表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/99

夏の章・3 父の頼みごと

『明後日の午後、空いてますか? もし空いていたら、頼みたいことがあります』


 研究室に戻り、さっそく父圭介からのメールを開いた誉は、思わず眉を寄せた。


 頼みたいこと?


 明後日は土曜日だ。町内の草刈り当番の代理を頼みたい、という可能性が濃厚だ。休日と言えども、仕事以外の仕事も飛び込んでくることもよくあったものだと思い出す。

 誉が小中学校の頃、圭介が務める中学校はかなり荒れていたらしく、生徒が補導されたとかなんとかで、休日だけではなく深夜でも警察から呼び出されたりしていたものだ。


 とはいえ、あれから二十年近く経っているのだ。今はさほど中学校も荒れているようではないし、圭介自身の立場も変わった。若い頃のように駆けずり回るようなことも、今は無いはずだ。しかし、忙しいことには違いないのだろう。

 今回はさほど緊急性は無さそうだが、予期せぬ用事が入ってしまったに違いないと、誉は判断する。


 生憎今週末は特に予定も入っていない。やらねばならない仕事もあるにはあるが、半日くらい親孝行だと思って空けられないわけではない。


『空いているけど、何?』

 素っ気ないメールを返すと、数分も経たないうちに圭介からの返信が届いた。

『私の代わりに、友紀さんに付き添って欲しいんだ』



 *  *  *  *  *



「誉さん」


 その人物は、改札口を出るなり大きく手を振った。

 ――誰だ?

 待ち合わせ駅の改札口から、人波をすり抜けながらラベンダー色の服を身に纏った女性が駆けよって来る。


「お待たせしました」

 女性は軽く息を弾ませ、ぺこりと小さなお辞儀をした。


「今日は、よろしくお願いします」

 親しみを込めてほほ笑む女性は……思い出した。

 先日父の再婚相手として紹介された女性、廣瀬友紀であった。


「あ、いえ。こちらこそ……」

 誉も慌てて頭を下げる。


 圭介の頼みとは、友紀のウェディングドレス選びに同行して欲しいというものだった。

 一応は抵抗を試みたものの、圭介の強い押しに押されまくって、結局は折れて今に至る。


 ――女性は、服装でずいぶんと印象が変わるものだな。

 どうも黒いスーツ姿の印象が強かったせいもある。しかし今日は涼やかなラベンダー色のワンピース姿で、ひとつに結んでいた髪も、今は下ろして細い肩を覆っていた。デザインはずいぶんとシンプルだが、顔立ちが派手な彼女にはちょうどいいくらいなのかもしれない。


「歩くとちょっと掛かりますけど、よかったら歩いて行きませんか?」

 友紀が提案をする。

 予定の時間よりもまだ早い上に、今日は気温も湿度も低く過ごしやすい気候だ。おまけにこの辺りは、都心部に位置しながらも街路樹などの緑も多い。少し奥に行けば閑静な住宅街が立ち並ぶ。つまりはちょっとした散歩に相応しい雰囲気だった。

「そうですね」

 友紀の提案に頷くと、彼女の歩調に合わせて、青々と茂った街路樹が並ぶ歩道をゆっくりと歩き出す。


「この道を真っ直ぐ行って、大通りを渡ったら桜並木があるんですよ」

「あの通りには、自然酵母で作ったパン屋さんがあって」

「この花屋さんは野草も置いてあるんですって」


 ぽつりぽつりとではあるが、行く道先で友紀はあれやこれやと説明をする。

「この辺りは詳しいのですか?」

 この界隈は、女性がいかにも好みそうなカフェやレストランも多い。友紀が詳しいのも当然だろうと思っていたが、彼女は「いいえ」と頭を振った。

「実は、圭……お父様の受け売りです」

「へえ……」


 あの父が?

 意外……いや、彼女のために色々と調べたのだろう。間違いなく。

 知らない父の一面を見た気がして、むずがゆさを伴った奇妙な気分である。


 意外。意外といえば、割と会話が続いていること自体が意外である。

 彼女の話の振り方が上手いのか、お互いに会話を続けようと無意識に努力しているせいなのか。


 ――そう言えばこの人、俺とたいして歳が変わらないんだよな。


 美人な上、気さくで、初対面でも話やすい。どうして親子ほど歳が離れた圭介と結婚などしようと思ったのか、さっぱり理解できない。


 まさか――今流行りの保険金狙いか?


 不吉な考え頭を呼びる。圭介が契約している生命保険の受取人は現在は誉の名義になっているが、結婚すれば彼女が受取人になる可能性が高い。


 ……退職金という線もあるな。


 あと十年くらいで圭介も定年退職を迎える。大企業の幹部役員ほどは貰えないとしても、公務員である圭介はそこそこの退職金が支払われるだろう。

 だが、彼女のような美人だったら、わざわざ初老の中学校教師なんて狙う必要があるだろうか? 


 ――ますます、わからん。

 考えてもわからないなら、探りを入れてみるか――と不埒な考えに至った時だった。


「今日は……ごめんなさい」

 突然の友紀の謝罪に、誉は足を止める。

「……何がでしょう?」

「本当は、結婚式なんて挙げる必要は無いと思っていたんです。でも、土壇場になったらつい欲が出てしまって……すみません」

 友紀は苦笑いを浮かべると、足元に視線を落とす。


 恐らく彼女に対して誉が不信感を抱いていることなど、お見通しだったのだろう。そして、圭介に対しても思っていた。再婚なのに、わざわざ式など挙げる必要がどこにあるのかと。


 そうだ。彼女にとってはこれが初めての結婚なのだ。

「……いいじゃないですか、結婚式」

 しばし考えた挙句、こんな気の利かない台詞しか出てこなかった。不甲斐ないとはわかっていながらも、自らの意見を語る。


「うちの父だって望んでいるのですから、挙げてください」

「いいのですか?」

「もちろんです」

「じゃあ、わたしのこと『お母さん』って呼んでくれますか?」

 思っても見ない発言に絶句する。すると友紀はくすりと笑う。

「冗談です」

「……一瞬、本気にしました」


 つい本音を漏らすと、今度は明るい笑い声を立てる。どうみても保険金や退職金狙いの悪女(今時言わないか)には思えない。


「誉さん、素直ですね」

「……いや、そういうわけでも」

 この歳になって素直と言われてもだな。


 困り果てた誉は、無造作に頭を掻き毟る。一方、笑顔を取り戻した友紀は、小さく肩を震わせながら疑問を投げかける。


「でも本当にいいのですか? ドレス選びなんて、男の人には興味がないでしょう?」

「確かにドレスにはさほど興味はありませんが、父があなたを一人で行かせるわけには行かないと煩くて」


 しまった。これでは嫌々来ましたと言っているようなものではないか。

「……いえあの、何事も経験と言いましょうか。今後の参考になるかとも思いまして」

 何が今後の参考だ。心にも無いことを。

 だが友紀は口からデマカセだとは知るわけもない。


「誉さんの彼女さんに悪いことをしてしまいましたね……」

 どうやら誉に付き合っている相手がいると勘違いしたらしい。

「いえ! 今後とは言っても、一体いつになることやら、私自身見当もつかないくらいですので……」

 慌てて訂正を始めたものの、彼女不在をわざわざ宣言しているようで、つい語尾が濁ってしまう。


「とにかく、お気になさらずに」

「……わかりました」

 神妙な面持ちで頷いた彼女だが、笑いを堪えようと努力しているのだろう。一文字に引き結んだ唇が、微かに震えている。


「……あなたこそ、いいのですか?」

 今度は誉の方から訊ねてみる。

「わたし、ですか?」

 友紀は、きょとん、と目を瞬いた。


「私ではなく、親御さんに同行していただいた方がよかったのでは?」

 口に出して今更思う。

 そうだ、彼女のご両親の方が適任ではなかろうかと。つい圭介の懇願に負けて引き受けてしまったが、その方がごく一般的であり、一番問題が無いように思えた。


 しかし。

「いえ、もう両親は他界してしまったもので」

 さらりと彼女が告げた事実に、一瞬言葉を詰まらせる。


「……ああ」

 申し訳ない、と続けようとするが、ここで謝っていいものか悩む。

 誉も中学生の頃、母親と死別している。何かしら母親のことを聞かれ、事実を告げると、誰もが決まって「ごめんね」と言われるのが嫌だった。

 しかしそれは誉の場合だ。友紀がどう思うかまではわからない。


「今日来れなかった方々の分も、良い物が見つかるよう努力します」

 圭介と、彼女の両親の分も……などと言ったらおこがましいかもしれないけれど。


 誉の気持ちが伝わったかはわからないが、友紀はそっとほほ笑むと「ありがとうございます」と呟いた。 

波乱は、もうちょっと後になりそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ