エミリアの嫉妬 3 狙われたグンナール
(……とにかく、わたしは婚礼が終わったら、すぐにこの地を離れよう)
それは考えただけでも後ろ髪引かれるが、思い切らねばならなかった。
国にはさまざま残してきた仕事もある。
おまけに彼は、母と叔父の仲裁役。
叔父は喧嘩別れしたとはいえ、妹である母のことをとても案じている。
叔父は、母のように、愛する人さえいれば♡ ……という人物ではなく、おそらく今も妹の人族国への出奔にハラハラ胃を痛めているにちがいない。
……当たり前だ。
その火竜っぷりで、同族からすら火山の姫の鬼だの呼ばれていた母が、人族の土地でうまくやっていけるかは、実兄としては胃が痛いほどに気になっているに違いない。
さらに、叔父のほかにも親族は大勢いて、皆母の再婚に不満を持っている。
『誇り高い竜人族が、さしたる地位もない人族の男に嫁ぐなど──』と、いう頭の固い老人たちが山ほどいるのである。
アルフォンスのそばを片時も離れたくない母は、それらの対応をグンナールに丸投げ。
『だって。アルフォンス様はお怪我をなさっているのよ? こうるさいジジィどもと、どっちが大切だと思う?』
当然、旦那様が大事だと。当たり前のように言いきられては。グンナールもなんとも言い返しようがない。
アルフォンスは確かに母の命の恩人で、彼の怪我はそのために負ったもの。
助けられた母の息子としては、その恩義に報いるためにも、力を尽くさなければならない。
グンナールは、母の現状を国元に説明するためにも、帰らないわけにはいかないのである。
「…………大丈夫だ。わたしの翼さえあれば、両国間はそう遠くない」
陸路はかなりの距離でも、竜態で空を行けばさえぎるもののない空路での行き来は比較的楽である。
ただ、そうは思っても、脳裏にはエミリアの顔が浮かび、やはりため息が出た。
こんなに誰かと離れがたいと思ったことはない。
母が『小うるさいジジィどもと、どっちが大切だと思う?』と、言った気持ちも今なら分かる気がした。
グンナールとて、許されるなら、自分を取り巻く様々な問題を捨ておいて彼女のそばにいたい。
しかし、それをやってしまうには、彼はあまりに責任感が強かった。
「……」
やるせなく静かに息を吐いていると、ふと、誰かが草を踏み近づいてくる気配があった。
気がついた彼が顔をあげると、そこにはふたりの人族が立っていた。
ふたりとも若い娘で、男爵邸の家人たちである。
一人は黒髪で、もう一人は栗毛。
そろいのワンピースにフリルのついた前掛けをして、手には何やらそれぞれ盆を持っていた。
「?」
グンナールがなんだという顔をすると、ふたりは微笑んで彼のそばへやってきた。
「若旦那様、お疲れでしょう? お茶をもってまいりました」
「お菓子はいかがですか?」
一人目が言うと、それをさえぎって隣の娘が前に出る。
とたん、一人目の娘がムッとして、前に出た娘も一瞬目を細め、そこには剣呑さが漂った。
ふたりともグンナールには笑顔を見せるが、なんだか視線でけん制し合っているようす。これにはグンナールは怪訝。
「? 何か?」
何やら不穏なものを感じながらも訊ねると、やはりふたりは競うように話しはじめる。
「先ほどわたしどものためにいろいろお働きいただいたので、お疲れだろうと思いまして……」
「ご采配なさるお姿とても素敵でしたわ! さすが高名な──」
と、その娘の発言に。言葉の先を察したグンナールの目が険しくなる。
彼の眉間に現れた縦じわに娘たちも気がつき、ふたりは口をつぐんだ。
グンナールは膝にウトウトした雄鶏を乗せたまま、娘たちを視線で制す。
「……すまない。誰から聞いたのか知らないが、その話はここではしないでほしい。……母の今後に影響する。アルフォンス殿にもご迷惑をかける可能性も。慎んでくれ」
静かにも重く注意されたふたりは身を小さくして、気まずそうに「……申し訳ありません」と、声を揃えた。
しかし、娘たちはまだまだ引き下がる気はなさそうだった。
申し訳なさそうにしつつも、上目遣いにグンナールを見て。
「でも……お疲れでしょう? お茶をお飲みになって? ぜひわたくしにお仕えさせてください」
「それより、中でお菓子でもいかがですか? 名産品をいろいろご用意いたしましたし、若旦那様のお部屋もおくつろぎいただけるよう整えました」
ぜひ、ぜひ……と。
なんだか異様に前のめりに微笑みかけられて、グンナールは少々困惑。
二人の顔はソワソワと上気していて愛想がいい。化粧もしっかりしていて、言葉の調子もどこか甘ったるい。
(……? なんだ……?)
この領地に来てからというもの、この竜人態でいるときはずっと人族たちに怖がられていたグンナールは、ふたりの熱心さが怪訝であった。
しかし、彼の戸惑いにも、娘たちはなんだかじりじりとグンナールに迫っていった。
「──あ! お嬢様! グンナール様がさっそくイドナとマチルダにつかまってます!」
「え?」
さっそく義兄のところへ行こうと、庭へ出る扉へ向かおうとしていたエミリアは、ニコラの声に振り返る。
すると窓の外では、義兄のそばに知った顔がふたつ。
その女中たちは、父が王都で雇ってこちらに連れてきたの娘たち。
父の遠い親戚の娘らしく、黒髪のほうがマチルダで、栗色の髪がイドナ。
彼女たちは他種族との交流が当たり前の王都周辺で生まれ育ち、この田舎町の者たちのほどには竜人族には抵抗がない者たちだ。
ニコラは大変だと血相を変える。
「あのふたり、すごくガツガツしてます! 肉食系です! 結婚相手の第一条件はお金です! 兄上様、狙われてますよ!」
「ぇ……? に、肉食系ってなぁに? ニコラ、知らないの? 人族は雑食よ?」
知らなかったの? ──と。
突然慌てだしたニコラの言葉が分からず、怪訝そうなエミリアは生真面目な訂正。
まったくもって意味の通じていないらしい令嬢に、ニコラはもどかし気につぶらな瞳をかっぴらいた。
「何のんびりしてるんですか⁉ ぼやっとしていたら、肉食系女子らにお兄様が食われます!」
「え……? グンナール様を……食べる……!?」
ニコラの思ってもみなかった言葉の、その語感の恐ろしさにエミリアは愕然と目を丸くしている。
……でも、多分……“食べる”違いである。




