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“恩人様”の捜索 3 危険物と原因

 


 あっと思ったエミリアは、すぐにその窓の隣のガラス戸に飛びつく。そちら側の扉は開けるとバルコニーがある。転がるように外にでて、手すりにつかまり下を見た。


「恩人様!」


 呼び掛けると、やはり見間違いなどではなくその人物はそこにいてくれて。彼もすぐにエミリアが覗く窓の下まで移動してくれた。

 エミリアはその姿を改めてまじまじと確かめる。

 黒いツノと黒髪に色白な端正な顔だち。

 あのときの“恩人様”で間違いがなかった。

 嬉しさと驚きで心臓が跳ね、エミリアはオロオロしながら訊ねる。


「ど、どうしてこちらに!? あ、わ……あ! そうだ、お洋服! わたし、汚したお洋服を弁償しようと思って服を用意したんです! え、ええと……」


 振り返ると、彼にずっと渡したかったものは室内のキャビネットの上に。

 ブルーのリボンがかかったよそ行きの佇まいの白い箱。

 今こそあれを渡さねばと焦るエミリアは、彼に「ちょ──ちょっと──待ったった(待っていて)くださいね!」と、舌をかみかみ声をかけて、部屋の中にとんぼ返りしようとした。……が。

 彼女が慌てて箱を取りに戻ろうとすると、それを、下からの声が引き留める。


「──いや、お気持ちはありがたいが弁償など必要ありません」

「ぇ──……?」


 聞こえてきた声に、エミリアは再び手すりから階下へ視線を落とす。するとそこに立っている青年は、静かに目礼し、自分は今回の式の参列者の付き添いで、エミリアが自分を探していると聞いてやってきたと簡単に説明。


「お時間がないと困っておいでと聞き、非常識にもこうしてこのような時間に押しかけました。が……それは何も金品が欲しいからではないのです」


 彼がここに来たのは、もちろん気に病み続けているらしいエミリアの気持ちを早く楽にしたいがためだった。夜が更けても彼女の部屋の明かりはずっとついていて、グンナールはそれが気になってしかたない。

 本当ならば、こんな夜間に男が令嬢を訊ねていくのはよくないが、窓の下から二三言葉を交わす程度なら距離が保てるし、誰にも気がつかれまい、と、考えた。

 グンナールはあの日以来の人態で、エミリアに微笑みかける。


「あの日は、わたしこそあなたに助けられました。ありがとう」

「? わたくし、何かいたしましたっけ……?」


 エミリアは“恩人様”の言葉に戸惑いを見せる。

 それは謙遜などではなく……正直なところ、彼に対する懺悔の気持ちが強すぎて、あの日起こったそのほかのことは、今ではエミリアの中では印象が薄い。

 ……まあ、そりゃあ見知らぬ青年に()()を吐きかけておいて気に病まない娘はおそらくいないだろう……。

 ただ、やんわりではあったが、もう一度弁償は不要と念を押されたかたちのエミリアは落胆。

 ここでふと、穏やかな口調を聞いた彼女は、あら? 彼の声、誰かの声に似ているような……と引っかかりを覚えたが……。

 ずっと気になっていた恩人様からの、恩返し不要のお達しはエミリアをとてもがっかりさせた。がっかり度が高すぎて、彼女はそれが誰の声だったのかは思い出さなかった。


(そんな……でも、押し付けはよくない……)


 階下を覗いてそれとなく確かめると、青年は身なりもよく、ちゃんとした服を着ているように見えた。

 彼が『服がない』と泣く夢を見ていたエミリアは、なんとなくホッとする。

 本日の彼は、先日のような旅衣装ではなく狩人のような服装をしている。白シャツに丈夫そうな黒革のベストとズボンにブーツ。なんだ……お洋服、あったのね……とエミリアは、よかったよかったと一人胸をなでおろす。

 しかしホッとしたついでに、もう少しだけ粘ってみようかという気持ちにもなった。

 あれは彼用に入手したもの。できれば彼に使ってほしい。

 

「……でも恩人様。こういうときは、クリーニング代をお渡しすることがマナーです。お洋服はあなた様に似合いそうだなと思うものを用意いたしました。その……ご迷惑でなければ受け取っていただきたいです……」

「……」


 下からバルコニーの手すりの上に見える顔を見上げていたグンナールは、その言葉に沈黙。

 自分を見下ろすエミリアの顔からは(受け取ってほしいぁ……)(なんとかもらってもらえないかなぁ……)(どうしたらいいのかしら……)という必死な気持ちが駄々洩れである。その表情の分かりやすさが、なんとも愛しくて困った。今すぐにでも、分かった受け取ると頷いてしまいたいところを……グンナールはなんとか堪える。


(……エミリアから贈り物など受け取ってしまっては、舞い上がってしまいそうだからな……)


 彼としても苦しいところだ。

 エミリアから自分だけのために用意された品物など、考えただけでも心が躍る。

 もしそんなものを手に入れてしまったら、彼はきっと嬉しすぎて、毎日でもそれを眺めて過ごしてしまうことだろう。

 しかし……恋情が恐ろしいのは、想い人への気持ちが強くなれば強くなるほど、正常な判断力を奪ってくるところである。

 愛しさに負けて理性を欠いたあげく、普段の人格からはかけ離れたような奇行を犯すこともある。

 グンナールには、今自分がその危機にある自覚があった。

 もうすでに、相手の身元も気持ちも確かめず、求愛の品を贈ってしまうという愚行を犯してしまった。

 ここへ来て、さらに気持ちの高まりそうな物体は──……


 グンナールは灯りから顔を背け、暗闇の中でクッと苦悩。


(……それはもはや……私にとっては危険物……、……、……すまぬエミリア……理性の危機なのだ……)


 きっと受け取ってやれば彼女も気も休まるのだろうが……ここは、それを受け取らずとも、気持ちだけいただくという方向でなんとか事を収めたかった。

 と、“恩人様”の苦悩も、その正体も何も知らぬエミリアが、ここでハッと何かを思い出した顔。


「あ! そうです! わたし……あなた様に“力の象徴”までいただいてしまいましたし! やはりお礼は受け取っていただくのが妥当なのではないでしょうか!」

「……力の……象徴……?」


 何やらどこぞで聞いたような謎の言葉に、グンナールは一瞬眉根にしわをよせる。──と、エミリアは自分の胸元に揺れていたペンダントをつかんで、彼に見せるようにバルコニーから身を乗り出した。


「お忘れですか……⁉ これです! 力の象徴です!」


 と、言って、ペンダントからバーンッと取り出して闇夜に掲げられたのは──もちろん、例の血紋ウロコ。

 彼の喉元から彼自らが剥ぎ取り、魔力と熱愛をこめて手渡した、半透明な黒いそれ。


「っう……!?」


 とたん、グンナールの顔が怯む。

 エミリアの部屋から漏れる薄明りの下では、それは闇に紛れほとんど目視できない、が。そこから発せられ続けている自分の魔力で、当然彼にはそれが何か分かった。

 グンナールは複雑さと戸惑いの入り混じった表情。

 ……まず、自分のウロコがまた何やら仰々しい呼び方をされていることに困惑。おまけに自分の求愛の証のようなそれを「ほら、これですこれ! お忘れですか⁉」と、エミリア本人に振って見せられるという羞恥。

 青年は顔を赤らめ、思わず痛恨という顔。そしてグンナールは、ここで察する。

 ──そういえば……同じようなことを口にして、叔父にウロコをねだった雄鶏がいた。

 彼がどうしてグンナールたち竜人族のウロコを、力の象徴などと言ったのかは理解できないが……どうやらエミリアに自分の求愛が伝わらなかった一因は、あの者にありそうだ。


「……、……(パール君……)」

「?(……あら……なんだろう……すごくつらそうなお顔……?)」


 眼下では青年が、かの雄鶏を思い出し痛恨という顔で眉間に手をあてている。その様子にエミリアは、自分が何か変なことを言ってしまったのだろうか……と、とても不安になった……。



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