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母子の対立

 


「──貴様は自分の罪をわかっているか……?」

「……」


 エミリアを部屋に送り届けたあと。彼が彼女の私室の扉を閉めて、やっとほっとした瞬間。背後からはおどろおどろしい声。

 低く、不満と冷気をただよわせた声に、グンナールは沈黙。彼を“貴様”などと呼ぶ存在は、この世に一人だけ。

 やはり来たかと思いつつ、黙したグンナールは後ろを振り返る。

 するとそこには、案の定グネルが仁王立ち。

 彼女はいかつい顔で息子にアゴをしゃくって見せ、彼を自分の部屋へ連行。

 私室へ入ったとたん、「で?」と、溶岩のような色の瞳で睨まれた青年は、素直に母に口を開いた。


「……わたしはエミリアを部屋に送り届けただけですが……」


 彼はなんら責められるようなことはしていないと言うと、グネルはカッと目を見開く。


「お黙り! 膝枕に懐抱、頭もなでて! 継母たるわたしを差し置いて……図々しいわよ!」


 しかしこの憤慨には、グンナールが眉をひそめる。


「……見ておいでだったのなら、助けにきてくださればよかったのに……」


 膝枕、という言葉が出たということは、母がそのあたりからあの現場を目撃していたということ。

 グンナールは恨みがましい顔で憮然。


「わたしがどれだけ困っていたか、お分かりだったでしょう?」


 彼にとってはまったく複雑なことに、彼ら竜人族は生物や魔力の気配に敏感。

 特に身内のような知った仲であれば、それはより分かりやすいものとなり、たとえ家屋などの壁にさえぎられ互いが見えていなくとも、これだけ近くにいれば、相手が激しく動揺していればそれが分かる。

 グネルは、エミリアに動揺させられた息子の窮地を分かっていたはずなのである。


 が、彼女は平然と言う。


「だってアルフォンス様が『せっかく二人が仲良くなる機会だからそっとしてこう』と、おっしゃるから」

「……」


 軽く返されたグンナールはため息。

 まったくこの母は、エミリアの父にすっかり骨抜きにされている。


「なら、文句を言わないでいただきたい……」

「だってお前、バルドハートに気があるじゃない」 

「………………」


 そう言ってねめつけられたグンナールは、ぐっと言葉に詰まる。


「アルフォンス様は、まだそのことをご存じないからそんなことおっしゃるの。だったら、わたしが目を光らせていなければいけないでしょう? 感謝なさい。アルフォンス様にはまだ黙っていてあげているのよ?」


 そうぎろりと睨まれたグンナールは返す言葉がない。が、いや、と顔を上げる。

 

「し、しかし、それならばよけいにすぐに駆け付けてくだされば……」


 あのあと、諸事情でエミリアを部屋に運ばなければならなくなった彼は、再びかなりの精神負荷を味わった。

 あのように、心底愛しい、可愛らしいと思ってしまった直後に、再び彼女に触れることは、正直苦行。

 嬉しいとか思っていられない。

 自分を戒めるので精一杯だった。

 あそこでもしグネルが来て、彼女の希望どおりにエミリアを引き受けてくれれば、彼としても心臓の回復が見込めたのに。

 けれどもグネルは、恨みがましい顔で自分を見る息子をキッと睨み返す。


「仕方ないでしょう! わたしは、先にバルドハートに無礼な女中たちを叱らなければならなかったんだから!」

「……ああ……」


 無礼な女中、と聞いて、グンナールはなるほどと得心がいった。

 イドナとマチルダ。

 あの二人は、これから彼も厳重注意にいくつもりだった。

 しかしどうやら先んじて、彼女たちはグネルによって、もっと恐ろしい目にあわされたらしい。

 彼と違って、グネルは敵に容赦がない。……いや、敵と言わず、身内でも時々その被害に合うが。


「……注意はうながしましたか?」

「当り前よ! 旦那様の血縁だから今回は口頭注意だけれど、次はないと言っておいたわ」


 ……ちなみに、口頭注意、といっても。グネルの場合、ドラゴンの顔、目、口、牙、爪、巨体を駆使して脅しにかかってくるので、人族の娘たちは相当に恐ろしかったはずだ。

 グネルは大きな口から唸り声と煙を吐く。


「もし次にバルドハートきゅんにあんな口を利いたら……火の呪いをかけて絶海の孤島にでも放逐してやる……!」

「……、……、……孤島はやめましょう。あと“きゅん”もおやめください、聞いていられません」

「お・だ・ま・り! わたしの勝手でしょう!」


 バルドハートのことを考えたら、尊すぎて勝手に口から出てくるのよ‼ と、グネルは目を剝き。グンナールはそんな母に呆れしきり。

 こんなグネルを、もし、彼女と対立する国元の長老たちが見たら、絶句して彼らの寿命はいくらか縮んでしまうに違いない。

 げんなりする息子に、グネルは命じる。


「とにかくお前は早くバルドハートからあのウロコを取り戻しなさい! でも、あの子を傷つけたりしないように細心の注意を払うのを忘れないで!」

「……いえ、しかし……」


 ここでふとグンナールは、彼女が『婚約者を捨てる』と言っていたことを思い出す。


「……母上、もしかしたらエミリアの婚約は解消されるのかもしれません」


 彼が言うと、グネルは眉を持ち上げて目を瞠る。


「なんですって……? それはいったい……どういうこと……?」

「いえ、詳しいことは定かではありませんが……エミリアがそのようなことを言っていたので……」


 彼がそう告げると、グネルは険しい表情で困惑をのぞかせる。が、少し考えてから彼女は息子に言った。


「……それはバルドハートから詳しく話を聞きましょう。そちらはわたしが。お前はとにかくウロコよ! どちらにせよ、あれはすぐに回収なさい!」

「…………………………」


 グネルはきつく息子に命じたが、しかしグンナールは不満げな顔で母から目を逸らす。その、普段は母に(呆れつつも)どちらかと言えば従順な息子の異変に、グネルは戸惑いを見せた。


「!? な、なんなのお前、その反抗的な……『絶対嫌だ』という顔は!?」

「嫌なんです」

「!?」

 

 訊ねるときっぱりとした言葉が返ってきて、グネルは目を白黒。


「お前……まさか……今さら反抗期なの!?」

「……違います。ただ。エミリアのことは、相手が母上であろうとゆずりたくないだけです」

「!?」


 愕然とする母に、グンナールは平然と宣言。この息子のようすには……平素穏やかな彼の、頑固な一面をはじめて目の当たりにしたグネルは唖然。ただただ彼女は、信じられないものを見る目で、息子をぽかんと眺めてしまった……。





 ──さて、その頃当のエミリアは。

 竜人族母子が自分のことで言い争っていることも露知らず。

 彼女はなぜか、真っ赤な顔でふたたび己の寝台の上。ぜいぜい、はぁはぁ荒い息を吐き、しかし、呼吸は苦しげにしつつも、表情は心底幸せそうにニヨニヨ。

 その腕には、なぜか長い木の枝が抱きしめられている。



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