17.浄化の果てに
その日は、奈月も賢者も昼過ぎに起きた。
村長の館に帰り着いたのが、明け方近かったからだ。
遅い昼食をいただいて、奈月と賢者は王宮に向かった。
国王の執務室に奈月と賢者が現れると、王は待ちかねたと言うように、賢者に報告を求めた。
宰相は、一昨日のメンバーを呼び集めるよう指示を出し、昨日と同じ会議室に皆を集めた。
「早速だが、昨夜の首尾を聞かせてほしい」
宰相の仕切りで会議が始まった。
促されて賢者が話し始めた。
「一昨日のオオカミの群れを上空から見つけた話と、教会の神官とのやり取りは、宰相に報告してあるから聞き及んでいると思うので、それは割愛する」
賢者の報告は、次の通りであった。
① 夜、森の中にガルム率いるオオカミの群れを見つけ、移動するのを上空から追跡した。
② ガルムは、満月の光を存分に浴びると、額に白い三日月が浮かんだ。月の神が刻んだものだが、神官の呪いで黒く覆われ、正気を保てないがために、村を襲っていた。
③ 巫女がトーチの炎でガルムの呪いを打ち消したので、ガルムは正気を取り戻した。
④ 周りにいたオオカミの呪いを消すと、六頭が普通のオオカミに戻り、六頭は神官に戻った。
⑤ 神官たちは、ガルムをイアール国に連れ戻す使命があったが、上手くいかず、最初に来ていた三人の神官に呪われてオオカミにされ、ガルムに付き従っていた。
⑥ 教会に戻ると、三人の神官が、呪い返しか、オオカミの仕返しか、外で喰い殺されていた。遺体は証拠保全のために、安置してある。
「以上が、夜半からの出来事だ」
賢者の報告を聞いて、しばらく誰もが無言だった。
「巫女殿、付け足しておくことはあるか?」
賢者に聞かれたが、奈月からは特に言うべきことはなかった。
それから、いくつもの質問を受けたが、全て賢者が答えた。
「さて、質問も出尽くしたか。それなら俺と巫女殿は帰っていいな? ここから先は国の仕事だ」
「うむ、ご苦労であったな、巫女殿、賢者殿」
「あ、あのっ、私は大きな浄化を終えたので、もうこの世界ではお役御免ということで良いのでしょうか」
奈月も慌てて確認した。
すると軍部のフェード・カット氏が焦ったように、立ち上がって言った。
「まだ魔物討伐隊の仕事は終わっていないのです。我々では手に負えず、聖火の巫女様の助けが必要な時があるかもしれません」
「かもしれません?」
奈月はフェード・カット氏の言葉尻を繰り返した。
「それ、いつまで続くんですか? 三年の計画を二チームに分けたから一年半、私と賢者様で本当に大変なところを浄化したから楽になって一年に短縮したとして、私がそれまで待つ義理があるのですか? この間の会議の時も言いましたよね、向こうに結婚したばかりの夫がいると。覚えていますか?」
フェード・カット氏は、ゆっくり頷いた。
「結婚したばかりというのは、文字通り結婚したばかりなんですよ。式を挙げて、続くお披露目のパーティの最中にこちらに来たんです。今着ているドレスは、ウェディングドレスなんです。このキラキラで場違いなアクセサリーも、花嫁の飾りなんです。決して魔を払う巫女装束じゃあないんですよ。いつまで私は関係ない世界の平和を見届けなくてはならないんですか!」
一気に喋って、フーフーと息を吐く奈月に、会議室の誰も返事ができなかった。
「ということだ。後は我々自身の手で魔物を退治するしかないぞ。さあ、巫女殿、一度村に帰ろうか」
賢者が奈月と帰ろうとすると、
「待ってくれ」
国王が留めた。
「なんでしょうな、陛下」
賢者が聞いた。
「報酬の宝石を用意した。宰相、これへ」
すぐに宰相が会議室を出て行き、布の袋を持って戻って来た。受け取った国王は、袋を奈月に差し出した。
「巫女殿、世話になった。感謝する。これが報酬だ。できる限り良いものを集めた」
「ありがとうございます。働きを認めてくださって嬉しいです」
「村に戻ったら、すぐに帰ってしまうのか?」
「はい、お世話になった方にお礼を伝えたら、日本に戻ります」
「悪いが、ガイウスとエリシアのところに寄ってやってくれんか。このまま黙って帰したら、ずっと恨まれそうだ」
国王に頼まれて、奈月は迷った。賢者を見ると、
「疲れているなら断っていいぞ。王族を訪ねるのが気が引けるなら、向こうに村に来てもらうか?」
「村長さんたちに迷惑では?」
「別れの会を開くと言い出すだろうから、そこに紛れ込んでもらえばいいだろう」
「王族を相手にそれが許されますか」
奈月が不安げに聞くと、
「構わんぞ、むしろ喜ぶ」
と、国王が言ったので、それは決定事項となった。
そうして奈月は心の中で、まだそれを知らぬ村長夫妻に謝ったのだった。
◇ ◇ ◇
「来たぞー」
翌日、元気よく村長の館に入ってきたのは、ガイウス王子だった。
奈月たちは時間を見計らって玄関に迎えに来ていた。
「ようこそおいでくださいました、ガイウス殿下」
村長夫妻が畏まった挨拶を続けようとすると、
「今日はそういうのは、いいんだ。主役は奈月だからな。俺たちは、奈月と別れる前にちょこっと話ができれば。なあ」
ガイウス王子が同行してきた女性陣を振り返った。
エリシア王女とレティシア・ロッシ、カミーラ・モンテヴェルデが順番に自己紹介をすると、王侯貴族に慣れていない村長の奥さんが気の毒なくらい緊張して倒れそうになったので、村長の計らいで、村の人たちとは別の部屋に案内することになった。
奈月は、村の人たちと打ち解けて、たくさんの言葉を交わした。
「巫女殿に、再生した森を見てもらいたかったなあ」
飛竜を消した時に森にいた男の一人が言った。
「ばっか、お前、巫女様に何年待ってもらうつもりだ。一年や二年じゃ無理だからな」
「森と言えば、賢者様から土産をもらったよ。森に使えって」
「何ですか、それ」
「巫女様がどこかで浄化をした時に、黄色い靄を小さく固めたのがあったろ? あれ瘴気が消えて、ただの硫黄のかたまりになったんだよ。知ってたかい」
「師匠のお弟子さんが握り込んで結晶にしたやつですよね」
「そうそう、あの賢者様の白い袋から出したら、膨れてスイカくらいの大きさになったんだ」
「それ、どうしましたか。燃やすと危ないって言われたんですけど」
「賢者様が言うには、硫黄は焼けた森の土壌を改良してくれるんだと。だから、薄ーく撒いて耕してくれってさ。病害虫の予防にもなるって話だ」
「使い過ぎてはダメだって言われたが、あのくらいの量じゃあ、焼けた広さにはぜんぜん足りないから大丈夫だな。だが、巫女様が浄化したやつだから、出た芽はすくすく育つんじゃないかって期待してるんだ」
「私にそんな力はないけど、早く森に育つといいですね」
こうして村人たちや子供たちと、美味しいものを食べたり飲んだりしながら話をして別れを惜しんだ。
会場をぐるっと一周したところで、奈月はガイウス王子たちを待たせている応接室に向かった。
奈月は今日も、ウエディングドレスにアクセサリーを煌めかせ、背中には革のベルトで固定したキャンドルトーチを背負っている。
だいぶ待たせてしまったので、廊下を見苦しくない程度に急いでいると、いきなり目の前に大柄な男が立ちふさがった。横にはもう一人、背の低い男がいた。どちらもくたびれた四十代くらいだ。奈月には見覚えのない顔だった。
「どちらさまですか」
奈月が訊ねたが、男たちは答えない。
「あの、急いでいるので失礼します」
横を通り抜けようとした奈月の腕を、大柄な男が掴んだ。
「痛っ」
「お前のせいで、しくじって、俺は解雇された。お前さえ計画通りに遠征に向かえば、上手くいったのに!」
「失敗を私のせいにしないでください。どうせろくでもない計画を立てていたんでしょう。あのくらいで穴が開くような計画なら、私が遠征に参加しても、いずれ破綻したでしょうよ」
「この野郎!」
「おい、このトーチを奪ってやろうぜ。これがなきゃ、何にもできねえぜ、この女」
背の低い方の男が言った。
「やめて! トーチを触らないで! 大変なことになるから!」
奈月は大声で叫んだ。
「ほら見ろ、祝福のトーチがどんなもんか知らねえが、これさえあれば俺だって、一発逆転できるかもしれねえ。ほら、寄越せよ」
「やめて!」
奈月は身体をよじって、わざとトーチを掴みやすく男に向けた。
「へへ、もーらい」
バチィィィッ!
「ぎゃあああああ!」
男はトーチを掴んだ右手を左手で押さえ、膝をついて痛がっている。
「だから言ったじゃない。大変なことになるって」
「この野郎、何しやがった!」
大柄な男が奈月に掴みかかろうとしたところで、少し先の応接室のドアが開き、
「何やってんだ、奈月。大声が部屋の中まで聞こえたぞ」
と、ガイウス王子が出て来た。
驚いたのは大柄な男だ。
「ガイウス殿下? なぜ、こんなところに・・・」
「はあ? なぜこんなところには、貴様の方だろう。今日は奈月の送別会だから参加しに来たんだよ。庶民には、俺たちの存在がちょっとばかり刺激が強すぎるから、ここで奈月を待っていたんだ」
「あらまあ、どこかで見たことのあるお顔。確か、あの男爵様の腰巾着だったかしら」
次に出て来たカミーラが言った。
「なんだと、てめえは誰だ」
「モンテヴェルデを御存じない?」
「モンテヴェルデ、だと?」
「その男爵様、うちの寄子だと思ったのだけど、縁を切りたいのかしら」
カミーラが、高飛車な態度で大柄な男の相手をしている間に、奈月はガイウス王子たちの所に行った。
部屋からはレティシアとエリシア王女まで出て来た。
「まあ、奈月のお別れパーティで暴れるとは、なんて無粋な方かしら」
「エリシア殿下、このような者たちはお目汚しになります。部屋へ戻りましょう」
カミーラがエリシア王女に声をかけた。
「そうね、奈月も早くいらっしゃい。私のティアラのことで相談があるのよ」
エリシア王女までいたことで、男たちは完全に戦意を喪失していた。
「あーあ、面倒くせえな。ちょっと師匠を呼んでくるから、レティシア、こいつらをギッチギチに鎖で巻き上げておいてくれ。レティシアなら一瞬だろ」
「分かったわ。巻き上げて転がしておくから、後はよろしくね」
レティシアは、指先一つで男たちを鎖で巻いた。
「あなたたち、このことは、カミーラ様からお父様のモンテヴェルデ伯爵に、よーく伝わると思うわ」」
「待ってくれ、それじゃあ俺たち、二度と男爵様に雇ってもらえなくなる」
「あのね、巫女様の歓迎パーティで、大賢者様が言ってたの。巫女様を害する者は、国賊と見なし排除するって。今、ガイウス殿下が呼びに行ったのは、その大賢者様だから、あなたたち国賊として排除されるみたいよ」
「嘘だ、やめてくれ、悪かった、謝る」
「すまん、知らなかったんだ」
見苦しく口先だけで謝る男二人を無視して、レティシアも応接室に戻った。
中ではさっそくエリシア王女が、奈月のティアラと自分のティアラのデザイン画を真剣に見比べている。
「うーん、何か違うのよね。そっくりにしたいわけじゃないけど、これじゃないって言うか」
お人形のようなお姫様は、悩んでいても可愛らしい。
「エリシア殿下、これ、お姉さま方に相談なさいましたか」
「ええ、そうしたらレディの仲間入りするのだから、それを忘れないでって言われました」
「デザイナーさんもそれを聞いていたのでしょう」
「そうなの、そうしたらどれもつまらない感じになって、一番ましなのがこれなの」
エリシア王女がため息をついた。
「あら、そうなの? お姉様方もご自分の趣味全開で、見たこともないようなティアラだった気がするのだけど」
レティシアが話に入って来た。
「セラフィナ殿下のティアラは、六芒星の小さな宝石がいくつも埋め込まれていたでしょう。魔導陣好きの友人が、あれ見ると陣を刻みたくなるってウズウズしていたわ」
「イザベラ殿下のは、シンプル過ぎてミルククラウンそのままだったわ」
カミーラも加わる。女の子だなあ、と奈月は微笑ましく見守る。
「シンプルじゃなくて質素よ。おかげで同年代の子たちは、ドレスとか地味に
せざるを得なくて可哀そうだったわ。周りに気を使わせて、どこがレディよ」
エリシア王女は、ポカーンとしていた。これまで姉たちのいうことは絶対だと思っていたのだ。しかし、姉たちも周りから見れば、全然完璧じゃなかった。
「だからエリシア殿下も、好きなもの全開でいきましょうよ。儀礼的にアウトなら、どこかの段階でちゃんとストップをかけてくれる人がいますから」
「そうなの?」
エリシア王女が自信無さげに奈月を見た。
「私はそういうのに詳しくありませんが、お姉様方の話を聞く限り、エリシア殿下がハートをイメージしたティアラを作っても良いと思いますよ」
「ハート大好き、大きなハートでもいいし、小さいのを組み合わせても可愛いかも。そうね、ダメって言われる前に諦めることないわよね」
エリシア王女は満面の笑みだ。
天使のような笑顔を愛でていると、ガチャリとドアが開き、
「やーっと、片付いた。あれは反王制派に寝返った男爵の子飼いだった。失敗したんで切られたらしい」
入って来るなり、ガイウス王子が先ほどの顛末を教えてくれた。
「あら、ではやはり、モンテヴェルデの庇護から抜けるつもりでしたのね。よくよく父に話しておきませんと」
カミーラがにっこりと笑った。
それから、ガイウス王子にせがまれて月の神の使い、オオカミのガルムの話をしていると、タイミングよく賢者が皿に載せたブドウを持ってきた。ほんの数粒、ちょうど人数分だ。
「ほれ、ガルムが浄化の礼に巫女殿に渡したブドウだ。まず、巫女殿が食べないとな」
粒はそれほど大きくないが、巨峰よりも濃い色で、月明かりの中のガルムを思い起こさせた。一粒口に含む。
「酢っぱ、・・・甘い!」
「どっちだよ」
そう言いながら食べた王子も、同じ顔をしたので皆で笑ってしまった。
こうして穏やかなひと時を過ごし、村長の館から人々が去った。
ガイウス王子たちは最後まで見送りたいと言ってくれたが、奈月は断った。余計に寂しくなりそうだからだ。
奈月は、使わせてもらった部屋を簡単に掃除し、村長夫妻にお礼と別れを告げた。
賢者と共に館を出て、飛竜と遭った森に飛んだ。
「ここが全ての始まりだったな」
再生途中の森を眺めながら、賢者が言った。
「ずいぶん昔のことみたいです」
毎日色々あり過ぎて、本当にあったことなのか不思議に思える。
「賢者様には、最初から最後までお世話になりました」
「なに、俺とその弟子が陣を刻んだトーチのせいで、連れてこられたんだ。責任をとるのは俺しかいなかろう」
「それでも、とても心強かったです。ありがとうございました」
「礼をいうのはルキディア全土の者たちだ。知らずに過ごしている者がほとんどだろうがな」
「それで良いです。変な伝説になって、この先二百年も語られるのは嫌ですから」
「ははは、もう遅いぞ。王子王女、貴族令嬢たちが召し上がった巫女のブドウがある。あれでワインを作れば人気が出るだろう。神の使いガルムと聖火の巫女がラベルに描かれて、新しい物語が生まれるかもしれん」
「それが村の特産品になればいいですね」
「そうだな。ブドウは再生の象徴だ。マーナ教のせいでひどい目に遭った村も、これから立て直すことだろう」
奈月は別れがたくて話を伸ばしていたが、
「では、そろそろ行くか、巫女殿」
賢者が帰りを促してくれた。
「はい。そして、これ、宝石なんですけど、魔の被害にあって大変な所の復興に充ててください。私が披露宴会場に持って帰ると、騒ぎになりそうなので」
そう言って、国王から渡された布の袋を差し出した。
「いいのか、巫女殿が働いた対価というか、証だろうに」
「いいんです。陛下から渡されたことで、ちゃんと認められたって分かりましたから」
「欲がないのだな。相分かった。ありがたく有効活用させてもらおう」
「では、賢者様、お元気で」
奈月はキャンドルトーチを右手に掲げ、静かに告げた。
「トーチ、お願い、私を陽一さんの元に連れて行って」
読んでいただき、ありがとうございました。
明日のエピローグで完結です。
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