夏休みの章・8 まさかの遭遇
会いたいと思っていたものの、本当に会えるとは夢にも思っていなかった。
ぼんやりと店員に代金を支払う飛沢の姿を眺めていたが、ひなたは重大なことに気が付いた。
しまった、服が!
今日のひなたの出で立ちは、中学の頃から来ているTシャツに弟祥太郎のハーフパンツだった。
それにお化粧していないし!
髪はそれなりに整えてあるものの、今朝ワックスを付けたかどうか疑問である上、顔はスッピン。眉毛くらい書いておけばよかったと後悔したところで後の祭り。
会えたらいいのに、なんて一人で思っている分には構わなかったが、とてもじゃないが、あまり人様にお見せできるような姿ではない。
ああもう、わたしのバカ!
日頃から手抜きをしていなければ、余計なところで気にせずに済んだというのに。
「えと、あの、ありがとうございました」
お礼を告げる冷静さが、辛うじて残っていたのは幸いだった。羞恥の嵐が吹き荒れる内心を抑えながら、ぺこりと頭を下げる。
「あとでお代は返します」
スッピンのままでは、まともに顔を合わせられない。足元を見つめながら、これからは近所でも軽くメイクしようと心に決める。
「落し物?」
「え?」
唐突に問われて、うっかり顔を上げてしまうと、至極真面目な面持ちの飛沢と目が合った。すると、飛沢はちょっとびっくりしたような顔になってから、気まずそうに目を逸らす。
「いや、ずっと下を見ているからどうしたものかと思ったものでね」
「あの、いえ、その」
指摘されるほど下ばかりを向いていたとは。焦って言い訳を探すが、咄嗟に上手い言葉が見つからない。
「ま、眉毛が」
まさか眉毛の手入れをしていなかったから、とは言いにくい。そう思っていたのに、つい口から出てしまった。
「眉毛?」
案の定、飛沢は怪訝そうに眉をひそめる。
「あのっ」
恥ずかしさに、一気に顔が熱くなるのを自覚する。
「実は……今、メイクをしていないものでして」
「メイク……お化粧?」
「はい」
「別に気にする必要は無いと思うがね」
気にする必要がない。それは、メイクをしてもしなくても同じという意味なのだろうか?
「……それは、してもしなくても同じっていうことですか?」
「いや、そうじゃない。山田さんは肌が綺麗だから、あ。コロッケが」
「コロッケ?」
事も無げに衝撃的発言をすると、ひなたの足元を指差した。
「! チビ太!」
手にしていたコロッケがない。いつの間にか、チビ太にコロッケを奪われていたらしい。地面に落ちたコロッケは、チビ太のものになっていた。
「……チビ太はコロッケが本当に好きだな」
ぼそりと飛沢が呟いた。
「もうチビ太ってば……先生、すみません」
元々半分こするつもりであったが、せっかく飛沢に買ってもらったコロッケだというのにあんまりだ。しかも、コロッケを無駄にされたと飛沢に思われても仕方がない状況でもある。
情けない気持ちと、申し訳ない気持ちと、恥ずかしいような気持ちと。様々な気持ちが入り混じり、小さなため息をもらしてしまう。
「少し待ってなさい」
突然飛沢の手が頭の上に降りてきた。ぽん、と弾むように軽く叩かれる。
「え、あの」
「すぐに戻ってくるから」
黒いセルフレームの眼鏡の向こう側にある双眸が、柔らかく細められる。
「わ、わかりました」
滅多に拝められない貴重な笑顔だと気づいたのは、飛沢が荒井精肉店へ向かうために背を向けてからだった。
肌が、綺麗か。
綺麗なのは肌であって、ひなた自身ではない。しかし、肌だってひなたの一部ではある。
飛沢の一挙一動に振り回されているような気がする。もちろん、飛沢自身は振り回しているつもりも自覚もないのだろうけれど。
「なんか、ずるいなあ……」
火照った頬を押さえながら、大きく息を吐き出した。




