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夏の章・7 予想外の人と遭遇

「小原くん正気? この人がメンバーに加わったら盛り上がる会も盛り上がらないよ?」


 この人、とは当然誉のことである。篠原は、誉を指差しながら至極失礼なことを口走る。


「だったら、お前ひとりで行ってこい」

「やだなあ。冗談だよ、冗談! 今日は誉くんと飲みに来たんだしさ」

「これを飲み終えたらお開きにしよう」


 誉は汗を掻き始めたジョッキを手に取ると、一気に半分飲み干した。


「うわ、誉くん本気だ」


 篠原慌てる。ちょっといい気味だ。


「ま、冗談はさておき。さすがに学生同士の合コンに参加はできないよ」


 合コン合コンとしつこく繰り返している篠原も、さすがに学生相手の合コンには参加する気はないらしい。すると順也は笑いながら否定する。


「いえ、男連中は全員社会人です」

「へえ? そうなんだ」

「はい。サークルのOBがメインなんです。歳は一番上の人が三十だったかな? あと女の子たちは高校の部活の先輩なんです。うちの大学の子ってわけじゃないから、篠原さんと先生もどうかなと思ったんですけど、やっぱ駄目ですかね?」


 そっかあ、と篠原は思案するように軽く目を閉じる。

 これは不味い……。

 今の篠原の状態は、すでに八十パーセント以上乗り気になっているに違いない。不本意ながらも篠原とは付き合いが長いせいか、なんとなくわかってしまう。


 二人が盛り上がっている間に退散してしまおうか。

 順也が油を売っている間に、他の店員が運んできた枝豆を摘みつつ、残りのビールを飲み干しつつ考える。


「小原くんの先輩ってことは、二十四、五歳くらい?」


 誉が密かに帰り支度を進めていることも知らず、篠原は合コンの詳細に探りを入れる。


「だいたいそんなもんです」

「全員で何人いるわけ?」

「女の子六人、男四人の十人です。実は女の子も一人助っ人で……あ、そろそろヤバイかも」


 順也の視線を追って、カウンターの奥へ目をやると、店員の男性が無言で睨みを利かせている。


「すみません持ち場に戻りますね、ってことで、気が向いたら声掛けてください」


 そそくさと持ち場へ戻っていく順也の背中を見送ると、誉はおもむろに椅子から立ち上がった。


「あれ、どこ行くの?」

「便所」

「あー誉くん、先にもう飲んでる!」


 すでに空っぽになった誉のジョッキを目にして、篠原は不満の声を上げる。


「お前を待っていたら陽が暮れる」

「白状だなあ」

「何が白状だ」


 ぶつぶつ文句を言いながらビールを傾ける篠原を一瞥すると、手洗いはどこかと辺りを見渡す。


「先生、ここ真っ直ぐ突き当たって右です」

 カウンター越しから順也が、手洗いの場所を指し示す。


「ありがとう」

 店の奥へと歩いて行くと、通路はTの字になっている。右側には確かに手洗いと印刷された暖簾が下がっている。左側はまだ客席があるらしく、何やら騒がしい様子だ。恐らく大人数向けの座敷でもあるのだろう。


 喧騒を背に手洗いの暖簾をくぐると、手前には男性用、奥には女性用のドアが並んでいる。誉がドアの取ってに手を掛けようとした時、突然女性用のドアが勢い良く開いた。


 驚きのあまり、思わず立ちすくんでしまう。すると、続いて中から若い女性が、ふらついた足取りで姿を現した。

 肩の辺りできれいに切り揃えた栗色の髪。俯いた首のラインが、ひなたに似ているような気がした。


 大学から近い居酒屋なのだから、彼女が居てもちっともおかしくはない。しかし、さすがにそうタイミング良く会いはしないだろう……と思っていたが。


「あ」


 誉を見るなり、その女性は大きく目を見開いた。


「……飛沢、先生?」


 どうやらタイミング良く会うこともあるらしい。山田ひなたに似ていると思った女性は、まごうことなき本人であった。

 誉も驚きの声を上げそうになるが、辛うじてそれを飲み込む。


「ああ……こんばんは」


 こういう時、何を言えばいいのだろうと、目まぐるしく思案した挙句、結局ごく平凡な挨拶しか出てこなかった。


「こ、こんばんは」


 ひなたも慌てたようにお辞儀をするが、アルコールが回っているせいであろう、ふらりと身体のバランスを崩してしまう。


「わ」

「!」


 誉は慌てて手を伸ばすと、転がるようにひなたの身体が飛び込んできた。すとん、とそのまま誉の腕の中に収まってしまう。


 うわ。


 抱き留めた途端、細い身体にも関わらず、ふんわりと柔らかい感触に驚く。

 ここ数年、女性との付き合いが途絶えていたせいもあるのだろう。年甲斐も無く動揺してしまった自分自身に一番驚く。


「ごめんなさい……」

 誉の顎の下から、くぐもった声が聞こえる。

「あ、ああ」 


 ひなたの肩をつかんでゆっくりと自分から引き離した。途端、ふわりと髪から甘い匂いと煙草の匂いが鼻を掠める。


「大丈夫か?」

 ひなたの顔を覗き込む。くたりと俯いていた首を持ち上げた。

「はい。大丈夫です」


 とろりとした眼差しを向けると、ゆるい笑を浮かべる。

 これは、思ったより酔っているな……。

 あまり顔に出ないタチなのだろう。顔色だけ見ると、とても酔っているようには見えなかった。誉に支えられながら、どうにかして自分の足で立つ。


「ありがとうございます」


 ひなたは律儀に頭を下げる。今度は身体のバランスを崩さない程度の会釈だった。


「ずいぶん飲んでいるな。そもそも君はまだ未成年だろう?」

「すみません……」

「もうソフトドリンクだけにしておくように」

「はい」

「歩けるか?」

「はい……」


 一応は受け答えはしているものの、ちゃんと誉の話を聞いているのかアヤシイものだ。


「山田さん、今日はもう帰った方がいい」

「帰りたいのは山々ですが、ダメなんです……」


 頷くばかりのひなただったが、今度は頑なに首を振った。


「まだ終わっていないので……」

 何が? 誉が訊ねようとした時だった。


「あーいたいた!」

 振り返ると、見知らぬ青年が「手洗い」と描かれた暖簾を跳ね除けて、無遠慮に近づいてくる。


 誰だ? 


 歳の頃は、二十代半ばといったところであろうか。スポーツマンタイプの清潔感ある青年だった。


「山田さん。大丈夫?」

 青年は誉の存在を無視して、ぼんやりと佇むひなたの腕を掴む。


「え、あ、あの」

 ひなたの顔に戸惑いが浮かぶ。


「ほら戻るよ。皆待ってるから」

「あの」

 制止の声を上げる彼女を他所に、青年は彼女の腕を引いて歩き出す。


「ちょっと、ちょっと……待ってください」


 青ざめた顔で、ひなたは懇願する。しかし青年は笑って彼女の要望を却下する。

「ダメダメ。ほら行こう」

 これは見過ごすわけにはいかない。誉は青年の肩を掴んだ。


「やめなさい。嫌がっているだろうが」


 すると青年は怪訝そうに誉を一瞥すると、ひなたに目配せをする。


「山田さん……何このオッサン」

 オッサン!


 確かに青年よりは歳上だが、オッサンと言われるほどの年齢差ではない。反論しようと口を開きかけた時、ひなたに異変が起きた。


「うっ」


 ひなたは呻き声を上げると、空いた片手で口元を押さえてしゃがみ込んでしまう。青年は彼女が嘔吐しそうなのだと悟ったのだろう。掴んでいた腕を素早く離し、ひなたから距離を取る。


「山田さん、どうした?」


 面識のない男にオッサン呼ばわりされたがどうした。誉はしゃがみ込んだ彼女の隣に膝を折る。顔を覗き込むと、ひなたの顔色はまるで紙のように真っ白だった。


「もしかして、吐きそうなのか?」

 誉が訊ねると、小さくこくこくと頷いた。

 さすがにここで吐くのは不味い。

「山田さん、吐くならトイレで……」

 ひなたの肩を支えて、立ち上がらせようとした時だった。


「う……」

 彼女なりに我慢していたようだが、とうとう堪えられなかったらしい。

「ひゃああ」

 ひなたが嘔吐した途端、青年は情けない声を上げて飛び退ったのだった。

予想外といいつつ、あんまり予想外じゃなかったかも……?

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