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爆弾発言

 


「……、……、……」


 打ち明けられた言葉に、エミリアはよろめく。

 一瞬、ついに自分は耳までおかしくなったかと思ったが……どうやらそうではない。

 地面に腰を落としたままの青年は、彼女の手首を握り、じっと彼女を見つめている。

 闇夜、狭い灯りのなかには二人だけ。照らされた赤い瞳はキラキラと輝いていて、真摯な気持ちを訴えてくるようだった。

 そのまなざしに、エミリアは慄いた。

 ……なんという真正面からの告白だろうか。

 まさかここで、恩人様のそんな気持ちを聞くことになろうとは、微塵も想像していなかった娘はうろたえた。その驚きは顔にも声にもあふれ出る。


「な……なぜ!?!?!?」


 だって……と、エミリアは動揺も露わ。顔は真っ赤になっているが、どちらかというと照れや恥ずかしさというより、今は驚きが勝っているらしい。


「わたくしたち、まだ二度しかお会いしたことがありません!」


 声を大にして言うと、その顔があまりに仰天しているのが愉快だったのか青年はクスリと笑う。


「十分ですよ」

「!?」


 その言葉はとても簡潔だったが、更なる驚きをエミリアにもたらした。

 まるで──運命だとでも言われているかのようだった。

 ふわりと笑った青年の表情のなかには、どこか優しさがあって、瞳には慈愛があった。それが、先ほどの彼の『愛しい』という言葉を裏付けているようで。エミリアは、困惑しながらも認めざるを得ない。


(た、確かにこの方は、わたしに好感を持っているよう、よ……?)


 しかし、エミリアはまだ納得がいかない。

 彼は『十分』と言ったが、彼女の印象では、その出会いはけして誇れるようなものではなかった。どちらかと言えば、自分は彼にとても迷惑をかけた。エミリアの頭には激しく疑問符が躍る。


(あ……あんなことをされておいて……? え……? わ、分からない……え……もしかして……ものすごくお世話好き……とか、そういう奇特なお方……なの……?)


 その実自分が、彼が別の姿でいるとき、幾度となく交流を重ねているのだということを知らないエミリアは、途方に暮れた。

 青年の気持ちがさっぱり分からず、どう受け止めていいか分からない。

 エミリアもこの青年をとてもすてきだと思ったが……。


(……だからといって、ホイホイ受け入れるわけにも……でも……お世話になった方に『愛しい』とまで言われておいて、『ああそうですか』なんて素っ気なく返すわけにもいかないし……え? わ、わたし、なんて返せばいいの?)


 これはまったく大問題であった。

 

「う……」


 困り果てたエミリアは、ひとまず一旦彼から離れようと考えた。──が、自分の手が、青年と繋がれたままであることを思い出して表情が固まる。

 未婚の娘としては、よく知りもしない異性と手をつないでいることはとても不適切な気もしたが……相手はなんといっても恩人様。強引に振り払うのもためらわれた。


 そんなエミリアの困惑を、彼女の表情をつぶさに見ていたグンナールも、もちろん察してはいた。

 だが、彼はその手を離すことがどうしても名残惜しい。

 彼は、彼女と出会って以来、ずっとその関係に悩んでいた。

 しかし、思いがけずして今、彼はエミリアに愛を伝える機会を得た。自分の正体など、すべてを明かしたうえでの告白ではないことが惜しくはあるが、それでも自分がようやくエミリアの前に、義兄ではなく男として立てたような気がして。

 この手を離し、このときを終わらせることが苦しいほどに切ない。

 自分のものより細く小さな手はとても華奢だが、そこに触れていると、彼は途方もない安堵を覚えた。

 これこそが、幸せという感覚なのだろうと強く思い、どうしようもなく、ずっとこうしていたいと願ってしまう。

 グンナールは、瞳を閉じて息を吐く。


(……そのためには……そうできるようになるためには、まだまだ解決しなければならないことが、山積みだな……)


 何事も、一朝一夕にはいかないのである。

 それが大切であればあるだけ、衝動的にはならず、丁寧に物事に当たるべき、と、グンナールは、焦がれる思いをどうにか抑えた。

 そして、感情に任せて驚かせてしまっただろう娘に、今はとにかく謝ろうと、彼は顔を上げてその顔を見る。


「エミ──……」


 と、その時のことだった。


 グンナールが彼女を呼ぼうとした瞬間。彼を困惑のまなざしで見ていた娘が、ハッとしたような顔で叫んだ。


「あ! そ、そうだわ! だ、ダメです!」

「!?」


 何やら思い出したらしいエミリアが、慌てたようすでグンナールの手から自分の手を引き抜いた。

 突然の行動に少し面食らったようすの男の前で、エミリアは仁王立ち。その顔はまだ耳まで赤いが、それでも口を引き結んだ表情は教師のように、キリリと引き締まる。

 そして彼女はきっぱり言った。


「申し訳ありませんが……そのお気持ちは受け取ることはできません!」


 この突然の拒絶に、グンナールは戸惑いと悲痛な気持ちを隠さなかった。さっと変わった“恩人様”の顔色を見て、エミリアも一瞬、う……っ、と、苦悶の表情。

 しかし、その顔には固い決意が見えた。


 エミリアは数歩下がって青年から距離を取ると、ぴんっと背筋を伸ばして身を正す。

 傷ついたような“恩人様”の表情を見ると心苦しかったが、ここはお互いの為にも、伝えるべきことは伝えなければと思った。

 エミリアは一旦呼吸を整えて、青年に向きなおる。


「こんな粗忽者に、い、い、愛しいなどとおっしゃってくださったことは感謝いたします、が……」

「……、……なぜですか……?」


 静かに訊ねてくる声は、苦しさを押し殺しているように聞こえた。そんな彼に悪いなと苦しく思いながらも、エミリアははっきりと自覚した。彼の気持ちを聞いたからこそ、より明確になったのかもしれない。


「──わたし、結婚したいお方がおります!」

「ぇ……?」

「っえ!?」


 戸惑い顔色を失ったグンナールの声に、どこかで上がった大きな驚声が重なる。……どうやら、ニコラだ……。


 実は、このひよこ顔婦人は、先ほど令嬢の落下を見て、大慌てて階下に降りてきたのだが……。

 彼女はそこで、エミリアたちのようすを出刃亀中だったゲレオンと出くわした。

 その高貴な客人との邂逅に驚き、さらにはその向こうに見えた令嬢が、例の“恩人様”と話をしているのを見て、ニコラは状況がつかめず……というか、ゲレオンに『静かにしろ!』と引き留められて、物陰から様子をうかがう羽目となっていた。

 そこへ聞こえてきた令嬢の『結婚したい人がいる』宣言に、当然彼女は驚いたわけである。


 けれども、現状ニコラどころではないエミリアも、グンナールも、彼女のほうへは目を向けなかった。

 エミリアは、自分を食い入るように見つめる青年に堂々告げる。

 その姿はどこか誇らしげですらあり、誰かへ想いを馳せているようでもあった。

 恋しげな瞳を見たグンナールは、その瞬間想像を絶するような失望を味わった。

 エミリアがこんな瞳で語る者への羨望と嫉妬が、大波のように押し寄せてきて。幸せな気持ちが一転、地獄の底にでも落ちたような、そんな重みに愕然とする。


 しかし、目の前の男が……まだ出会って浅いその男が。自分の言葉に強く絶望を抱くほど、自分に想い入れを持っているとは思わなかったエミリアは、きっぱりと宣言。


「──わたくしめ、義理のお兄様が好きすぎてたまらないんです」

「──っん!?」


 言った途端、目の前の青年の肩がギクリと揺れ、目が点になったが──そのことには気がつかず、エミリアは真顔で淡々と言う。


「わたし、ここ数日でお義兄様への想いを深めまして。あの方の妻になりたいなと考え始めているところです。だって……お義兄様とは血がつながっておりません、為せば成ると思うのです」

「……、……、…………」


 その顔は、いたって真面目。冗談を言っているようには見えず、グンナールは沈黙。ちょっと衝撃が大きすぎて……頭がまだいろいろ処理できていない。

 そんな彼に、エミリアは神妙な顔。


「ですから、申し訳ありませんが、わたしはあなたのお気持ちには応えられません。わたしは現在、優しくてお強いグンナールお義兄様に夢中です」


 他の方が入り込む余地はございません、と、ドきっぱり。手のひらを『NO!』と言うように持ち上げた娘の顔は堂々として、まるで背後には後光でも射しているかのよう。

 ……エミリアの……決意の固さがうかがえる。が……。

 その言葉には、グンナールも、物陰の二人も唖然としきり。

 まさにそれは、周りが言葉を失くす、爆弾発言であった。




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