爆弾発言 2
「ちょ……ちょ、ちょっとお嬢様! い、今のお言葉はなんなんですか⁉ いや、それよりお身体は!?」
「あら、ニコラ」
エミリアの堂々たる宣言に、邸の影からは慌てたひよこ顔の婦人が転がり出てくる。
ニコラはエミリアのそばまでくると、すぐに両手で彼女の頭をガシリとつかむ。
「う」
「も、もしかして頭でも打ったんですか⁉ す、すぐお医者様に診てもらいましょう!」
エミリアの顔面に迫るニコラの顔は、つぶらな瞳が見開かれていて鬼気迫る。
いきなり頭をつかまれてびっくりしたエミリアではあったが、ニコラの仰天具合はどうやらそれを大きく上回っている。彼女の自分に対する心配を感じて申し訳なくなる、が。
「……どこも打ってなんかないのよ。わたしは正気だから心配しないで頂戴」
気が動転しているらしい婦人が、自分の頭を必死の形相でわしづかむのを受け入れつつエミリアは答える。
「わたし、グンナール様の妻になりたい。だって、わたしにあんなにお優しい殿方、他にいないわ。そうでしょう?」
「いや……そうかもしれませんが! それはご家族になられたからで……お嬢様先走らないで! だいたい旦那様と奥様がなんておっしゃるか……!」
ニコラの言葉に、エミリアがはたと虚を突かれた顔をする。……どうやら父らのことはすっかり頭から抜け落ちていたらしい。
「あら……忘れていたわ。確かに、お父様たちがどう思われるかは心配ね……グンナール様が好きすぎてうっかりしてた……」
「うっかりって……」
ニコラは驚きのあまり言葉を失くす。
この父親第一の娘が、『父を忘れていた』と口にするなんて。もしかしたらはじめてのことではないかと思った。
この令嬢の父親への親愛は、時に偏屈なほどで、彼女はそれをずっと心配してきた。
あのドミニクと婚約関係になってからも、父への想いは薄まることなく、むしろ、成長し自分が将来を選択するという時期が近づけば近づくほど、秀でた騎士であった父への尊敬と敬慕は募っていくようであった。それなのに……。
その令嬢が、父をうっかり忘れていたなどと言う。
(こ、これはもしかして……父親離れの兆候!?)
ニコラは嬉しいような不安なような、複雑な心境。これはしっかり確認せずにはいられない。
「お、お嬢様……その“好き”は本当に“結婚したい”の好きですか⁉ ご家族愛の好きと混同されていませんか⁉」
「え……」
ニコラの真剣な問いに、エミリアは数回瞬きして困ったように首を少し傾ける。
そんなことは考えてもいなかった。
エミリアはとにかく義理の兄となったグンナールが、言葉通り『好きすぎて』ずっとそばにいたいと思ったのである。
義兄の姿を思い浮かべると、たまらなく幸せな気持ちになる。
すぐに駆けよっていってくっつきたいし、微笑んで『エミリア』と呼んでほしい。
……でも、それは父やグネルに対しても同じ。
父のそばにもずっといたいと思うし、新しく継母となったグネルのそばにもいたいと思ったりする。
確かに家族愛とも似通っている。
「……でも……本当にわたし、結婚するならグンナール様がいいわ……」
衝動的に口にはしてしまったが、その考えはたった今湧いて出たものではない。
数日前邸の中庭で。ニワトリ強盗(※ゲレオン)から助けられたときも。それらの出来事を経て、心からそう思ったのである。
けれどもこれが家族愛なのか、恋愛なのか? と、問われるとやはり困ってしまう。
双方の違いはもちろん分かる。が、自分の中にあるときめきを、どちらかにはっきり分類せよと言われると……これはなかなか難しかった。
難しい顔をして考え込むエミリアを見て、「ほら見なさい!」とニコラ。
「そこがあいまいなまま、勢いで若旦那様に突進したらだめですよ! 皆様を混乱させてしまいます!」
皆様、とは、もちろん家族のことだろう。
確かに、それはそうだなとエミリアも納得した。
気持ちがあいまいなまま義兄に『結婚してください!』と迫って、あとから『あ、やっぱり違いました』なんてことは許されない。それは失礼極まりないし、きっと周りを失望させるだろう。
そんな身勝手をしてしまえば、せっかくできた新しい家族の関係に、ひびが入ってしまうかもしれない。
当然そんなことは望まないエミリアは、しゅんとして肩を落とす。
「……そうよね……わたし、義理の妹だものね……軽々しくグンナール様に迫っちゃだめね……」
「せまっ!? ……、……いや、あの、その辺りはおいおい冷静に考えてから……」
「でもねニコラ!? わたしもうすぐ学園に帰らなくちゃいけないのよ!? グンナール様と一緒にいられるのも、あとほんのわずか……」
そのことを考えると、激情の大波に襲われるかのようで。口に出すとよけいに悲しくなってしまった。
「……っ寂しい!」
「……、……、……えーと、」
ひんっ! と、まるで子供のように力一杯嘆いた令嬢に──ニコラはどうしたものかと困り顔。
しかしこれは相手もあることであるし、すぐにどうこうなる問題ではない。
ともかくとニコラ。
「お嬢様、今はお部屋に戻りましょう? 本当にお怪我がないか邸内でもう一度しっかり見せてください」
あんな高さから落ちてどうして無傷なのだと怪訝そうな婦人の言葉に、エミリアはハッとする。
「ぁ……あら!? 恩人様……恩人様がいらっしゃらない!?」
「え?」
そこにいたはずの青年を思い出し、エミリアが慌てる。
しかし周囲の暗闇の中には、彼女たち以外の姿はない。暗い中に、うっすらと静かな庭と林が見えるだけの景色にエミリアは顔色を失くした。
「……どうしよう……あの方、行ってしまわれたの……!?」
「お嬢さ……え!? お、お嬢様!?」
愕然としていた彼女が堪らず駆けだすと、背後でニコラが慌てた声を出したが、エミリアは足を止めることができなかった。
自分に愛しいとまで言ってくれた青年を拒絶し、そのまま行かせてしまったと思うと、とても胸が痛かった。
その姿を探しながら夜闇を走るが、しかし足の遅いエミリアはすぐにニコラに追いつかれ、止められる。
「お嬢様待って! だめですよ! こんな暗い時間に林のほうにいくなんて危なすぎます!」
「ニコラ……だって、また助けてくださったのに……それに、またお名前も聞かなかったわ……」
必死に目を凝らしても、広がる闇の中にその気配はすでにない。エミリアは悲しみに顔を歪める。
どうして自分は、先に彼に名前を聞き、礼をしなかったのだろう。
もっと冷静に彼の言葉を受け取り、感謝して。その申し出は断るしかないにせよ、誠意は尽くさなければならなかった。その後悔が胸に押しよせるが、でも、彼は去って行ってしまった。
邸から届く薄灯りのなか、苦しそうに唇をかむ娘の顔を見たニコラは戸惑った顔。
「お嬢様……?」
「…………あの方、とっても真剣なまなざしだった……真摯に想いを伝えてくださったのに……」
そんな彼を傷つけ、悲しみのままに立ち去らせてしまったのかと思うと、エミリアの胸は張り裂けそうだった……。
同時刻。
クロクストゥルムの山中では、甥を無理やり連行してきたゲレオンが愕然と慄いていた。
「……な、なんという恐ろしい娘だ……」
そんな彼の恐々とした視線の先では。
彼の甥グンナールが、まさに魂が抜けた状態で呆然としている。
人態の甥は、一点を見つめたまま身を凍らせ動かない。いつもなら、腹が立つほど冷静な甥である。それが、彼にやすやすとここまで連行などされた時点で、これはすでに異常。
ゲレオンは、この事態のすべてはまだ把握できていなかったが……とにかく信じられない思いだった。
性質が穏やかで、精神的にも身体的にも秀でて強く、何事にも動じないはずのこの甥を、たった一言で打ちのめした人族の娘。
竜人族の自分たちに比べると、限りなく最弱に見えたあの娘が、甥に動けなくなるほどのダメージを与えたのかと考えると……不可解過ぎて。
逆にひどく恐ろしかったのである。




