男爵領クロクストゥルム 3
このとき、この町中で。彼はとてもとても困っていた。
目立たぬようにと思って人の姿になってきたというのに、町に入って早々に周囲に正体が知られてしまった。
原因は、どうやら彼の高すぎる身長と、額に突き出た黒いツノ。
(……やはり、隠すのは無理だったか……)
まあ……そりゃあそうである。
母の再婚を祝いにやってきた、竜人族の青年グンナール。一番人族に近い形態に変じた時の彼はいかめしくも神秘的な見た目ではあるものの、中身はなかなかのんきである。
まあ、なんとかなるか、で、ここクロクストゥルムにやってきたはいいが、どうやらそれは見立てが甘かったようだった。
人々の恐怖するような視線を感じ、グンナールは心の中で唸る。
(……困ったことになった……)
目の前では、先ほど前から走って来た少年が、彼に勝手にぶつかって。転んで、菓子を落として、そして彼の顔を見上げて、そこに厳めしい異形のようなツノを発見し、怯えて泣いている。
どうしたものか、と、グンナール。
普段、竜人族に囲まれて暮らす彼は、人族の子供など、これまで出会ったことのない未知の存在。
成人した人族ですら、彼にとっては小柄。
子供にいたっては小さすぎて、近寄るのすらためらわれた。
竜人族の子供とはたわむれたことがあるが、彼らは赤子の頃からすでにかなり頑丈。
(……だが、人族の子供はかなり弱いと聞くぞ……これは……どうしたらいいんだ……?)
不用意に近寄ってもいいものなのか。
彼がそう悩むうちにも、目の前では少年がメソメソと泣き続けている。
まわりには人族の大人がたくさんいるが、誰も彼もがグンナールを見て、怯えたような顔をして遠巻きにこちらを見るだけ。
その視線の中に、あからさまな畏怖と嫌悪を見てグンナールは困り果てた。
……まあ、まわりの大人はどうでもいい。
いくら睨まれようとも、結局は彼のほうが強い。おそらく手出しはしてくるまい。
ただ、対処に困るのは、目の前の子供だ。
グンナールは、ちょっと慰めてみようかと、少年の頭でもなでてみようかと考えて……いやいやと頭を振る。
見下ろす自分の手の爪は長く鋭い。この手で下手に触れては傷つけるかもしれない。
(……、……爪を切ってくればよかったか……)
うっかりしていたとグンナール。
彼ら竜人族には、あまり爪を短くするという習慣がない。
同族同士で交流しても、互いの身体には強固なウロコがあるゆえに、傷つけあうことがほとんどなく、配慮する必要がないのである。
普段は国からあまりでないグンナールには、これはまったく意表を突く不便。
鋭利な爪は、いかにもウロコを持たぬ種族、人族の子供との接触には向いていない。
(……もしかしたら……わたしが考えているよりもっと弱いかもしれぬしな……不用意に触れて怪我をさせては憐れ……うーん……いかに対処すべきか………………)
ざわつく往来でグンナールは腕を組み考え込む。
そのさまは、彼が難しい顔をしているだけに、余計に威圧的。端正な顔が、今は逆に覇気を生み、まわりを怖がらせている。
これには恐々と成り行きを見守っていた大人たちが騒ぎ始める、が……。子供に集中しているグンナールの耳にはその声は届いていなかった。
「お、おい、誰か領主様にお知らせしろ! 放っておいたらあの子供が食われるぞ!」
「そうだ……! 領主様の兵を呼べ!」
「ん?」
ふとまわりの気配が変わったことに気がついて、のんきなことに、グンナールがやっと周囲を見回した。
すると、そこにはうっすらとした殺気。
彼を取り囲む者の中には、棒切れのようなものを手に、間合いを測っているような人族もいた。これにはグンナールは何事が起ったのか分からずにポカンとする。
(? こやつらはなぜ殺気立っている? まさか……わたしに挑もうというのか?)
これはなかなか思いがけない事態であった。
人族たちのなかで、竜人族の彼は圧倒的強者であった。
それは、彼のおごりでもなんでもなく、れっきとした事実である。
まず肉体の力も、強靭さも違う。
そのうえ彼ら竜人族は、人族をはるかに上回る魔力を有するのである。
そんな自分に、人族たちが手出しをしてくることがあるなど、思ってもみなかった。
(? なぜだ?)
人々の殺気が高まっているのを感じながらも、しかしグンナールは少しも恐ろしくはない。ただ、困りはした。
彼は、こんなところで騒動を起こすつもりはなかった。
なんといっても、ここは母の再婚相手の治める土地。母の命の恩人でもある男爵に、迷惑はかけたくはない。
(退けるのはたやすい。……が、ここでわたしが領民らに悪印象を与えるのは、母の今後にも影響するな……)
どうやらこの田舎町は、往来が不便で、他種族がほとんどくることがないらしい。
おそらく領民らの怯えはそのせいもあるのだろう。
(……いっそ逃げるか……? いや……しかし子供を泣かせたままではな……)
他種族とはいえ、幼いものへの慈愛が変わるものでもない。怖くてなかなか近づけないが、それでもなんとか慰めたいという気持ちは彼にもあった。
あの子供を泣き止ませるには、いや、そもそもこの殺気立った人族たちをどうすればいいのだろうか……。
なんてことで悩んでいると。
ふいに、グンナールの間近で「おえ」っという奇妙な声が聞こえた。




