◇ エピローグ ◇
「奈月!」
焦ったような陽一の声が、奈月の耳に届いた。懐かしい、大好きな声。
でも、私、どこにいるの?
「奈月!」
次第に声が近づいてきた。目を開ける。たくさんの靴が見える。黒い革靴、ヒールの高いパンプス、着物の裾も見える?
「大丈夫か、奈月。なんでこんなところにいる。目を開けたらいないから焦るだろう」
陽一に抱き起こされて、ようやく奈月は、自分が披露宴の会場で倒れていたことに気付いた。
「なんで?」
どうせなら、陽一の隣に戻してほしかった。だけど、さすがにピンポイントは難しかったか。
「なんで、は俺のセリフ。どうしてこんな入口あたりで倒れてるんだよ。いや、いてくれてホッとしたけど」
「よく分からないの」
時刻だけでも合わせてくれたから、ありがたいのかな。
「それより奈月、怪我してないか? 痛いところは? 歩けるか?」
陽一が気遣ってくれる。やっぱり優しい。その陽一の元に帰ってこれたんだ。
やっと実感して、思わず奈月の目に涙がこぼれた。
その涙を隠すように照明がゆっくり落とされ、会場はオレンジ色のキャンドルの明かりだけになった。
そして、奈月と陽一にスポットライトが当たり、二人は手を取り合って立ち上がった。ゆっくりと、またメインキャンドルの元に戻ると、温かい拍手が会場を包み込んだ。
奈月は花嫁の席に戻る時、スタッフにキャンドルトーチを返したのだが、すっかり手に馴染んだそれを手放すのは寂しくもあった。何かトーチに言い添えたかったが、それをここで言うのも変な気がして、心の中だけで『連れて戻ってくれてありがとう』と伝えた。
奈月は歩きながら、自分の身体が向こうにいる時と違うことに気付いた。
どう違うかという説明は難しい。比べてみて初めて分かる。向こうの身体は実体があるかのようだったが、あくまでも本体はこちらに残っていたのではなかろうか。
だからドレスがくたびれもしなかったし脱げなかった。風呂にも入らなかったし、トイレにいくこともなかった。全く汚れなかったのだ。
食べたものがどこにいったとか、そういうことは分からない。ただ、本当の私はここにいたのだろうと思う。賢者様から聞かなかったから、正しいかは分からないけど。
考え込んでいると陽一が、
「どうした? まだなんかおかしいか。具合が悪かったら言えよ」
などと心配そうに覗き込むので、奈月は気持ちを切り替えて、この日を迎えた幸せに浸ろうと思った。
そうして、奈月にとって波乱の披露宴は、つつがなくお開きとなった。
◇ ◇ ◇
季節が巡り、奈月が異世界で浄化をしたことなど、すっかり日常の暮らしに埋もれ始めた頃、そのメールは届いた。
三か月前に結婚式を挙げた時にお世話になったプランナーの方からだった。
時候の挨拶から始まるそれは、新しい生活をスタートさせた二人に送る定型文だったが、添付された挙式のスナップ写真に混じって、緑の濃い森の前で、懐かしい顔で笑う村の人たちの写真があった。雰囲気が違って見えるのは、みんな年をとっていたからだ。
「あの焼けた森が、・・・そうか、こっちと時間の進みが違うから、もう立派な森になったんだ」
奈月が村を歩くと、巫女さまー、とついてきた子たちも、すっかり大人びて一人前の顔をしている。
端っこには賢者様もいる。いったい幾つまで生きるつもりなのか。この写真を送ってくれたのも賢者様だろう。だが、どうやって、とは聞けない。うっかり踏み込むと、また巻き込まれそうな気がするから。
ドレッサーの奥から、奈月は懐かしいものを取り出してみた。鉱山の村で買った水晶のペンダントだ。奈月が異世界から唯一持ち帰ったもの。奈月がトーチを振り回して得たものだ。
それにしても、あの不思議な体験で、自分は何か変わっただろうかと考える。
いつも陽一に頼ってばかりで、考える前に聞いていたけれど、その前に自分でどうしたいか一度立ち止まることを覚えた気がする。失敗しても、その先を相談すればいい。
もちろんそれは、あの体験のせいばかりではないだろう。けれど、人から頼られて何かを成し遂げ、感謝をされるということが、奈月に自信を持たせてくれたと思う。
改めて、写真を見た。
こちらの時間の流れの中には決して存在しない、ルキディア王国での思い出が、これからも奈月の背中を押してくれるような気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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