“恩人様”の捜索 1
寝台で眠ったままのエミリアは、布団の中でずっとうなされ続けていた。
横たわった顔には、眉間に深いしわ。その口から、繰り返し漏れてくるのは、『時間がない……時間がない……』という苦し気なうわ言。
時折、眠りから抜け出そうとあがくような様子も見せ……これが見守る夫妻をとてもとても心配させた。
寝台脇に座ってエミリアの顔をのぞきこんでいたグネルが、悲壮な顔を夫に向ける。
「バルドハートはいったい何をこんなに……時間がないとは? どういうことなのでしょう……?」
泣きそうな妻の顔を見て、その肩をなだめるようにさすったアルフォンスは。こちらも沈んだ表情で何事かを考えている。
医師の診断によれば、エミリアの身体自体は特に問題はないそうだ。
ただ、急激な魔力切れと、その後応急的に彼の継子グンナールがエミリアに魔力を分け与えたことで、その増減が体力のないエミリアの身体に響いているとのこと。
正直な話……ずっと武術だけで身を立ててきた元騎士のアルフォンスは、エミリア同様魔術のたぐいにはからきし知識がない。
娘が魔力切れを起こしていると言われても戸惑うばかりで、継子が娘に魔力を分け与えたと聞いても、そんなことができるのかと驚くばかり。
ただ、これは全体的に魔力量の少ない人族にはありがちなことだった。
人族でも時折魔力に秀でているものが現れるが、それでも世には、彼らよりもずっと魔力が多く、魔術を得意とする他種族が溢れている。
竜人族やエルフ族など、魔力量の多い種族と比べると、やはりそこは劣ってしまい、よほどの傑物でもない限り、種族の混在する国では、人族の魔術師はあまり需要がないのが現状であった。
グンナールから、エミリアの不調の原因が魔力にあるようなので、一度専門的な魔法医に診せたほうがいいと助言されたアルフォンスは、驚くと共に苦悩。
自分に魔力についての知識がなかったばかりに、娘を長く苦しめてしまったのだと察した。
知識はなくとも、もしそばに居さえしていたら。王城では魔術師と働くこともあった彼のこと。きっと気がつくこともあったはず。やはり離れて暮らしたのは間違いだったかと……彼はエミリアに申し訳なくてたまらない。
ここはせめて娘の苦悩を取り除いてやらねばと、アルフォンスはグネルに断ってエミリアの部屋を出た。
事情を知るだろうニコラのもとへ急ぎ、彼はほどなくして居間で彼女を見つけたのだが……。
そこには継子グンナールと妻の兄も顔を揃えていた。
「ニコラ、少し話を……おや? ゲレオン様はどうなさった……?」
居間に入ると、奥にある肘掛椅子のうえで、なぜかげっそりうなだれている妻の兄。
その疲れ切ったようすにアルフォンスは戸惑いを見せる。
さらにそのそばにはニコラがいて、彼女はなぜか両手でエミリアの愛鳥パールの身体をわしづかんで捕えている。
その顔は、なんとも微妙な表情。
アルフォンスはいったい何事が起ったのだと戸惑うが。しかし問われたグンナールは、なんでもありませんと小刻みに首を振る。
「叔父は張り切りすぎて気疲れしたようです。それより男爵、エミリアの様子はいかがですか……?」
「あ、ああ……今は安定している、の、だが……?」
そう応えつつも、アルフォンスは妻の兄を気にしているようだった。しかし彼が信頼するニコラが沈黙していることもあり、まあ、問題はないのだろうと判断される。
それよりも、彼は今は娘のことが心配で。アルフォンスはニコラのほうへ進み、彼女に訊いた。
「ニコラ、バルドハートがうわ言で『時間がない時間がない』と繰り返しているのだが……なんのことか知っているか?」
「時間、で、ございますか……?」
「ああ。『あんなことをしておいて……償わぬは極悪……』などとうわ言を言っていて非常に心配なのだが……」
「……、……ぁあ……」
男爵の言葉に、一瞬なんのことだろうと怪訝そうだった婦人は、ああ……と、何故か表情が生温かい。
「? 心当たりが? あんなこととは……いったいなんのことだ?」
「ええと……あれですね。先日の……嘔吐事件のことかと……」
非常に言いづらそうなニコラに言葉に、アルフォンスの目が点。
「………………嘔、吐……? ……ああ……もしや到着日、の……?」
「……ぁ……」
渋い顔で頷くニコラに、どうやら彼女から多少の報告は受けていたらしい父は難しい顔で沈黙。グンナールは……ハッとする。
彼は、本日の騒動で、その一件のことはすっかり忘れてしまっていた。
しかし言うまでもなく、彼にとってはそれは“極悪”などと評するには値しない出来事。
あの時は、自分がまずエミリアに助けられたのであって、のちにその彼女の一助となれたことは幸い。むしろあの場に居合わせたのが自分であって本当によかったと思っている。
その過程で被った多少のことは、気にもならなかった。
しかし、エミリアが、そのことでうなされるほどに気にしているのならば、これはグンナールにとっても悩ましい。
と、ニコラが男爵に説明を続ける。
「そのとき助けてくれた方……多分竜人族の方だと思うのですが。……の、お洋服に粗相をなさったことを気になさっているのだと思います。お相手の身元がはっきりせず、謝罪もできない、弁償もできないと嘆いておいででして……探し出そうと思いつめておいででした。でもあれこれ起こってしまったので、捜索に着手できず気に病んでおられるのかと……」
ニコラも鳥類の伝手──クロクストゥルムの野鳥などに聞きこみをしていたが、どうにもその人相の竜人族を見かけたという情報が集まらない。
まあそれは……あれ以降グンナールが、あの時と同じ人態に変じることを控えていたせいである。
それをまったく知らないニコラやアルフォンスたちは困り顔。
「なるほど……時間がないとはそういう……。確かに、時間がないな……」
予定では、エミリアは明日学園に帰ることになっていた。ただ、今回彼女が倒れてしまったこともあり、男爵は彼女の帰寮を一日遅らせようと考えていた。
しかしそれもそう長くは引き延ばせない。
「あの子の性格では当然気にするだろう。……分かった、ではニコラ、その方の特徴を教えてくれ。わたしがその御仁を探──」
「! あの、男爵、」
アルフォンスがすぐにでも“その御仁”を探しに行ってしまいそうな気配を感じ、グンナールは慌てて彼に呼び掛けた。
もちろん“その御仁”とは、彼のこと。
今はまだそうだとは打ち明けられないが……それが分かっていて、母の夫を煩わせるわけにはいかない。
慌てて呼びかけると、アルフォンスは不思議そうに継子を見る。
「……グンナール?」
「いえ、その……相手はわたしと同じ竜人族とのことですから、おそらくこたびの式の出席者か、その関係者でしょう。でしたら、捜索はわたしが適切かと」
グンナールはそう申し出るが、けれどもアルフォンスは戸惑いをのぞかせた。
「……そうなのか? いや……しかし……娘の粗相の後始末を君に頼むのは……宴の件でもずいぶん忙しかっただろう?」
青年は、グネルの息子としてずっと式や宴の手配、客の対応、使用人たちの指揮やらに奔走していた。
思いがけずグネルの兄もやってきてしまったせいで、さまざまな負担が彼には掛かっていると言える。
そこへ来て、自分の娘のためにグンナールを働かせるのは、あまりに申し訳ないとアルフォンスは考えたわけだが……。
グンナールは、いいえと首を振り、力強く前に出る。
「エミリアはすでにわたしの大切な家族です。彼女のためならば、わたしは幾日幾晩でも喜んで働くでしょう」
それは、アルフォンスに無駄な労力を払わせないため出た言葉だった。しかし、それはまごうことなき彼の本音。
言ってしまってから、グンナールはしみじみ自分の言葉に確信を感じる。
エミリアのためなら、何日でも、何年でも、何にでも勤しめると。それだけの熱意が、たった数日の出来事で自分の中に生まれ、且つ、ゆるぎないものとなっていることが、不思議で……そしてとても嬉しくもあった。
彼女と出会ったことで、世界はそれまでと比べようもないほどに輝いているように感じられた。幾日でも幾晩でもと言った彼の言葉は嘘でもなんでもない。心からの言葉である。
そうした彼の気持ちは、継父を見つめる表情にもにじみ出ていた。
どこか喜びを湛えた瞳と、そこに浮かぶ確固たる自信を目の当たりにしたアルフォンスとニコラは、感動。
……ただ……もちろんそれは、恋する男としてではなく、義理の妹を想う義兄からの家族愛として受け取られた。
(若旦那様……そ、そんなにお嬢さまのことを……? ああ……なぁんていい義兄さまかしら!)
(グンナール……さすがグネルのご子息……愛情深い……)
……まさかその奥に、家族愛を超えたものがあるとは思いもしない二人は、感動のあまりキラキラと頼もしく彼を見る。
──が。
「…………」
蚊帳の外からそのやりとりを聞いていた男は、なんとも複雑そうな表情で甥を眺めていた。
彼は甥の身勝手を責めたかったが……エミリアのことを語る甥の目が彼にそれをためらわせている。
普段は軽率とはとても言い難い甥が、出会って即刻ウロコを贈ったという事実から考えても、甥の彼女に向ける思い入れは相当なもの。
──ただ、その裏には、当人らの想いの深さだけではとても解決できない問題がひそんでいる。
立場的にそれを歓迎できないゲレオンは、甥を静かに睨んだ。
(……大事になる前に、なんとか想いを断ち切らさせなければ……)




