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親子の攻防戦 3 貧弱の極みの悲しさ

 

 アルフォンスのそばで話をしていたエミリアは、グネルが戻ってくると、父の隣を開けるように三歩ほど後ろに下がる。

 もう、そこは自分のものではなく、新しい父の妻のもの。

 ──そんな気遣いに気がついたグネルの目じりがとろける。


「バルドハート♡ ごめんなさいね。急にわたしたちが出ていったからびっくりしたでしょう?」

「はい。グネル様が突然ドラゴンのお姿になられたので驚きました」※素直


 グンナールを“ちょっと顔貸せ”的に引きずって外に出る前、グネルは今と同じ、人の身体にツノだけがある、いわゆる人態だった。

 怒りのためとはいえ、継娘にいきなり竜態をさらしてしまったグネルは、どうやら気を使っている。

 アルフォンスから『娘はかなり胆力があるから大丈夫だ』とは先に知らされていたものの……実際に会ってみると、グネルの目には、やはりエミリアがかなり小さな女の子に映った。


「あら怖かった? やっぱり人態のほうがいいかしら? それともグンナールのような竜人態? どちらがいい?」


 貴方の希望に合わせるわ、と、尋ねられたエミリアは迷いなく言った。自分を尊重する言葉をかけられて、どことなく嬉しそうな顔で。


「ドラゴンのお顔がカッコよくて好きです!」

「っそうなのね!」


 エミリアが前のめりで言った瞬間、人の顔に戻っていたグネルが、ぼふっとドラゴンの顔に。

 傍らで見ていたグンナールは、嬉しそうな母に──先ほどその顔で自分を締め上げんほどの勢いだった母に、呆れのまなざし。

 グンナールは、こんなにちょろい母を見たのは初めてのこと。

 再婚に大反対され、大喧嘩して出てきた国元の母の兄──グンナールの叔父が今の母を見たら、どんなに仰天するかと思うと、どうしてもため息が出る。

 さらに言えば、なんだかとても複雑な気分である。

 エミリアが母ばかりに注目しているのが気にくわない。

 つい恨みがましい顔で母を睨んでしまう、が、もちろん母はそんな息子の様子になど目もくれない。


 母はひたすらに、最愛の夫の娘エミリアに夢中。

 エミリアに『カッコいい』と言われたのが余程嬉しかったのか、グネルの機嫌はうなぎのぼり。多分……さっき邸の裏で息子を締め上げたことなど、すっかり忘れているに違いない。


 ともあれエミリアは、やはり昨日のグンナールとの出会いのときと同様、グネルのドラゴン顔にも少しの恐れも見せなかった。彼女は三白眼をキラキラと輝かせて、興奮気味。


 強くなりたいエミリアにとって、グネルの女性らしさと屈強さを兼ね備えた竜人態はまさに理想形。

 程よく筋肉のある、細すぎない身体を飾る赤く艶めくウロコがなんとも美しかった。その身にまとった、白い薄絹のドレスがうっとりするくらい良く似合っている。

 まつげのないくっきりとした瞳は鋭くも神秘的。

 人態の時も美しいと思ったが、この姿もまた、完成された美であった。

 これは、長年エミリアの亡き母一筋だった父が陥落するはずである。

 

(…………ステキ……)


 思わず鳥肌が立つほどに感じ入ったエミリアは──しかしそこであることに気がつきハッとする。

 口の中に、じんわりと湧き上がるものがあった……。


(──っう!?)


 困ったことに、エミリアは好きなものを見ると、なぜか唾液腺が過剰反応する。

 人がおいしそうなものを目にしたときヨダレが出る、というアレが、相手が食べ物でも、可愛い物でも、生物でも、人でも起こりうるという困った体質。

 相談した医師によれば、エミリアの胃腸があまりに弱すぎるために、身体が消化を助けようとしているのでは? とのことなのだが……。

 グネルに見惚れ、己の口内に大量分泌されはじめたものを感じ……エミリアは、慌てて己の口元を律する。

 こんなところでヨダレを漏らすわけにはいかない。

 継母を見てヨダレをたらすとは、いったいどんな継子だ。


(ちょ、や、やめてよ……! こんなときに……)


 しかし、エミリアが頑張って口を引き結ぶと、憐れなことに、今度は彼女の表情がいかめしくなってしまう。ムッとした彼女の顔を見て、グネルが戸惑った顔をしているのに気がついて、エミリアは慌てる。


「バルドハート……? どうしたの? やっぱり怖かった?」


 グネルに心配そうに気遣われると、エミリアは余計に焦ってしまって。そうではありませんと言いたいが、ヨダレも漏れそうで。オロつくと、なんだか胃も痛いような気がしてきて──エミリアは、自分が情けなくて泣きたくなった。


(……なんで……わたしってこうなの……?)


 ヨダレに負け、胃腸には負け。人にうまく好意を伝えることもできず、皆に心配ばかりかける。

 なんという最弱感。

 目の前には、美しく、最強人種の継母と義兄。よけいに自分の貧弱さが際立つようだった。

 こうなると、エミリアの自信は途端にしぼんでしまうのである。

 学園での嫌な思い出も蘇り、思わず涙が出そうになって。

 慌ててうつむきかけたとき。その……下がっていくあごを、ふっと支えるものがあった。


「?」


 柔らかく自分のあごを受け止めたものに気がついて、エミリアはパチパチと瞳を瞬く。


 気がつくと、そばに義兄が立っていた。

 静かなまなざしで見下ろされたエミリアは、思わず悲しかったことも忘れてポカンと義兄を見る。

 義兄の手は柔らかくエミリアのあごを支え──ふとその片手が離れていったかと思うと、それは穏やかに彼女の頭に着地。ゆっくりとなだめるように行き来する感触に、エミリアはとたん悲しさを忘れた。


「……落ち着きなさい。大丈夫だから」


 義兄の声も目も、とても優しかった。

 爬虫類のような瞳は切れ長で鋭くはあったけれど、そこからそそがれる視線はとても暖かだった。

 大丈夫だ、と、かけられた言葉も、じんわりと胸にしみて。

 そのぬくもりを感じた瞬間、エミリアは、ふいに眩しさを感じて目を細めた。

 なぜだか、自分の目の周りにチカチカと小さな輝きが飛んでいるような気がした。

 その弾けるような眩しさに、エミリアは──……


 ……慄いた。


(!? !? な、何!? つ、ついに……わたし──目までおかしくなったの⁉)


 義兄の突然の接近にすっかり気が動転したエミリアは、自分の顔が今、真っ赤であることにも気がつかず、身体をわななかせた。

 激しくなった動悸は、慄きに交じり認識されず。

 そして、その隙をついたヨダレが彼女の口の端をしたたり落ちて、それをグンナールが平然と拭いていることにも気がつかなかった。

 さらには、そんな、出会ったとたん娘のヨダレを拭てくれる義理の息子の甲斐甲斐しさに、父がとても申し訳なさそうにハラハラしていることも。

 その隣で……グネルが、突然割り込んできた息子を鬼のような顔で睨んでいることも。


 エミリアは、少しも気がつかなかったのである。







お読みいただきありがとうございます。

…ヨダレとか、最初は書くつもりなかったんですよ…(^^;)

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