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エミリアの嫉妬 5 エミリア的思考の怪

 

 彼はまた困っていた。

 目の前には、なんだかとてもぐいぐい来る女たち。

 ニコニコと愛想がいいのはいいが、なんだかとても圧が強い。

 怪訝に思っているうちに、ずいぶん距離をつめられてしまって、いつの間にか二人は座した彼の両隣にはべっている。芝生の上に膝を突き、茶や菓子類を勧めてきながら、なぜか上目遣いで見つめられ、グンナールは非常に居心地が悪い。


「……すまないが、今は何も必要ない」

「あらそうなんですか?」


 しかし二人はグンナールのやんわりとした拒絶を見ても引き下がらなかった。


「ではまた今度お淹れしますね。ぜひ二人きりの時にでも♡」


 マチルダがそう言えば、イドナがそこへ割って入る。


「それより若旦那様! お願いがあるんです」

「?」


 甘い声にやや戸惑いながら、グンナールがイドナを見ると、彼女は小首を傾げて彼に請う。


「若旦那様の人態を見せていただきたいんです」


 唐突な懇願に、グンナールの眉間がピクリと動く。

 その怪訝そうな表情をすばやく読み取って、しかしイドナは焦ることもなく続ける。


「不躾で申し訳ありません。でも……若旦那様はきっとまた男爵邸にいらっしゃるでしょう? そのときに、もし若旦那様が人態で、わたくしたちがそのお顔を知らなければ、何か失礼なことをしてしまうかもしれません。でも、どんなお顔立ちか知っていれば、そんな心配もないでしょう?」

「……ああ……」


 なるほどとグンナール。

 まあ、確かにその言い分は分からないでもなかった。

 複雑な葛藤はあれども、母がここにいる限り、グンナールは必ずまたここに来るだろう。

 ただ、彼は今ここでは人態にはなりたくなかった。

 万が一、その姿をエミリアに見られてしまっては大変だ。


 グンナールは、冷静な顔でイドナに返す。


「承知した。それではわたしは、男爵邸にはかならずこの竜人態で訪問することにする」


 そう真顔で宣言すると、目の前の娘は一瞬虚を突かれたような顔をして、無言で不満をのぞかせた。それは自分の甘い懇願が聞き入れられなかったことに対するようでも、彼女の微笑みに、男が少しも表情を崩さなかったことに対するものでもあるようだった。

 期待外れにイドナの勢いが削がれると、その隙に、もう一方のマチルダが前へ出る。


「若旦那様、ではお好みを教えておくださいませんか?」

「好み……?」

「当家にとって若旦那様はとっても大切な方ですもの。十分なおもてなしをしたいのです。食べ物や色……それに……できたら女性の好みも♡」


 ぜひお聞きしたいわ♡と、頭を傾けたマチルダは、グンナールに秋波を送る。

 声は意味ありげに甘ったるく、媚びた目つきはかなりあからさま。

 これにはさすがのグンナールも気がついた。

 彼は、ふむ、と、興味深そうにマチルダの瞳を見つめる。

 その熱心な視線に、とたん、もう一方のイドナは面白くなさそうな顔。自分のほうが、魅力的なのに……という不満が、トゲのようにマチルダに鋭く向かう。が、睨まれたほうの娘はどこか誇らしげですらある。

 今、彼女たちは探っているのである。

 この青年が果たして自分たちになびくのか、否か。

 赤い瞳にじっと見つめられたマチルダは、グンナールにはしおらしい表情であるものの、内心では手ごたえを感じて嬉々としていた。これはずいぶん見込みがあるかもしれない。

 興味さえ持ってもらえればこっちのもの。

 イドナは愛人などと言っていたが、マチルダは、別に彼の恋人や妻になれずともどちらでもよかった。相手に財産があるのなら取り入っておいて損はない。何かちょっとした徳があれば満足なのである。

 ただ、昨晩見た麗しい竜人族が本当にこの青年と同一人物なら、彼はとても美しい姿を持っている。

 マチルダはウキウキした。


(わたしはそう高望みはしない。そうね……ちょっとしたアバンチュールでも楽しんで……高価な贈り物でももらえればそれで満足だわ)


 マチルダは、とびっきりの笑顔でグンナールに微笑みかけた。──が。


 しかしその実、グンナールがこのとき考えていたことは、彼女たちが想像しているようなものではなかった。


 グンナールは、しみじみと感慨深い。


(……、……、……何も、感じぬ)


 ケロリとした彼の心象風景の中には、今は波打つものなど何一つない。

 蠱惑的な視線にも、誘うような身体の揺らめきにも、ざわめくものも、ときめきくものもない。

 受け止めは実にシンプルだった。

 なるほど、この者はわたしに興味があるのか。──ただ、それだけなのである。

 そしてそれが分かったとて、彼の気持ちは平たんであった。

 ただ、この気持ちの不動さは、ある事実を彼につきつけてくるのだ。

 グンナールは悩ましくため息。


 エミリア。


 彼女と出会った時の自分が、いかに特殊だったのか。それをあらためて浮き彫りにされ、これにはグンナールは興味深くも照れくさい。

 あの瞬間の、呼吸すら忘れるほどの衝撃は、言葉ではとても言い尽くせない。

 彼の築き上げてきた安寧とした日々のすべてを、根こそぎくつがえされるようなエミリアの求心力には……彼はなすすべもなかった。

 横暴なほどに彼の気持ちを引き付け、混乱させ、痛めつける。が、その痛みがたまらなく愛おしいときている。

 ……こんなものが常識で量れるだろうか。


(……今になって、母が惚れ込んだ者のために、すべてを捨てようとした気持ちがわかるとは……)


 それが、どちらもレヴィン家の父娘によってもたらされていることを考えると……レヴィン家恐るべし。

 なんなんだろうか、この血筋は。特殊に竜人族を惹きつける何かを持っているのか。

 グンナールはたまらない思いに、再びため息。


(……っああやっぱり、もうエミリアを領地に連れ帰りたい!)


 出来ぬと分かっているからこその、熱望のこもったため息であったわけだが。この切ない吐息には、目の前のふたりが反応する。

 複雑さのにじむ男の嘆息は、どことなく恋の匂いがする。その手のことには敏感な娘たちの期待は高まった。


(これは……)

(本当に脈がありそうじゃない!?)


 自分に向けてため息をはかれたマチルダは純粋に喜び、それを見たイドナは焦りを感じた。

 出し抜かれてたまるか、後れを取ってなるものかという娘は、マチルダを押しのけるようにしてグンナールの前へ。

 片や、そんな同僚にはマチルダも負けてはいない。


 俄然勢いづいたふたりは、(ぼうっとしている)グンナールの正面に陣取ろうと水面下で小競り合い。


(ちょっと! どきなさいよ!)

(馬鹿なこと言わないで、若旦那様はわたしに興味がおありなのよ!)


 二人はグンナールにはバレないように互いに肘で押し合い火花を散らしている、が……。


 ──ここに、嫉妬の化身が降臨した。


「──ちょっと待ったぁあああ!」


「きゃ!?」

「!? な、何……?」


 突然の怒号に娘二人はぎょっとして。しかし、これ幸いとどこかで思ったらしい二人は、目の前のグンナールにすがりつく。

 そんな二人には気がつかず、当のグンナールはパチパチと瞬き。


 彼らの視線の先には、怒号の迫力からするとあまりにも不釣り合いな……ちんまりひょろひょろの令嬢が。


「……エミリア……?」


 グンナールは戸惑いも露わ。

 ちょうど彼女のことを考えているところだった。

 ちょっと待てとは? もしや自分の気持ちがバレたのか──? と、怯み、それ以上は言葉が出なかった。

 と、そんな彼の両脇にすがりついていた二人もエミリアに気がついた。

 もちろん二人は彼女のことを承知している。


「あ、あら?」

「お嬢様……?」


 びっくりした……と二人は胸をなでおろした、が……。


 勇んで飛び出てきたエミリアは、義兄らを見て唖然。


「!?」


 彼女が好かれたくてたまらない義兄の両脇には娘がふたりぴったり寄り添っている。

 エミリアの眉間に分かりやすくしわが寄る。

 

(な……な……!? あれは……何!?)


 エミリアは、パールと義兄を引き離そうと思って飛び出してきた。

 それは愛鳥パールを取り返すためでもあり、義兄と仲良くなる権利をパールに主張するためでもあった。

 正直なところ……エミリアには、ニコラの言った『お義兄様が食われます』発言の意味がよく分かっていなかった。

 それよりもパールであり、義兄であって。とにかく二人に『わたしも仲間にいれてほしい!』と訴えようと思って出てきた。

 それなのに……ちょっと庭に出ようと目を離した隙に、義兄の両脇には愛らしい娘たち。

 さっき邸内から見たときは、彼らは適度な距離感だったのに。今や義兄と彼女たちの間には、わずかな隙間もないと来ている。

 これにはエミリアは戸惑った。


(!? グ、グンナール様が……ハーレムを……形成しておられる……っ!?)


 ……どうしてそういう思考になった……? とは、のちのニコラの突っ込み。

 エミリアは、あくまでも真剣である。


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