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エミリアの嫉妬 12 

 


 怒り任せに言ってしまってから、グンナールは自分の発言にハッとして、驚いた。


(今のは……わたしの……言葉か……?)


 女中たちの一方的にやりこめようとする言葉や、そこに使われる“婚約者”という言葉と、その存在があまりにも気に入らず。つい、嫉妬まみれの言葉を吐き捨ててしまった。

『捨てろ』とは。なんという刺々しく独善的な言葉だろうか。苛立ちに満ち、独占欲にまみれている。

 そんなものが、自分の口から出ていったことが信じられなかった。


 彼は火山のような母を見て育った。

 昔は人を束ねる立場だった彼女には、もちろん他を圧倒する気概は必要だっただろう。

 しかし、誰に対しても勝気に、時に高圧的にふるまう母を間近に見てきたことで、自然彼は自分を律するすべを早くから身につけることになった。

 必要に駆られたのである。

 彼らの種族は、寿命が長い。

 古い考えをそのままにした長老がまだまだ国の中枢におり、その者らはとかく竜人族第一主義。自分たちのことを、まるで神か何かと思い込んでいるかのようなものもいる。

 自分たちこそが崇高であり、他の種族なんぞ……という考えは、グンナールから言わせれば滑稽だが、彼はそれを心に留める。が、それを露骨に嘲笑うのがグネルなのである。

 彼女は、長老たちの高慢を馬鹿馬鹿しいと、すっぱりばっさり斬って捨てる。

『種族の差などささいなもの』とする母の考えは、グンナールとしては長老らの厳めしい考え方より軽やかで気に入っている。

 しかし、母のその気性では、一族たちとの間に軋轢が生まれるのは当然。

 そうなると、そのさかいには調整役が必須で、必然的にそれは彼の役目となっていった。

 そのような厄介な役目を担った結果、彼は感情的にならぬことを己に課し、冷静沈着にふるまうようになった。

 もうそんな生活がながく、ほとんど攻撃的な言葉は使わずに生きてきた。


 だからこそ、彼は今自分の口から出ていった言葉そのものに戸惑う。

 感情のまま角も取らず、オブラートにも包まない“本気”の気持ちが、彼の固い口の関をやすやすと通りぬけていった。

 理性に止められることもなく発せられた言葉は、いちじるしく感情的で強情。

 この異変に彼は思わず恥じ入った。

 自分の婚約者に対して“捨てろ”などと言われたエミリアはさぞ不快だったに違いない。

 彼女を傷つけたのではないかと思うと、ひどく肝が冷える。


(おまけになんだ……この状況は……)


 とまどう彼が視線だけを動かして己の膝の上を見下ろすと、そこには当のエミリアが。


(ぅ…………)


 地面に座した彼の片方の大腿部に、ちょこんと座らされた形の娘は、ポカンとグンナールを見ている。

 その視線と目が合ったグンナールは……自分でそうしたにも関わらず、愕然。

 さきほどの、心臓がもたない膝枕から解放されて。やっとほっとしていたところにきて、怒りに任せ、わざわざ自分で彼女を連れ戻してしまった。

 エミリアの大きく見張った瞳からは、彼の言動に対する疑問や驚きがあふれ出ているようだった。

 大きく見開かれた三白眼。その宝石のようなミントグリーンの双眸に、じっと音がしそうなほど見つめられたグンナールは視線が痛くてたまらない。

 それは頑健なはずの彼のウロコを貫通し、心臓をさいなむよう。

 顔面にふたたびの熱がカッと集まったのを感じて、グンナールはまったく混乱してしまった。

 不用意な言葉で彼女を傷つけたのではないか。

 嫉妬のにじんだ言葉で、自分が義妹である彼女に並々ならぬ想いを抱いていることがバレてしまったのではないか。

(……っというか、このひっこみのつかぬ状況をどうしたらいい!?)


 冷静とは程遠い己の状況に、グンナールはほとほと困り果てている。




 ……エミリアはこのとき、心の中で、義兄の言葉をずっと反芻していた。


『捨てろ』


 その言葉には、何かハッとさせられるものがあった。

 あれだけ豪快に婚約破棄を受け入れておきながらも、ことあるごとに彼を思い出しては悲しんでいた。

 あんな奴のために泣くのは涙がもったいないと思うのに、ずっと一緒にいた人間との記憶はそれだけ生活にしみこんでいる。本のページをめくっては、『以前この本を読んでいた頃はドミニクが……』となり、景色を見ては『あそこでふたりで……』と、記憶が蘇り、寂しさや悔しさが胸にすべりこんできた。

 でもそれは、自分が気持ちの上で彼らのことを、まだしっかり思いきれていなかったせいかもしれない。

 そうか、と、エミリア。


(わたしは、ドミニクに捨てられたけど……わたしも彼を捨てていいのかもしれない……)


 捨てられておきながら、捨てる、とは妙な話かもしれないが、そう考えれば、彼らのことで心がかき混ぜられるのをもう終わりに出来る気がした。

 そう思うと、なんだか心がスッと軽くなる。

 それは“捨てる”というより、気持ちを“手放す”と言ったほうがいいかもしれない。

 彼を好きだったころの自分を手放す。

 彼らに対して怒っていた気持ちを手放して。区切りをつけて、折り合いをつける。

 学園に戻れば、おそらくまたミンディからの当てこすりはあるだろう。ドミニクからも嫌な顔をされるかもしれない。そのせいで、また嫌な思いをすることだってあるだろう。


 でも、自分の中でそうやってきちんと整理がついていれば、彼女たちに無駄に振り回されることは、きっと減る。そう信じたかった。


(なんだかそれって……再スタートって感じだわ……)


 それは、どこか希望に満ちた響き。

 なんだか、目からウロコが落ちたような気分で、エミリアは義兄をまじまじと見上げた。

 義兄は多分、そのような意味で『捨てろ』と言ったのではなかったのだろうが、でもその力強い言葉は思いがけずエミリアの胸を打った。

 彼女はグンナールを見つめながら、つぶやくように訊ねる。


「……グンナール様、よろしゅうございましょうか……」

「……エミリア?」

「わたし、ドミニクを、ミンディを、捨ててもよろしゅうございましょうか……?」


 エミリアの急な問いかけに、グンナールは瞳を数回瞬いた。

 その二つの名前は初めて聞くものだが、エミリアの重い口ぶりから、どうやらそれは、これまで彼女が大事にしてきた者たちらしいと感じた。片方は男性名で、もしかしたらそれが……? と。

 ただ、その二人を『捨ててもいいか?』とは、グンナールにはまったく事情がつかめない。

 けれども、エミリアの表情はとても切実で。

 その顔を見たグンナールは、どうやら彼女が、自分が感情にまかせて放った言葉をとても真剣に受け止めてくれたらしいと察して申し訳ない。

 しかし、問いかけてきた彼女の瞳は、一心に答えを求めているようす。

 グンナールは、戸惑いつつも、頷く。それは、彼女にとって必要な後押しのような気がした。


「……捨てたいものは捨て、選びたいものを選んで進んでいけばいい。心配はいらない」


 わたしが守るからという言葉を、グンナールは心の中でそっと付け加え、自分を見上げるエミリアにぎこちなく微笑む。

 その瞬間、破顔したエミリアに。グンナールは心の中で、深く嘆息。

 なんという清々しい表情で笑うのだろうか。

 もうどうにも、この存在がまるごと可愛らしくて、なすすべがない。





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