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エミリアの失態 1

 

「……落ち着きましたか?」


 寝台横でグンナールが訊ねると、白いシーツの上に横たわった娘は、暗い顔で彼に応じる。


「……申し訳ありません……見知らずのお方に……」


 謝意をもらす顔は、げっそり青い。

 それは具合が悪いというだけではなく、大いなる後悔による苦悩の色。


 エミリアは、失態をおかした。

 その所業を思い出すと、胸やけを遥か上回るような精神ダメージが彼女を襲う。

 彼女は、この医館に担ぎ込まれる際、自分を運んでくれた彼の腕の中で──……吐いた。


「ああああああああ!」


 そのありえなさを思うと、エミリアは震えるほどに申し訳ない。居たたまれなさ過ぎて、血の気が引いた。医師の処置のおかげで体調は改善したのに、再び倒れてしまいそうだった。

 ここのところすさんでいた彼女の口からも、さすがに謝罪しか出てこない。もはや、やさぐれているとか、どうでもいい。


「本当に、本当に申し訳ありません! ひどい行いです……恥ずべき行いです!」


 エミリアは己の非礼に慄く。

 しかし、寝台上で青い顔を覆ってべそをかく娘に、グンナールはほがらかだった。


「お忘れなさい。具合が悪かったのだから仕方がない」


 その大らかな言葉には、エミリアは思わずほろりと来る。


(……寛大なお方に違いないと思ったけれど……なんという慈悲深きお方……)


 心を覆っていた刺々しい膜が、一枚ボロりと剥がれ落ちたような気がした。

 ここのところの彼女は、学園で、ずっと拒絶と拒絶とを突き合わせるような時間を過ごしていた。

 自分を拒んだドミニクとミンディに対し、『なにくそ』と自分もそれをはね返そうと敵意の盾を掲げた。

 それなのに。

 今、彼女はこうして見知らずの竜人族の青年に、みっともない姿をさらしたというのに、彼はそれをゆるやかに流してくれる。

 それがなんだかとても心にしみて、胸がやわく痛いほどだった。温かくて、心の傷にしみる。でも、それは優しくて、けして嫌なものではない。

 エミリアは急に泣きたくなった。

 でも、ここで泣くわけにはいかない。

 彼女はなんとか感情を抑え、がばりと寝台に起き上って、その場に正座でかしこまる。

 すると青年は心配そうな顔をする。

 そんなふうに相手が優しいだけに、よけいに自分の粗相が許せない。

 思いつめるあまり、その形相は真剣そのもの。

 学園で『悪役令嬢』と称された鋭い眼光を向けられた彼は、キョトンとしていた。


「お願いです……お召し物をすべて弁償させてください……!」


 勢いよく頭を下げ、両手をめいっぱい前に差し出した娘にグンナールは戸惑う。

 どうやら、彼女は彼の汚れた服を渡してくれと言っているらしい。


「お召しの物もきれいにしてお返しいたします!」

「いえ、そのような……」

「いいえ! あのような非礼を働き、医館に運ぶお手間をかけ、あなた様の御慰めの言葉だけいただいて、なにもせぬのは騎士道に反します!」

「……ほう……騎士道に……」


 どう見ても騎士には見えぬ娘の発言に、グンナールはつい口をつぐむ。

 感心といささかの不思議さをもって彼女を見た。

 ゲッソリした顔、細い身体、日焼けもない肌は騎士のようには見えなかったが……。

 なるほど、たしかに彼女の気迫は武人のよう。そして、差し出された手のひらには、皮むけと固くなったたこがあった。

 それが何か獲物を握った稽古でできたものだろうとはすぐに察しが付く。

 手のひらがこうなるまで励んでいるのに、その成果が彼女の腕に感じられないことが不思議だった。

 おまけに彼女は竜人族の彼からすると、信じられないくらいに重量がない。

 先ほど抱えた彼女の軽さを思い出し、グンナールはなんとなく彼女が気の毒になった。あれはおそらく、人族としても病的な軽さだ。

 そんな彼女を、ただでさえ具合が悪そうだというのに、何やら苦悩させているのも心苦しい。


(しかし……つくづく不思議だ……)


 グンナールは、頭を下げ続ける彼女をじっと見つめた。

 そうすると、どうにも心臓が騒いで落ち着かない。

 うつむいている彼女の顔は、今は見えない。

 それなのに、その白銀の髪を見ているだけで、胸の奥を爪で浅く掻かれているような……こちらを見てほしいとソワソワしてしまうような気持ちはなんだろう。

 思わずため息が出た。

 まるで、世界一美しいものを見つけたような惚れ惚れとした心地なのである。


 グンナールは差し出された両手を見下ろす。

 この尊い手に、彼の服を『洗ってくれ』と乗せる気には到底なれなかった。

 乗せたいものは、別のもの。


 このとき、グンナールは不思議な感覚に包まれる。

 いつの間にか、手がすいよせられるように動いていた。

 次いで首元に、チリッとした小さな痛み。

 彼ら竜人族は、人族のような姿に変じていても、急所となる首や心臓のうえには固いウロコが残る。その一枚を、彼の指はためらいなくはいでいた。

 なぜか、そうすることが決まっていたかのように、彼はそんな自身の行動に少しの疑問も抱かなかった。




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