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夏の章・14 意外な思い

「先生」


 真っ赤に染まった顔のまま、ひなたは真剣な面持ちで言った。


「ここの道を曲がると、すぐわたしのうちなんです。ちょっと立ち寄ってもいいですか?」

「ああ、もちろん」


 つい一昨日行ったばかりだから知っている。それに最初から、ひなたを自宅まで送ったら、後は一人で帰ろうと思っていたのだから。


「こっちです」


 率先して歩くひなたに付き従うように住宅街の角を曲がる。数軒先に青い紫陽花が庭先から覗く家が、外灯の明かりに浮かび上がる。


 土曜日ひなたを送ってった時も、日が暮れた後だから家の外観の印象は薄い。ただ、ほの明るい外灯に浮かび上がる鮮やかな紫陽花の青が印象的だったのを覚えている。


「きれいな紫陽花だな」


 陽の下で見たら、また印象が違うのだろうなと思いながら呟くと、意外そうにひなたが訊ねる。


「あの……花とか好きなんですか?」


 彼女の反応に、何かおかしな発言をしてしまっただろうかと不安を覚える。


「きれいだと思う程度だが……何かおかしいだろうか?」

「いえ、そういうわけではないのですけど!」


 ひなたは慌てた調子で、頭を振る。


「うちの父も弟も、実がなる植物しか興味がないんです。だから男の人ってそういうものかなって思っていたから、ちょっと意外だっただけで……すみません」


 男が花を愛でるのが意外ということなのか。

 はたまた、飛沢誉という男が花を愛でるのことが意外なのか。


「いいえ、あの、別にへんな意味じゃないんですよ」


 彼女は嬉しそうにはにかんだ。

 ……まあいいか。悪い意味ではないのだろう、きっと。


「あの、先生。ここで、少し待っててもらえますか?」


 ひなたは自宅を指差して訊ねる。


「ああ……」

「ちょっと待っててくださいね」


 ひなたは小走りで自宅に向かうと、すばやくバッグから鍵を取り出してドアを開く。


「ただいま」


 開いたドアの中から、おかえりと返す青年の声が聞こえる。弟であることは、前回行った時に会ったから知っている。

 明かりの零れるドアの向こうへと消えていくひなたの姿を、誉はぼんやりと眺めていた。


「…………」


 このまま帰ってしまおうとも思ったが、今更になって気が付いた。

 しまった……彼女に荷物を持たせてたままだった。

 荷物を持って行かれてしまってはそれもできない。大人しく彼女が出てくるのを待つしかない。

 五分くらい待っただろうか。玄関のドアが元気よく開いた。


「先生、お待たせしました!」


 いつもより三割増くらいテンションが高い気がする。張り切った様子で登場したひなたは、当然のように誉の隣りにやってきた。


「…………」

「では行きましょう……先生?」 


 もうここまでで十分だから、と。

 ここから一人で帰るから平気だ、と。


 言おうと用意していたはずの言葉が、何故か出てこない。言わなくてはと思っているのに、心のどこかでは言いたくないと思っている自分に、今更ながら気がついてしまった。


 おい、ちょっと待て。


「先生?」


 一体俺は、何を考えているんだ?


「……ああ。行こうか」


 一瞬心を掠めた思いに驚愕したが、そこは普段から鍛え上げた仏頂面。幸い驚愕の表情は表に出ることはなかったが、内心血の気が引く思いであった。


 自分の心なのに、自分の心に湧きあがった思いを、誉自身が信じられなかった。

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