表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/99

春の章・13 恋の告白?

 彼女――山田ひなたが、再び研究室の扉を叩いたのは、二十時を少し超えた頃だった。


「し、失礼します!」

 弱気なノックの音とは対照的に、妙に力んだ声だった。


「どうぞ」

 明日の会議資料に落としていた視線を上げると、静かに開いたドアの向こうから、何やら思いつめた表情のひなたが姿を現した。


「あの、郵便物、出してきました……」

 誉の顔を見た途端、ひなたは視線を泳がせると、またいつもの弱々しい声で告げる。

 人の顔を見た途端、一体何なんだ。


 ここまで極端な態度を示されると、正直へこむ。いくら相手がひと回り以上年下の学生であろうと、大して親しくもない相手だとしても、へこむものはへこむのだ。


「それで、あの、領収書を持ってきました」  

 まるでおもちゃの兵隊のようにぎくしゃくとした足取りで、誉の机に向かって歩き出した。誉も椅子から立ち上がると、自ら彼女の方へと歩み寄る。


 一瞬、ひなたの表情が強張る。しかし今度は挑むように唇を引き結んだまま、手にした領収書を突き出した。


「これ、です」


 まるで果たし状でも突き付けられたような気分になるが、誉は無言で小さな紙切れを受け取った。すぐさま回れ右をして誉の目の前を立ち去ると思いきや、まだ何か待っているかのように俯いたまま立ち尽くしていた。


 今日の業務はもうおしまいだ。時間が過ぎているのだから、そのくらいわかりそうなものだが「もう帰ってもいい」の一言が無いと不安なのかもしれない。


「……もう遅いから気を付けて帰りなさい」

 するとひなたは、おずおずと顔を上げ、思い詰めた面持ちで誉を見つめる。


「……あの!」

 訴えるような必死な声と双眸。緊張しているのだろう。目に見えて、彼女の白い頬が紅潮していくのがわかる。


「飛沢先生……わたし、あの」

 振り絞った声はか細いが、必死に何かを伝えようとしているのがわかる。まだ幼さを残した彼女だが、あまりにも真っ直ぐな瞳を向けられると、妙に落ち着かない気分になってくる。


「山田さん?」

「実はお話したいことが、ありまして」

「話?」

「は、はい」

 こくりと頷いた途端、ひなたの顔や耳元が真っ赤に染まる。


「あ、あの……」


 ――一体なんだ、このシチュエーションは。


 ひなたの緊張が伝染したかのように、誉まで緊張してきたようだ。心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。

 これまでの人生で、このような状況で起こりうるシチュエーションを思い起こせば、ひとつしか思いつかない。


 あれだ。口にするのも恥ずかしい……恋の告白というやつだ。


 しかし、だ。山田ひなたとは、まだ片手で数えられるほどの回数しか顔を合わせていない。しかも彼女は、誉に対して恐怖に近い感情を抱いているのは明白だ。

 このような経緯から、恋の告白に至るには相当無理がある。有り得ないと言ってもいい。


 だが。

 真っ赤な顔で痛々しい程緊張し、切なそうな瞳で見つめられては……他に何があるというのだろう。


 いいや!

 誉は力強く否定する。


 そんな莫迦な話があるか。あるはずがないだろう、絶対に。

 そうだそうだと言い聞かせると、誉は己を奮い立たせようと一歩踏み込んだ。


「山田さん。言いたいことがあるなら、遠慮なくいいなさい」

 誉が距離を一歩分縮めた途端。

「すすすす、すみません!」

 ひなたは一気に後ろへと飛び退った。まるで忍者を思わせるような身のこなしに、半ば感心をしてしまう。

「あの、やや、やっぱりお話はまた改めて……お時間取らせちゃってごめんなさい!」

 ひなたは茹でダコのように真っ赤になりながら、よたよたとした足取りでドアへたどり着く。


「お先に、失礼します!」


 音を立ててドアが閉まった途端、室内に沈黙が戻る。

「…………なんだ、今のは」

 ぽつり、呟く。

 誉の微かな呟きは、壁時計が秒針を刻む音に掻き消えた。




 * * * * *




 飛沢の研究室から飛び出した後、ひなたは化粧室へ逃げるように直行した。洗面台の鏡に映った自分の顔は、茹でたように真っ赤である。

 蛇口を勢いよく捻ると、冷たい水で顔を洗った。化粧が落ちてしまうと、途中で気が付いたがマスカラもアイライナーもをウォータープルーフだ。ファンデーションは多少落ちても大した問題は無い。


「や、やっぱり言えなかったよ……」


 化粧が落ちても大して変わり映えしない自分の顔を眺めながら、ひなたは情けなく眉を下げる。

「来週は、ちゃんと言えるかな」

 言ったら怒るだろうか。アルバイトをクビにされてしまうだろうか。

 今更になって、不安が降り積もってゆく。


 ――まさか、こんな形で再会してしまうとは思わなかったけど。


 もしかしたら、同じ大学の学生かもしれないとは思っていた。でもまさか、先生の方だとは思ってもみなかった。

 普段はなかなか人の顔と名前を覚えないくせに、どうして一度会ったきりの飛沢を覚えていたのか謎ではあるが。


 ――やっぱり、あの目付きかな。


 目付きが悪いというわけではないが、真っ直ぐに見据えるような眼差しは、ちょっとした迫力がある。


 ――あとは、コロッケと、ずぶ濡れの本のせいだ。


 この三つのキーワードが揃った時、あの雨の日の記憶が鮮明に蘇ってしまった。気付かないままだったら、どんなに気楽だったろうに。


 ――やっぱり、怒るかな。


 順也も奈美も言っていたじゃないか。実は結構可愛いところがあって、面白いところがある人だって。


 ――ということは、悪い人ではないってことだよね?


 そう思いたい。そうであって欲しい。

「ああ、もう!」


 もう一人の自分が耳元で「黙っていればわからないよ」と囁く。でも黙っていたら、ずっと心苦しいままだ。それに、もしかしたら飛沢の気分を悪くするだけかもしれない。単なる自己満足かもしれない。


「大丈夫! うん。たぶん、きっと」

 自らに言い聞かせるように呟くと、手のひらで自分の両頬をぱちりと叩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ