その出会い 2
「エミリアが……消えた!?」
邸に飛び込んできた一報に、グンナールは愕然とした。
慌てて帰って来た御者にどういうことだと詰め寄ると、彼は怯えた様子で『令嬢が誰かにさらわれたらしく、ニコラが今町を必死で探している』と報告した。
次の瞬間、御者はギョッとする。
グンナールの赤い血のような色の瞳が、一瞬燃えるように輝いた。爛々と、燃えたぎるような色を目の当たりにした御者は慄き身をすくめたが。グンナールは彼に押し殺した声で言った。
「……分かった。わたしもエミリアを探しに行く。宴は少し遅れると男爵殿に報告を。だが、」
グンナールは強い視線で御者に命じる。
「このことは母には伏せておけ」
もし今、エミリアを溺愛するグネルがそのこと知れば、最悪クロクストゥルムが火の海になる。
ここがもし祖国であれば、竜人族仕様の町は、頑丈で、火竜対策も万全だが。ここはほぼ人族だけの領地。建築物のほとんどは木造で、家屋はたやすく燃えるだろう。
もちろん一番はエミリアの身の安全だが、領民のためにも、領主である継父のためにも。そして、継父を愛し、母のことも慕ってくれているエミリア本人のためにも。火竜たる母を怒り狂わせるわけにはいかない。
グンナールは焦燥にあえぎながらも、いくつかの指示を御者に伝えてから男爵邸を飛び出した。
扉をくぐった瞬間、彼はドラゴン姿に変じ、そのまま地を蹴り空に舞い上がった。
その胸には後悔が突き刺さる。
エミリアと共に邸に戻ればよかった。
しかし母の挙式というこの日、嫡男の彼は朝から目の回る忙しさ。式の総括は当然のごとく彼の役目で。式と宴の手配、来賓へのもてなしなど。諸事をこなして多忙を極めていた彼は、移動手段を翼に頼っていた。それは馬に乗るより格段に速く、そして単身で動ける手軽さがあった。
ただそうなると、エミリアと彼は別行動をとらざるを得ない。
彼女の身体は高速の移動に耐えられないだろうし、彼女には彼女で、男爵の娘としての役割があった。
(しかしまさか……こんな日にエミリアをかどわかすものがいるとは……)
今彼女がどうしているかと思うと、グンナールは胸が張り裂けそうである。青年の胸の中には強い怒りが湧いた。
(いったいどこの誰がこのような愚かなことを……!)
クロクストゥルム上空高く舞い上がった彼は、町中にその気配を探る。
このとき彼は、心底自分のウロコを彼女に渡しておいてよかったと思った。あれさえあれば、彼女の行方はたやすく探れる。
案の定、街はずれの山中にその気配を探り当て、グンナールは険しいまなざしで、力いっぱい両翼を動かした。
義兄グンナールが悲憤に駆られていたころ。
さらわれたエミリアは、謎の男と無言で睨みあっていた。
……事の起こりはこうである。
式の直後、恩人様の捜索を一時中断し、宴が催される男爵邸に戻ろうとしていたエミリア。
ささやかな式であるとはいえ、彼女には来賓たちの、特に女性のもてなしをするように任されている。ニコラや、父と継母、そして義兄には無理をするなと言われたが。そうはいかぬとエミリアは気合十分。こんな家族にとって大事な日に、黙って座ってなどいられるはずがない。
それなのに。
エミリアは、男爵邸への帰宅の途中、ちょっとしたトラブルにみまわれてしまった。
義兄グンナールに見送られながら馬車に乗りこんだまではよかった。が……その途中、いきなり天気が急変してしまった。
その日は朝から薄曇り。でも雨が降る気配はなく、ホッとしていたのだが。
慶事用に飾られた天井のない無蓋馬車に乗り、ちょうどマール川の橋に差し掛かった時。急に空が真っ暗になった。
これは雨が降るぞと、慌てたニコラが馬車を止めさせて。彼女は天井付きの馬車を手配し直してくると、急ぎ馬車を降りていった。
そこでエミリアは、鳥かごに入ったパールと、御者と共に馬車で待っていたのだが……。
ニコラが行ってしまってすぐのことだった。
突然あたりが白紫の光に包まれた。ぎょっとした瞬間、大地が裂けるような激しい音。
──どうやらかなり近くに雷が落ちたらしかった。
そのものすごい音にエミリアは驚いて。と、そのとき腕に抱えていたパールが雷鳴に驚いて鳥かごの中で大暴れしはじめた。
『あ!』
次の瞬間、エミリアは短い悲鳴を上げる。
パールの蹴脚が鳥かごの木枠を強く蹴った拍子に、蓋が壊れてパールが外に飛び出した。
すっかりパニック状態の雄鶏は、そのまま馬車から飛び降り、町の方へ走って行ってしまう。
『! パール!』
これにはエミリアも仰天。パールは一目散に川べりの道を逃げていく。エミリアは、とっさにパールを追って馬車を飛び降りていた。
その背後では、御者が驚いて叫んでいたが、愛鳥の逃亡に慌てた娘は後ろを振り返ることはしなかった。
『パ、パール……ま、待って…………』
そうして、ゼイゼイ言いながらパールを追いかけること数分。今にも雨が降りそうな空の下、エミリアはとにかく必死でパールを追いかけていた。
──と、かろうじて視線の先に捉えていた愛鳥が、ふいに往来でぴたりと立ち止まっている。
これはチャンスだと思った。体力のないエミリアは、すでにヘロヘロであったが。なんとか愛鳥を捕まえたい一心で、その背後に忍び寄り……一思いにその後ろ姿に飛び掛かった。
『っ! ……つかまえた!』
身を投げ出すように白い羽毛に包まれた愛鳥を両手でわしづかむ。と、愛鳥は特に暴れるようすもなくジッとしている。
(はぁ、はぁ……よ、よかった……)
まずは愛鳥を捕まえられたことに心底安堵して。エミリアは、地面の上でへなへなと息を吐く。パニック状態で走っていく彼を見た時は、本当に肝が縮んだ。田舎町とはいえ、慣れぬ土地で迷子になどなったらどうしようかと思った。
『ま、まったく……あなたったら……びっくりさせないで……』
と、一つ愛鳥に苦情でも言ってやろうと視線を上げると。ふと、そんなエミリアの目に、愛鳥越しの誰かの姿。
『あ、あら……?』
その人物はフードを目深にかぶっていたが……現在地面にほぼ寝そべるような形でパールをとらえているエミリアには、低い位置からその表情がよく見えた。
驚愕に満ちた美しい顔が彼女を唖然と見ている。
パールのことしか見えていなかったエミリアは、はたと気まずそうな顔。
(……しまった……)
仕方なかったとはいえ、なかなかに豪快なスライディングを他人に披露してしまった。きっと、この人はさぞ驚いたに違いない。
申し訳なさを感じたエミリアは、パールをガッシリ捉えたまま慌てて立ち上がる。
『驚かせてしまい申し訳ありませ──』
『コケェエエエエッ!?』
頭を下げようとした瞬間。腕の中から、耳をつんざくような愛鳥の鳴き声。これまでにない興奮しきった絶叫に、エミリアはギョッと顔を歪める。
鳥の鳴き声は、間近で聞くとなかなかの強大音。鼓膜にダメージがくる攻撃力に、エミリアは、一瞬クラリとめまいがする。
『ちょ……パ、パール! も、申し訳ありませんお許しを! お、落ち着いて……』
暴れようとする雄鶏を必死になだめつつ、相手に謝りつつ。ひとまず人のいないところへ連れていこうと足を踏み出した。──と
『待て!』
『う?』
鋭く呼び止められて、エミリアは咄嗟にビクッと足を止める。
声がしたほうを振り返ると、先ほどパールが見上げていた人物が、どこか険しい顔で彼女を見ていた。
『あ……申し訳ありませ……』
エミリアは、怒らせてしまったのかと困り果てたような顔。謝意を見せて謝ろうとするが、しかしその人物は、彼女の言葉をさえぎって、彼女が抱きかかえたパールを指さした。
『おい娘……それを一体どこで手に入れた!?』
『……え?』
パールを指さし怒鳴られたエミリアは怪訝。
一瞬意味が分からず沈黙。その人物は、確かにエミリアが腕に抱いているパールを指さしているのである。
パールは、特になんの変哲もない雄鶏である。どうしてそんなことを、こんな必死な顔で詰問されるんだろうと思いながらも、エミリア。
『………………(元)婚約者にもらいました』
言いながら、ドミニクを思い出したエミリアの眉間にはつい癖でしわが寄る。
と、相手はいっそう驚いたようだった。目を瞠った麗人は、唖然と叫ぶ。
『こ、婚約者だと!? 婚約者だと!?』
『はあ……』
さきほどまではその人物に謝意を見せていたエミリアも、ここらあたりでなんだかとても不審げな顔を見せる。
(………………この方、なんなの……?)
婚約者にニワトリをもらったことがそんなにビックリするようなことか? ……いや、確かに雄鶏は若い娘にたいする贈り物としてはどうかと思うが……。ともかく。
それがこの人に、いったいなんの関係があるというんだろう、と。
エミリアは意味が分からな過ぎて。グンナールのおかげでどこかへ消えていたやさぐれ令嬢感が再び顔に出現。
警戒感丸出しの令嬢に、謎の人物は愕然としている。
……と、まあ、このふたりの邂逅はこのような経緯であったわけである。
直後エミリアは、町はすれの山の中に、パール共々連行されることになる。




