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その出会い 3

 


 エミリアはパールを抱きしめたまま、その人物を唖然と目で追っていた。

 人気のない山中で、イライラと木立の間を行ったり来たり。せわしなく動き回りながら、ときどき誰かに対する毒のある言葉を吐いている、誰か。

 声のトーンから言って、黒いローブの中身はどうやら男性らしいが、それはどう見てもエミリアの知り合いではない。

 揺れるフードの下にときおり見える顔は中性的。とても色白で、あごはほっそり。目は細く切れ長で、瞳の色は強い生命力を感じる黄金。

 髪はローブで見えないが、男性的な美しさも、女性的な美しさも両方備えたような不思議な顔立ちをしていた。


 そんな謎の人物を、エミリアはポカンと口を開けて眺めている。

 ただそれは、別に彼に見とれているわけではない。

 彼女は今、彼を見つめながら、そこに別の景色を見ていた。

 エミリアは、腕の中のパールに小さくささやきかける。


「……ねえ、信じられないわパール……わたしたち……空を飛んだわ……」


 そう、エミリアとパールはこの山中に、彼の飛行能力によって強引に連行された。

 見知らぬ男にさらわれたのだから、本当ならまずはそちらを不安に思うべきかもしれないが、その体験は人族の彼女にとってはあまりに驚くべきものだった。


 抱えていた愛鳥を見た彼に、謎のいちゃもんをつけられ不可解に思っていると。突然首根っこをつかまれて、空の上。

 そのとき目の前に広がった光景は、これまで彼女が見てきたどんな景色とも違っていた。

 見上げた暗い雲のなかには、所々に稲妻の灯りがパッと走ってはすぐに消え、ゴロゴロと不機嫌そうな音を立てていた。

 眼下に広がった景色はどんどんと遠ざかり、民家の屋根も、町を歩く人々も、ぐんぐん小さくなって。そのスピードときたら、まるで彼女たち自身が風になって世界を駆け抜けているかのようだった。

 この衝撃に、エミリアは愕然としたが──しかし恐怖するよりも先に彼女は慌てた。

 脚が地上から遠く離れた彼女の腕の中では、同じく景色の急転に驚いたらしいパールが身を硬直させていた。

 もうそこからは無我夢中。

 エミリアは愛鳥を空中で離してしまわないよう、とにかく小さな身体を固く抱きしめて。

 ……そして気がつくと、彼女たちはこの木々に囲まれた場所に連れてこられていた。


 ローブの御仁はそこですぐに彼女たちを解放し、イライラとまわりを徘徊をはじめ……。エミリアたちは、ぽかんと魂の抜けたような顔でそれを見つめていた……と、いうわけである。


「……、……、……はぁ…………」


 しばし徘徊男を無言で眺めていたエミリアは、ふっと安堵の息。

 なんだかよく分からないが……本当に欠片も状況が分からないが……ともかく。

 二人とも、無事地上に戻れてよかった。

 自分の足が再び地面に足がついているのを確認したエミリアは、虚脱感に襲われた。


(……地上のありがたさよ……もしや我々人は、天に祈るより地に感謝するほうが先なのでは……?)


 しみじみと地面が愛しかった。……のはまあいいとして。

 力の抜けたエミリアの全身は、なかなか力が戻ってきそうになかった。しかし、それでも彼女はしっかりとパールを抱きしめることに務めた。

 腕の中の愛鳥はまだ衝撃から抜け出せていないのか、声も出さずにじっとしている。そんな静かな愛鳥のようすに、エミリアの両眉尻が一気に下がる。

 さぞ怖かっただろう、大丈夫だろうか……と案じつつその背をなでると、手のひらにはほどよいぬくもり。その体温は、上空の冷たい空気にさらされ、すっかりひえきってしまったエミリアをじんわりあたためてくれる。

 どうやら彼女がしっかり抱きしめていたことで、パールは体温を奪われずにすんだらしい。そのことにホッとすると同時に、なんだかさらにどっと疲れを感じた。


(もし……途中で落とされたらどうしようかと思った……)


 そう、もしあんな高さで徘徊男が彼女から手を離していたら、エミリアもパールもきっと命を落としていた。

 冗談じゃないとエミリアの顔に頑固さが戻る。

 誰しもがいつかは死ぬ運命だが。それは何もこんな日でなくてもいいはずだ。

 父と継母の再婚式という、こんな大事な日に死ぬなんて。エミリア的には、そんなことは絶対に許されない。


(そんなことになっていたら……お二人をどれだけ悲しませたか分からない……)


 自分たちが今、そんな危機を渡って来たのだと思うと……当然、彼女の謎の男に向ける三白眼は険しくなった。

 その男はいまだ彼女の前を、深刻な表情で行ったり来たり。

 何を考えているのか知らないが、本当に、迷惑千万極まりない。


(あら……? 待って……さらわれて来たということは……もしやわたしたち、まだ危機の最中……?)


 謎の男は、出会った時、パールを見て驚いていたようだが……彼女たちをここに連れてきたその目的は、ようとして知れない。

 ふと、考えていたエミリアの顔がさっと警戒感にこわばった。

 

(まさか……強盗……!? ニワトリ強盗なの……!?)


 エミリアは思わずパールを隠すように抱きしめた。




 男の名はゲレオンと言った。

 そしてその実、彼がエミリアに『それを誰からもらったのだ!?』と詰問した『それ』とは、パールのことでは、ない。


 彼がその気配に驚き、指差さずにはいられなかった『それ』とは。

 エミリアが抱きしめた雄鶏、の、羽毛と彼女の胸の間に挟まれていた、ロケットペンダントの中身のことなのである。

 そこにまごうことなき同族の強い魔力を感じたゲレオンは、対処に困り、非常にいら立っている。


(あれは確かに血の力を得ている……なぜ……!? そのような報告は受けておらん! いや、問題はそこでは……)


 ゲレオンは思わずエミリアをぎろりと睨む。

 ──と、思いがけず、その娘も彼を睨んでいる。


「!?」


 警戒感も露わな娘のガラの悪い顔に、彼は一瞬とても驚いた。


「!? ……おい娘、なぜこちらを睨んでいる……?」

「……、……“なぜ”……?」


 その問いに、疑問と不可解さを感じたエミリアの眉間の谷はさらに深くなる。


 なぜ? とは?

 この御仁はいったい何を言っているんだろうか。いきなり他人をこんなところにさらってきておいて、なぜもくそもあるだろうか。

 あれは睨まれて当然の暴挙であったのでは? という不満を眉間に存分に表しながら、エミリア。


「なぜ、とは? あなたがわたしとパールを、こんなところにお連れになったりなさるからでは? わたしは当然警戒してしかるべきです(ニワトリ強盗かもしれないし)」

「いや、しかし………………」


 ゲレオンは戸惑った。

 この男は、普段あまり人に反論される生活をしていない。

 特に、この娘のような小さき存在からは、恐れられるのが当然。

 ただ彼はここで、ハッとする。

 そもそもこの敵地遠征が不愉快極まりないことと、唐突にもたらされた驚きによって忘れていたが……。そういえば、彼は忍んでいたのである。

 

「は!?」


 さらに彼は周囲の暗さに気がついて、慌てて空を見る。

 

「し、しまった!」

「?」


 とたん、なぜか上空を見てうろたえはじめた男が謎過ぎて、エミリアの三白眼は怪訝さ全開。

 彼と同じく空を眺めてみるが、曇天は相変わらず──と、エミリアの瞳があら? と、瞬く。

 ずっと曇り空だった空は、時折雷鳴もゴロゴロと響いていて、今にも雨が落ちてきそうだと思っていたが……。

 見上げていると、分厚かった雲はしだいに薄くなっていき空には晴れ間が見えてきた。

 しかしそれ自体は特に珍しいことではない。

 エミリアは特に何も思わずに、ふと視線を地上に戻す──と。


「……、……、……」


 明るくなった空を見て、わずかに表情を和らげていたエミリアが、また怪訝そうな、奇異なものを見る目で眉間に縦じわを作る。

 そんな彼女の視線の先では……。


 ローブの御仁が、なぜか一生懸命深呼吸を繰り返していた。

 必死に腕を上下させ、胸を開き、閉じ、呼吸を繰り返す男を見て。エミリアは警戒感と呆れがMAX。


「……、……、……なぜ、今…………?」


 本当に、意味の分からない出会いであった。





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