9.浄化(1)
浄化の下見から帰った奈月と賢者は、回る順序を決めた。
「まずは、鳥型の魔物の村だな」
すでに子供たちが何人も連れ去られ、今は大人も外に出るのをためらっている。子供たちが生きていることに一縷の望みをかけて、早急に助けに向かわなければならない。
「その次に、あの美しい湖だ」
「不気味でしたね。意思に反しておびき寄せられるのが怖いです。いくらドームがあっても、相手は異形のモノですし、ドームの隙間から這い出てきそうな気がします」
「こいつは居場所が湖の中とはっきりしているので対処がしやすい。さっさと片付けてしまおう」
「三番目は、岩だらけの村だな。鉱山の働き手は収入が途絶えて困っている。ふもとの村で鍛冶屋や水晶の加工を手伝うのにも限界があるからな。放っておけば人は村から離れてしまうだろう」
廃坑の危機は、村の存続の危機でもある。
「次は、モンテヴェルデ領の隣の領地だ」
賢者の見立てでは、モンテヴェルデ領から追い出された魔物たちが、領地の境界である幅の狭い川を越えて、あの村に逃げ込んでいるようだ。モンテヴェルデに証拠を突きつけて、これまでの被害の補償もしてもらうべきだと賢者はいう。行く前には国王から、騎士団の資料開示を求めることの許可書をもらって、有無を言わさず記録を見せてもらおうということになった。騎士団がきちんと日報を書いていることを祈る。
「最後に、マーナ教会のある領地だ。黒いオオカミは魔物ではなく神の使いだと主張しているから、むやみに倒せないし、浄化で消し去る訳にもいかない」
「村人を襲うのですから、魔物か害獣ですよね。十分駆除の対象です」
「駆除すると背後から厄介なものが出てくる」
「宗教と国際問題は、私の手に余りますからね」
「一応、浄化の前に国王の意見を聞いておこう。責任を取らされてはたまらんからな」
こうして浄化の順序が決まり、翌日から領地を回ることになった。
◇
浄化初日の今日は、朝から鳥型魔物の村を訪れた。
奈月と賢者が村長の家に行くと、村人が集まっていた。
「聖火の巫女様!」「賢者様!」
深刻そうな顔をしていた人たちが、奈月と賢者を見て歓声を上げた。
大人も狙われるようになったので、これからは必ず複数人で農作業をするように決めて、今その具体的な計画を立てていたのだという。
「とはいえ、家の周りで家事をするのにそんなことは言ってられないからね、用心するしかないのさ。まあ、私くらいの体重があれば、好き好んで運ぼうとは思わないだろうけどね」
恰幅の良いおばさんが威勢よく言った。
「みんな首から笛をぶら下げて、その姿を見つけたら思い切り吹き鳴らすことにしたんだ」
「だが子供は自分を守れない。大人が付いていてあげられない時は、相変わらず家の中に閉じ込めている。窮屈だがどうしようもない」
どうか早くあいつを消してくれと懇願されて、奈月たちは村人の持つ数少ない情報を聞き出した。
魔物のサイズは子牛ぐらい。鳥と違うのは翼が四枚あって体がずんぐりと太い。くちばしはペリカンのように長い。飛び去る方向は北の山の方。
「北の山に行ったことのある者はいるか」
賢者が問うと、数人が手を上げた。
「俺は薬草を探してあちこちで歩くんだが、北の山には何もない。登っていくと途中からハイマツだけになって、薄ら寂しい所だな。カモシカを見かけたが、ほかの生き物は隠れているのか見かけなかった。ろくに食べ物もないんだろう」
「あそこは木もダメだ。ろくな材木にならねえ。なんでか分からないが、素直じゃないんだよ。どう処理しても捻じれてくる。薪にするにしても、あんな遠くからわざわざ運んでくる理由はないしな」
「俺は、さらわれた娘を追って行ってみた。もちろん道なんかないし、岩が大きくてどこを足場に登っていいのか分からないところまで行った。だが、なんの手がかりもつかめなかった」
男が肩を落とした。
「分かった。巫女殿と行ってくる」
そうして奈月と賢者は村長の家を出た。
「賢者様、どうやって山に行くのですか」
奈月が訊ねると、
「あそこは確かに何もないから、俺も麓辺りまでしか知らない。とりあえずそこまで転移だ」
「わっ」
いきなり目の前に岩山が出現した。正確には、奈月たちが出現したのだが。
「これ、どうやって登ります? 私こんな格好なんですけど」
奈月はふんわりしたウェディング・ドレスのスカートを掴んで聞いた。トーチはさすがに邪魔なので、背中に背負えるような革のベルトをこしらえてもらった。両手が空いて楽になった。
「着替えられないのが面倒だな。足さばきは悪いだろうが、引っかけても転んでも無事だから、まあ慣れろ」
「だいぶ慣れはしましたけど、お城のパーティ以外、どこに行っても場違い感がすごいですね、私」
「異世界の巫女だ。そういうものだと思ってもらおう」
「痛い女だと見られていたら悲しいです」
「それを上回る活躍をすればいい。神々しいと思ってくれるさ」
賢者から適当に慰められて一応は納得する。
「それに、トーチで魔を払うには、巫女殿の歓喜と祝福の記憶が必要だろう? その思い出のためにドレスのままなんじゃないか?」
そうだった。温かなオレンジの炎が、どのテーブルの上でも揺らめいていて、招待客の笑顔を暗い会場の中で浮かび上がらせてくれた。もちろん、家族や陽一の笑顔も。あそこに帰るために、私は幸せな気持ちを何度でも思い出そう。
「じゃあ、行くぞ」
「どうやって」
「俺に掴まれ。飛ぶ」
賢者は簡単に言う。
「む、無理です、握力には自信がないんです。手が離れたら墜落しますよね」
「それもそうか」
「賢者様、自分が無敵だからって、か弱い私に同じ豪胆さを要求しないでください。泣きますよ」
「じゃあ、仕方がない。こうするか」
賢者は、どこからそれらを出すのかいつも不思議なのだが、畳二枚分くらいの絨毯を浮かせた。
「アラジン! いいですね、一度、空飛ぶ絨毯に乗ってみたかったんです。だけど、絶対落ちないような仕様にしてくださいね」
「分かった、分かった。注文が多いな」
絨毯にしがみついて乗り上げた奈月は、満足そうに背筋を伸ばして立った。
「どうですか? ドレスを着た私がこれに乗って飛んでいたら、だいぶ神々しくないですか」
「そうだな。その幸せな気持ちを維持してくれ」
そう言って賢者は急上昇し、下を窺い見ながら山々の上を飛んだ。奈月は絨毯にへたり込んで、下界は見下ろさないようにした。だって、怖いから。
「どうですか、賢者様、何か見つかりましたか」
奈月が目をつぶったまま聞くと、賢者は一度停止し、ゆっくり旋回した。
「ここの谷底に黒い靄が立ちこめている。近寄りたいが、平らなところがないから降り立つのは無理だな。絨毯のまま行こう」
絨毯が下降を始めたので、奈月は絨毯の端を掴んで谷底を睨んだ。
「あっ、黒い鳥が何羽か舞っていますね」
「小さいな」
「カラスでしょうか」
「いや、あれにも翼が四枚あるようだ」
「子どもの魔物でしょうか」
「巫女殿、片手で絨毯を掴んだままトーチを構えられるか」
「やってみます」
奈月は左手でギュッと絨毯に掴まり、右手で背中のトーチを抜いた。
「灯してみてくれ」
ほわりとしたオレンジ色が、即座に青く燃えだした。
「魔物の本拠地だ。ゆっくり近づくぞ」
小さいカラスかと思った魔物は、近づくと子羊くらいはあった。攻撃的ではなく、奈月と賢者を避けてくれる。
「この子たちは悪い子じゃないのかも」
「油断するなよ。おびき寄せる手かもしれない」
絨毯は下降を続け、靄に触れるくらいに近づくと、いきなり暗闇に呑み込まれた。
「何も見えないです、賢者様」
「目をつぶったままで良い。披露宴でキャンドル全部を灯し終えたときのことを思いだせ。陽一に手を握ってもらっていたんだろ」
ああ、そうだ。奈月がトーチを持った右手を、陽一が上から握りこんで、すべてのキャンドルがオレンジから紫、赤、青へと変化していった。友だちがスマホをかざし、妹が拍手をしていた。生きてきた中で一番幸せな瞬間。
ごぉぉぉぉぉ、という激しい音がして、奈月は思わず目を開けた。
奈月のトーチは、巨大な青白い炎を噴き出し、度を越した手持ち花火のようだった。飛び散る青い火花は、なぜか手に当たっても熱くなかった。
「そのままトーチで十字を切れ。魔物を十文字に切り裂くイメージだ。飛竜もそうやって、闇雲に腕を振り回しているうちに消えたのだろう?」
賢者の言葉の通りに、ひたすら青白い炎で十字を切った。
真っ黒い靄の中に、真っ赤な二つの目が浮かんだ。瞳孔が横に裂けている。
「いやああああ、不気味いいいい、怖いいいいいいい!」
またしても目をつぶり、何の気配もなくなるまで、奈月はトーチを振り回した。
「もう、いいぞ、巫女殿」
という賢者の声に薄目を開けると、すでに靄は晴れていて、谷底にいくつもの黒い姿が見えた。
「何、あれ?」
奈月はトーチの火を消し、賢者と絨毯で谷底まで降りた。
谷底は開けた平らな場所だった。
四枚の翼の魔物はいなかったが、靄の上を飛んでいた小さい魔物たちは地面に転がっていた。息がまだある。魔物の子供だろうか。
「賢者様、これも魔物ですよね。翼が四枚もありますから」
「いや、魔物なら、消えていないとおかしい。巫女殿、試しに翼にトーチの炎を当ててみてくれ」
「え、飛び掛かってきませんか」
「そんな力は残ってなさそうだ」
奈月はトーチを灯し、そろそろと小さな身体の翼にかざした。オレンジ色の炎は青くならず、紫色で止まった。
そうっと翼の上を撫でると、ホロリと翼がもげて、真っ黒い身体がみるみる細くなり、色が抜けていった。残ったのは幼い男の子の身体だった。
「うそ!」
思わず奈月はしゃがみこんで男の子に触れた。
「温かい。生きてる!」
「巫女殿、他のやつも頼む」
賢者は男の子の身体を調べながら巫女にそう指示した。奈月は炎を近づけ過ぎないように慎重に魔物の翼を消していった。翼を消されると、次々と人間の子供の姿に戻っていった。
最後のひとりを無事、女の子に戻すと、奈月はぐったりとしゃがみこんだ。
「良かった。間に合ったんですね。八人いる」
「いや、まだ意識が戻らないから安心はできない。とりあえず、巫女殿があの黒い化け物を消し去るのは見届けた。おそらくこいつは、子供たちを仲間にするつもりだったのだろう。あのまま靄の中にいれば、魔物化するのは時間の問題だったろうな」
「靄の上で飛んでいる時、私たちを避けたのは、まだ意識は人間のままだったのでしょうか」
「おそらくな。あの時、この子らの瞳孔は横長ではなかった。というわけで、巫女殿、良くやった。あとはこの子たちの生命力に期待するしかない」
こうして奈月と賢者は、八人の子供たちをもっと大きな絨毯に乗せて村まで帰ることにした。
行きは村から山のふもとまで転移を使ったので早かったが、帰りは子どもたちの身体への負担を考えて絨毯にしたので、だいぶ時間がかかった。
太陽が傾きだした頃、村の上空に現れた四角い影に村人たちは怯えた。
「何だ、あれ」
「生き物なのか? やけに四角いな」
「こっちに来るぞ、家に逃げろ」
「待て、人影が。賢者様か?」
ようやく賢者と巫女の姿を認め、村人たちが集まって来た。
大きな絨毯が地面に降りると、その上に寝かされている子どもたちを見つけ、大人たちが一斉に駆け寄った。
我が子を見つけて抱きしめ、家の中にいる兄弟を呼び、ここにいない者を呼び集めた。あっちからもこっちからも村人が集まってきた。そうして子供たちが息をしていることを確認し、安堵のあまり泣き出した。
「聖火の巫女様、賢者様、ありがとうございました」
代表して礼を言う村長に、賢者は声をひそめて告げた。
「子供たちは無事だと思うがな、少し前まで四枚の翼の魔物のなりをして飛んでいたのだ。その記憶があるかは分からない。忘れていても、思い出すかもしれないし、思い出さないまでも得体の知れない恐怖に苛まれるかもしれん。あとの支援をよろしく頼むぞ」
「分かりました。きちんと見守ります」
その後、村を挙げて祝いをしたいという申し出を、巫女がかなり消耗しているからという理由で断って、奈月と賢者は拠点の村に戻った。転移なので一瞬である。
「あ、おかえりなさい、巫女さま」
近くにいた女の子が奈月に気付いた。
「おかえりなさい」
「お疲れ様」
「お帰り、巫女様」
口々にお帰りを言われ、奈月はようやく安心して笑うことができた。
「ただ今帰りました」
こうして、奈月の浄化の一日目は終わった。
読んでいただき、ありがとうございました。




