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エミリアの嫉妬 11 口撃と義兄の命令

 

 寝心地がいいかと言われれば、それはけしてよくはない。

 ウロコに覆われているのだろう義兄のふとももはとても固い。

 でも、その硬さが義兄の強さの象徴のような気がして、エミリアは、嬉しい。

 何より“好かれた過ぎる義兄”にくっつくことができて。ひとまず義兄がそれを受け入れてくれたらしいことが、嬉しい。


(……なんという、幸せか……)


 まるで全身が春の温かさにつつまれたような気分だった。華やかな気持ちで胸がいっぱいに満たされ、もうずっとこうしていたいような喜びに思わず頬が緩む。

 ドミニクとの一件からこのかた、ずっと閉じたままだった心の扉が、この義兄や継母グネルに対してはバーンと景気よく開いてしまったかのよう。

 もう、全力で義兄に懐きたいし、好かれたいし、かまってほしい。

 二人のことを考えていると、またもや口内におびただしい唾液がたまってくる。

 人の膝の上で、ゴクリゴクリとやっている姿は本当にかっこわるいが……。幸せ過ぎて、現在自分をまったく客観視できていないエミリアには、そこまで気は回らない。

 エミリアは、しみじみとため息。続けて息をすいこむと、義兄の優しい香り。


(……こうしていると、嫌なこと全部忘れられそう)


 あんなに悲しかった学園での出来事が、義兄のそばにいると、どうでもいいことのように感じられる。

 そんな自分がとても不思議で。瞳を閉じていたエミリアは、目を開き、頭上にある義兄の顔をじっと見つめた。

 とたん、固かった彼の膝がよけいにこわばった気がしたが、グンナールの顔を見つめることに忙しかったエミリアは、その動揺には気がつかなかった。

 義兄のドラゴンの顔は、凛々しい。ん……? いや、なんだかちょっとオロオロしているような気もするが……と、エミリア。


(瞳がとっても優しいのねぇ……ウロコが艶々……あら?)


 下から義兄を見つめていると、ふと、その喉元の近くに、ちょうどウロコ一枚分だけそれがない場所があった。

 赤くなった皮膚がわずかにのぞいていて、エミリアはそれが痛そうに見えて、なんだか心配に。

 つい引き寄せられるように腕が浮く。


「あの、グンナール様……」


 どうなさったのですか? 痛くはないのですかと訊ねようとした、その時。

 彼女の手がグンナールに触れそうだと見た女たちから、さっと苛立ちのにじんだ厳しい制止の声が上がる。


「お嬢様! おやめください。はしたないですよ!」

「!」


 大きな声に驚いて横を見ると、そこにはどこかひきつった笑顔を浮かべたマチルダが。その叱咤に、イドナも同調。


「そうですよ! いくらお相手が義理のお兄様とはいえ……ご令嬢がなさることではありません! 礼儀正しくなさいませ! お父様にしかられますよ!」

「あ……」


 そんな二人の言葉に、グンナールの膝の上で夢見心地だったエミリアは、びっくりして身を起こす。

 確かに、はしたないと言われれば、そうだったかもしれない。

 女中たちは責めるような目で彼女を見ていて、そのとげのある表情に、エミリアはしゅんとする。

 何より父のことを持ち出されたことが、彼女に効いた。

 冷たい目でとがめられると、なんだかとても悪いことをしてしまったような気がして肩が縮む。


「ご、ごめんなさい、つい嬉しくて……」

「ついじゃありません。お嬢様ったら……お嫁入前でしょう⁉」

「婚約者もいらっしゃるのに……こんなお姿をお相手がごらんになったらどう思われるかわかりませんよ!」


 その言葉に、エミリアの心臓がスッと冷えた。

 厳しい言葉に、脳裏にドミニクたちの侮蔑の顔が思い出された。

 グンナールのおかげで和らいでいた眉間にはこわばりが戻り、エミリアの視線が地面に落ちる。

 春風に包まれていたような気持ちが一転、極寒の冬の荒野に投げ出されたような気がして──エミリアは、ふと落胆。


(……人の気持ちって、こんなにも簡単に変わってしまうものなのね……)


 だとしたら、ドミニクがミンディに心変わりしたことも、もしかしたら仕方のないことだったのだろうか。

 人の心なんて、まわりの人の言葉や環境で、こうもあっさり変わってしまう。

 だったら、あの単純な彼の気持ちがふらふらとどこかへ飛んで行ってしまっても仕方がないことで、それを予期して防げなかった自分が間抜けだったのか。


(ぁ……だめだ、悲しくなってきた……)

 

 エミリアは、ぎゅっとこぶしを握って奥歯を噛む。


「……」


 すっかり黙り込んでしまったエミリアに、女中たちは続ける。


「ツェルナー家の方に知られたら、旦那様が肩身の狭い思いをなさるんですよ!」


 それは、ドミニクの家名。

 その名を聞いたエミリアは、もうその人たちは自分とは何の関係もない! と、叫びたい衝動にかられた。でも、父が肩身の狭い思いをすると言われると、その気勢も削がれる。

 きっといずれ、婚約破棄の件を父が知ったら、父が貴族たちの付き合いの中で肩身の狭い思いをするのは本当のことである。


(……お父様の誇りになりたかったのに、悲しませるなんて……)


 そう思うと、反論する気力などとてもなくて。エミリアの肩は、いっそう縮んでしまった。


 そんなエミリアに、自尊心を傷つけられた女たちは容赦がない。

 先ほど自分たちが感じた不満を、ここで全部晴らしてやろうとするように。正論の皮をかぶった刺々しい言葉はまだまだ彼女たちの口から飛び出てきそうだった。


「これはお嬢様のために申し上げているんですよ? いつまでも子供ではいられないのですから、淑女としての振る舞いを身に着けてください」

「もし誰かに見られて変な噂でもたてられたらどうす──」


 と、その時だった。


「黙れ」


 それは、ずしんと重い一言だった。

 とたん、エミリアに鋭い言葉の切っ先を向けていた女たちがハッとする。

 彼女たちが振り返ると、そこには怒れるドラゴンの顔。


「「!」」

 

 その迫力に、“令嬢をしかる”という名目で責め立てていた二人は、ぎくりと表情をこわばらせた。

 竜人族の青年は、血の色の瞳を細めて彼女たちを見据えている。


「……主家の家族の交流に、家人が口を出すな」


 その言葉ににじむ怒りに、二人は怯えた。


「あ……その……わたくしたちはただ……」

「若旦那様もびっくりなさっていらっしゃるだろうと……」


 イドナとマチルダはうろたえながら取り繕おうとしたが、それはグンナールの視線に刺されて封じられる。女たちを黙らせたグンナールは、無言で手を伸ばし、かたわらで縮こまり、いつのまにか再び“令嬢団子”状態になってしまったエミリアに手を引き寄せる。


「う?」


 このとき、すっかり落ち込んでまるまっていたエミリアは。急に自分の身体が浮いたことに驚いた。

 気がつくと、彼女はグンナールの膝の上にちょこんと腰を下ろしていて、目の前にはギョッとした顔の女中たち。


「……あれ?」


 一瞬何が起こったの変わらず瞳を瞬くと、義兄の堂々とした言葉が上から聞こえた。


「家族が親しくして何が悪い?」


 文句があれば言ってみろと、居直るような言葉には、女中たちが押し黙る。

 これまで彼は、ずっと淡々とはしていたが紳士的であった。

 それが今や、これぞ覇者の一族と称賛したくなるような圧倒的な気迫をもって女中たちを見据える。

 この、青年がのぞかせた威圧的な態度には、人族の二人はすっかり委縮してしまっている。まさに、蛇に睨まれたカエル状態。


 そんな周囲の不穏さには、エミリアも戸惑った。

 ほんの一時、自分の殻の中に閉じこもってしまっていた。その外で交わされていた会話は耳に入っておらず、正直現状が分からない。

 エミリアは三白眼をオロオロさせながらも、懸命に状況を読み取ろうと視線をさまよわせる、と、ふいに、そんな彼女を義兄が呼ぶ。


「エミリア」

「う?」


 このとき彼女はまだ状況がちっとも分かっていなかったが。ひとまず呼ばれて義兄の顔を振り仰ぐ。

 自分を膝に乗せ、上から見つめる義兄の顔は、どこか怒っているように見えた。なんだか、そこはかとなくしかられそうな雰囲気を感じ……エミリアはつい身構えた。


「は、はいグンナール様……」


 しかられるんだろうか? しかられてしまうんだろうか。このもはや大好きすぎる義兄に。

 そう不安になると堪らなく泣きたくなったが、しかしここはしっかり受け止めねばならぬとエミリア。

 しおしおと、お叱り受け入れ態勢でうなだれつつも、せめて背筋だけは伸ばして……と、兄の言葉を待つエミリアに。グンナールは、命じるように言い渡す。


「このようなことくらいでお前に不満を抱くような婚約者なら、捨てろ」

「はい……え?」


 その言葉に、エミリアは一瞬何を言われているの変わらずきょとん。そばですっかり黙り込んでしまっていた女中たちも目を丸くしている。


 義兄の言葉は、あまりにも、きっぱりさっぱりしていた。


 ぽかんとするエミリアをしっかりと見つめ、彼はさらに続ける。


「そのような狭量な男はいらぬ。お前はわたしが守ればいい」


 斬って捨てるような冷淡な口調とはうらはらに、自分を見る義兄の瞳には高温の熱がこもっていた。

 その落差に、エミリアはただただとまどっている。



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