11.浄化(3)
昨日、二回目の浄化を行ったので、今日の奈月は休養である。
のんびり朝食をいただきながら、賢者に話しかける。
「そう言えば賢者様は、王宮のパーティで私に突っかかってきた人たちに、『百の説明より、一度見ていただこう』なんて言ってましたけど、私の浄化の様子を見に来る貴族様はいるでしょうか」
「おらんだろうな。魔物と戦うことなど野蛮で、都会の貴族が関わることではないと思っておる」
「ふーん、結局あそこに集まってきた方々は、国の治安維持になんの興味もないんでしょうか」
奈月は呆れたが、日本でもクマ問題がそんな感じで、切実な現地と安全なところから物申す人との温度差がひどかったなあと思い出す。
「いいや、そんなことはないぞ!」
背後からやけに力のこもった声がして、奈月が振り返ると、ありえない方がそこにいた。
「ガイウス殿下」
奈月が慌てて椅子から立ち上がろうとするのをガイウス王子は手で制して、
「なんだよ、奈月、もう浄化を始めてるんだって? 知らせろよ」
と言って、手近な椅子を引いて座った。
「あ、あの?」
驚いたのは、同じ食堂で賢者と茶を飲んでいた村長で、
「こちらのお方は、まさか?」
と、恐る恐る奈月に訊ねた。
「ガイウス殿下、事前の知らせも、ここに着いてからの案内もなしに入ってこられたのですか?」
と問えば、ガイウス王子は気まずそうに頭を掻いた。
仕方がないので奈月が紹介をする。
「殿下、こちらが村長のマルコさんです。この館の主です。マルコさん、こちらは我が国の第二王子のガイウス殿下です」
「ひっ、で、殿下でいらっしゃいますか。ようこそ、お越しくださいました」
村長は気の毒なくらい恐縮して頭を下げている。
「村長殿、それほど気を使う相手ではないぞ」
賢者が助け舟を出した。
「なにしろ供もつけずに先触れもなく、この部屋への案内もなしにズカズカ入り込んできたやつだ。丁重に持て成す必要はない」
「悪かった、奈月の浄化を見たいあまりに急いで来たんだ。村長殿、俺のことは王子というより、賢者の弟子だと思ってくれればいいからな」
「まったく、殿下に転移を教えたばっかりに、身軽にどこにでも行きおって」
「有事には使えるだろう?」
ガイウス王子は得意そうに笑った。
「それで、これまでの浄化の話を聞かせてくれよ」
奈月に向き直ってガイウス王子はせがんだ。村の子供と一緒だ。
休養日で暇だし、仕方がないので、先の二つの浄化の様子を語って聞かせると、ガイウス王子は満足そうにうなずいた後、
「じゃあ、ちょっと現地を見てくる」
そう言って屋敷を飛び出していった。
慌ただしいことである。
賢者は、そんな王子の行動も、国がちゃんと地方のことも見ているというアピールになるし、その後の様子を知れるのは悪くないから、巫女殿も見守っていれば良いさと気楽に流した。
◇ ◇ ◇
一夜明けて、三回目の浄化の日である。
「さあ、師匠、今日はどこに行くんだ」
朝から元気いっぱいのガイウス王子も参戦である。
「鉄鉱石の採掘場だ」
ガイウス王子は初めて訪れるところなので、賢者の転移で三人一緒に飛んだ。
見渡す限りの岩山で、坑道の入り口はあちこちにあるのだが、労働者は全く見かけない。
「まず、ふもとに行って話聞いてからにしよう。黄色い靄が坑道から外にまで出てきている」
村はほんの数日の間にも、活気をなくしたようだった。
「静かですね」
奈月は、鍛冶屋から聞こえてくる音がまばらになったことや、水晶を扱う店に人があまり出入りしていないことに気付いた。
「へえ、鍛冶屋か、どんな物を得意としてるんだろうな。俺、ダガ―ナイフが欲しいんだよな。お、水晶もあるのか。エリシアに何か買っていってやるかな」
ガイウス王子は村の様子に頓着せず、寄りたい店を見つけては覗き込んでいる。日本人に生まれていたら、絶対に修学旅行で刀を買っていたに違いないと奈月は思った。
「おい、弟子。先に行くからな」
賢者はガイウス王子を放置して、奈月と鉱山の管理者のところに行って話を聞いた。
「あれから黄色い靄がさらに広がって、もう近づくものはおらんのだ。やがてふもとまで降りてくるかもしれんと、鉱山を去った者もいる」
「あの靄を何とかしない限り、坑道の中に行かれないのだな」
賢者が考え込んだ。奈月も無い知恵を絞ってみる。
「おーい、そろそろ浄化に行く頃か?」
能天気に鉱山管理所を覗いて声をかけてきたのはガイウス王子だ。
「いえ、鉱山一帯に広がっている黄色い靄をどかさないと坑道に入れなくて、魔物がいるかどうかも調べられないんです」
奈月の説明にガイウス王子は舌打ちをして、
「んなもん、邪魔なもんはギュッと丸めてポイだ。さっさと行こうぜ」
と、いとも簡単に言った。
「そうか、じゃあ、弟子に期待するかな。ギュッと丸めてからポイなんだな?」
師である賢者も同じく軽いノリで、ガイウス王子を使うようだ。でも、どうやって? 奈月は疑問に思ったが、そこは自分の担当じゃないからと任せることにした。
三人は転移で、再び岩山の上に立った。
「この黄色いやつを全部どかせば良いんだな」
ガイウス王子は早くもやる気満々だ。
「どうやるんですか」
という奈月の問いには、賢者が説明してくれた。
「湖の時のドームを球体にする。それから水を浮かせたのと同じように、靄を浮かせて球体に押し込める」
「それなら賢者様だけでもできましたよね」
「そこから先が弟子の仕事だ」
「任せろ!」
王子が前のめりに請け負った。
「球体に俺が靄を押し込めたら、弟子のあり余った魔力を手の平に込めてギュッと丸めてくれ」
「そしたらポイか?」
「それはまだ早い。とにかく小さく圧縮し続けてくれ。そうすれば中で結晶化するはずだ」
「分かった」
「次は、俺と巫女殿でメインの坑道に入る。中に靄の原因がいるはずだ」
「俺も行きたい!」
「結晶を落としたり手放したりするなよ」
「心得た」
そうして賢者が半透明の球体を空中に作り出し、ガイウス王子がそれを支えた。王子の右手の横に、直径二十センチほどの穴が開いている。
「いくぞ」
賢者が手のひらで合図をすると、黄色い靄が一筋になって球体に流れ込んでいく。
靄はいつまでも湧いてくる。次第に球体が膨らみ始め、外寸が王子の背と同じくらいになった頃、やっと辺りの靄が消えた。
「もういいぞ。穴を閉じたから、弟子はそれを圧縮するように。それが終わったら、俺たちを追って来ても良いからな」
「ええ、師匠、これ結構時間がかかりそう。俺が行くまでに浄化を終わらせたりしないよな?」
「見世物ではないから、弟子を待ったりしないぞ。敵に出会い次第、巫女殿に浄化してもらうからな。見たかったら急げ」
「うそだろ。待ってろよ、すぐに行くから!」
ガイウス王子は手の平にじわじわと魔力を込めて、球体を縮め始めた。
「がんばってくださいね」
奈月も一声かけて、賢者と一緒に一番大きな坑道に入った。
薄情者ぉ! という王子の声を背中に聞いて、奈月と賢者は奥へと進んだ。奈月のトーチをオレンジ色に灯し、先を急ぐ。坑道のあちこちに、ツルハシやハンマー、もっこなどが打ち捨てられている。それに足を取られないように、気をつけながら歩く。
途中、分かれ道がいくつも出てきたが、トーチの炎がこちらだと言うように揺れて導くので、奈月は迷わずそれに従った。
ザワリ、と空気が揺れて、トーチの炎が紫になった。
「この先みたいです。炎が紫色になりました」
「よし、俺が前に出て確認する」
賢者と前後を入れ替わった。
「いたな。あれだ」
賢者が言うので、後ろから覗き見る。
採掘されて広々としたところに、くすんだ黄土色の岩の塊がうごめいている。どこが頭なのか手足なのか分からないが、力なく蹲っている。時々、身体の一部が痙攣しているのが分かった。
「あれですか、死にそうに見えますけど」
すっかり気勢をそがれた奈月が言うと、
「息がある限り、油断してはならん」
と、賢者が諭した。その言葉を裏付けるように、そのうごめく生き物が口らしき所を開けて、ケプッと黄色い息を吐いた。
「火山の匂い! のすっごく薄いの」
「こいつがあの靄を吐いていたんだな。先ほど空気中の靄だけでなく、こいつの身体からも根こそぎ吸い上げてしまったようだ」
「じゃあ、トーチの炎でさっさと浄化していいですか」
「いや待て。こんな地下の空間で大きな炎を出すのはまずいだろう。巫女殿、トーチなしでいけ」
「え、素手で? どうやってですか。殴ります? 岩を殴ったら、確実に私が負けますよね?」
「言っただろう、巫女殿の祝福や歓喜の記憶が、浄化の際の触媒となると。トーチや剣は、それらしく見えるアイテムに過ぎん。幸せな気持ちを存分に思い出している時なら、炎なしの素手で構わんのだ。そいつに触れて、幸せを分けてやれ。闇は光に転じて消滅する」
そう言われても奈月は怖いので、ゆっくりと黄土色の生き物に近づいていく。陽一の姿を、声を、愛おしく思い浮かべながら、そろそろと手を伸ばす。触れようかどうしようか迷っていると、
「奈月! 間に合ったか?」
ガイウス王子の大声にビクッとして、奈月は思わずその不気味な生き物に触ってしまった。
それは、ビクンッと巨体を大きく跳ね上げて、モロモロと崩れた。色も黄土色から茶色になり、ただの砕けた土塊となった。
「え?」
思わず奈月は自分の手を見た。少し黄色い粉がついていたが、何の衝撃も痛みもなく、一瞬それに触れたという記憶だけが残っていた。
「終わったな」
と、賢者が言うと、ガイウス王子は、
「嘘だろ!? トーチの炎、出さなかったよな。奈月が黄色い化け物を撫でただけで崩れたぞ。え? そんな弱いやつだったのか。あれも、浄化?」
トーチから出る炎で派手に浄化する様を見たかったガイウス王子は、あまりの呆気なさに不満が爆発した。
「ちくしょう。せっかく頑張ってあの靄の塊を結晶化させたのに」
悪態をつく王子を、賢者がたしなめた。
「殿下、一国の王子ともあろう者が、魔物をすんなり浄化したことに対して、ちくしょうとは何事か」
「あ、そうだったな。すまん、巫女殿。感謝するぞ」
我に返ってガイウス王子は謝った。奈月は、この人、本当に素直に謝るなと感心した。
「大丈夫ですよ、殿下がすごく楽しみにしていたのを知っていますから。それに、今は王子ではなく、ただの弟子なんでしょう?」
「巫女殿、甘やかすでない。村の子らと同じに扱わんでいいぞ」
「俺は子供なのかよ」
王子がしょんぼりしたので、奈月は適当に励ましながら坑道を出るよう促した。
外に出ると、もうどこにも黄色い靄は見当たらなかった。
王子は出てきた坑道を振り返って、
「そういえば、ここは鉄鉱石の他に水晶も採掘されるんだな」
と、不思議そうに聞いた。
「同じ鉱床で見つかることはよくあるぞ。ここの水晶の品質は分からんが、帰りに土産物屋に寄ってみるか。巫女殿も、せっかく異世界に来たんだ。何か自分で選んだ土産を買ったらどうだ?」
「でも、私お金ないです」
「じゃあ、報酬の一部を俺が立て替えておくことにしよう。それなら良いだろう?」
「はい。楽しみです、お土産屋さん」
こうして結局何だったのか分からない黄土色の魔物を浄化して、ふもとの村に戻った。
すぐさま土産物屋に行こうとするガイウス王子と別れて、奈月と賢者は鉱山の管理所を訪れた。
事の次第を告げると、管理所にいた皆が抱き合って喜んだ。これで村がなくならずにすむと、外に知らせに数人が駆け出していった。
奈月たちは大いに感謝されて、土産物ならただでいくらでも持って行って構わないと言われたが、さすがに遠慮しておいた。お土産は、自分のお金で買うから楽しいのだ。
奈月はたまたま入った水晶のお店で、小さなペンダントを買った。
王子には、そんな小さな水晶でいいのかと聞かれたが、奈月はこちらの思い出をあまり大きなものにしたくなかった。大切なのは日本での陽一との人生であって、ここは多分、時間の狭間の本来あるはずのない時間になるのだ。奈月の中だけにそっと仕舞っておきたかった。
こうして三回目の浄化も無事終わり、奈月と賢者は拠点の村へ、ガイウス王子は王宮へと帰った。
帰りがけに王子は、
「明後日、また行くからなー」
と言い残し、転移で消えていった。
読んでいただき、ありがとうございました。




