。
「親父さんの晴れ舞台っていうのもあるけど、出会いの場でもあるからさ、結婚式って。新婦の友人って結構狙い目らしいよ。だから、せっかくの婚活の場で、もっさりしたスーツで行ったら駄目だって。誉くんも磨けばそれなりになるんだから、もっと頑張らないと」
もっさりとは、あんまりな言われようだ。
篠原の遠慮ない物言いは、非常に腹が立つ。事実を告げているからこそ腹が立つのだろうが、とにかく腹が立つ。
こいつに遠慮など無用だ。そこまで言うなら、遠慮なく新品の一張羅を貸してもらおうじゃないか。
「そこまで言うなら、ありがたくスーツは貸してもらおう」
借りる立場で偉そうな態度だとは思うが、腹が立つのでこの際気にしない。篠原自身も自分の提案を受け入れたからなのか、誉の態度をさほど気にしている様子もない。それどころか満足そうに、うんうんとひとり頷く。
「そうしなさい、そうしなさい。そうだ。明日お昼からだろう? ついでにヘアセットもしてあげるよ」
「いやに親切だな」
「ま、誉くんの明るい未来のためなら人肌脱ぎますって」
「何を企んでいる」
必要以上に親切な篠原なんて気味が悪い。思わす身構えると、篠原はあっさりと白状した。
「ほら、お父さんのお嫁さんって、俺らとそんなに歳変わらないじゃない? だからさ、新婦友人で良い人がいたら紹介してよ」
ああ、そういうわけか。
しかし、そう簡単に良い人が見つかるかもわからない。
「いたらな」
「いたら、じゃなくてさ。もっと積極的にならないと一生独身だよ?」
「大きなお世話だ」
「もしかして、もう目当ての人がいるから関心がないとか?」
「そういうわけでは……」
無い、と続けようとした瞬間、ふと山田ひなたの顔が浮かんだ。
おい、ちょっと待て! どうして彼女が浮かんでくるんだ!
慌てて彼女の面影を頭の中から追い払うと、頭を無造作にかきむしった。
「無い。断じて違う」
うっかりむきになって否定してしまう。
……おい、これでは肯定しているようなものではないか!
篠原に追求されやしないかと冷や冷やしていたが、意外にも篠原の反応は薄かった。
「ふうん、そっか。だったら頑張らないと、結婚式」
「ああ……そうだな」
突っ込まれるのは厄介ではあるが、何も言われないのも妙な気分だ。だがもし詮索されても、何も答えることなどできやしない。
彼女は学生だ。学生相手にそんな感情を抱くべきではない。しかも、自分が中学生の頃、彼女はまだ生まれたばかりの赤ん坊だ。
考えてみると彼女と自分の間には、恐ろしいほど長い年月が横たわっているのだと今更ながらに思う。
思うのだが……。
「じゃあさ、一旦帰ってから誉くんちにスーツ持って行くから」
「ああ」
上の空で答える。
「夕飯どうする? なんか適当に買ってこようか?」
「ああ」
「弁当でも適当に見繕ってくるから、誉くんは酒ね。俺ビールがいいな。あ、発泡酒はNGだから」
「ああ……」
「スーツに合わせて髪のセットもやるから、今夜泊まるよ。いいよね?」
「ああ……って、ええ?!」
適当に相槌を打っていたものだから、いつの間に篠原が泊まりにくることになったのか理解できない。
「いや……泊まりにくると言われてもだな。我が家には布団は一組しかない」
生真面目に告げると、篠原は屈託の無い笑顔を浮かべる。
「別に一緒に使えばいいんじゃない?」
冗談じゃない。心底嫌そうな顔になるのを自覚する。
「真に受けないでよ、冗談に決まってるだろ」
冗談だったのか。
「まだ暑いんだから、畳の上で雑魚寝で十分だって」
「まあ確かに……だが髪のセットくらい自分でどうにかなる」
結婚式の前日(父親のだが)に人が泊まりに来るのは、別に構わないといえば構わないのだが、やはり落ち着かない。
「スーツを借りるだけで十分だから」
やんわりと断った。しかし。
「駄目。せっかくの俺のスーツが台無しになる」
「どういう意味だ?」
「さあ?」
どうせ「ださー」と言いたいのだろう。少々腹立たしくもあるが、ファッションセンスがイマイチなのは自分でもわかっている。
それに、篠原の言うとおり、少々気合は入れてもいいのかもしれない。
「……わかった」
観念した方がよさそうだ。誉は肩を落とすと、篠原の提案を受け入れることにした。
停滞してしまい申し訳ありません…。
まだ続きますので、よろしかったらお付き合いください。




