やさぐれ令嬢のニワトリ 4
口では悪態を吐きながら、こうしてまわりに人がいなくなるとこれである……。
令嬢の胸元はすっかり涙でびしょぬれで、そこに抱きすくめられているパールの頭もすっかり濡れてしまっている。
「お嬢様……このままじゃ、泣きすぎで身体が干からびちゃいます。やっぱりなんとか反撃を……」
しかしエミリアは即座に否定。
「違うわ。これは涙じゃない。何某の、汁よ」
「……汁……」
それが賢いお嬢様の言うことだろうか。
「わたしが泣くのはお父様に何かあったときだけ。あんな奴らのためになんて、涙するのももったいない」
高慢に口をへの字に曲げながらも、その“何某の汁”を、流し続ける令嬢に。ニコラは非情に呆れたが、それ以上つっこむのは諦めた。
この頑なな令嬢が、例の出来事のせいでひどく心を痛めているのは確かなのだから。
エミリアは、どんなに悲しくても、悔しくても。まわりにはけしてクヨクヨしている姿は見せたくないと心に誓っていた。
あんなことで自分たちの立場を優位にしたまま、不義を通そうという者たちになど、絶対に負けるもんかと思っていた。
結果、折れぬ彼女の姿を見た者たちは、彼女を図太い女だと言い、自分たちが傷つけたせいであるのに、彼女がとがった顔をしているのを見ると、『なんて邪悪な顔』『蛇みたいな女だ』と、裏でこそこそと噂した。
それでもエミリアは、弱い自分を見せるよりは断然マシだと思っていた。
彼女の父は王国の元騎士。戦歴も素晴らしく、屈強で、同僚たちにも慕われ、国王にも重用された自慢の父アルフォンス。
けれどもその父は、ふた月前に怪我で引退。
永く国王の忠臣として勤めていた父は、国王のもとを離れなければならないことを、ひどく気に病んでいた。
そんな父のことを考えると……エミリアは、弱音を吐けない。
命さえかけて国を守ってきた父に、色恋のごたごたや、学園生活での人間関係などでクヨクヨする姿など、絶対に見せられなかった。
こんなことで、心配をかけるわけにはいかないのである。
悪役令嬢と呼ばれることは不名誉で、父には絶対に聞かせたくはないが……まずは、悪意に屈する自分を見せたくない。
……だからこそ、エミリアは自分を鼓舞するためにも毒を吐く。
「婚約破棄がなんなのよ……お父様は、いつも命を賭して国を守っていらしたのよ。クソくらえなのよ……。なにが悪役令嬢よ……鳥っこ令嬢よ……蛇女上等よ……強そうじゃないの……やったろうじゃないの……」
「あーはいはい、そうですよね。お嬢様、何某の汁と鼻水が出てますよ」
口と眼光は威勢がいいが、どうにも涙と諸々の汁のせいでなんともしまらない。
仕方がない、と、ニコラ。
あんなに素直に笑っていた彼女が、こうも尖った表情ばかりになってしまったことは悲しいが……本人がこう頑なでは。現状ではどうしようもない。
これは、時の流れが彼女の心を癒すのを待つしかないのかもしれなかった。
「まあ……もう学園生活は今年が最後ですしねぇ……」
と、ニコラがため息をついた瞬間。しかめ面で泣いていたエミリアの目がカッと鋭く光る。
「そうよ! もう最終学年なのよ。弱音を吐いてる場合じゃないの! 勉強よ勉強! ニコラ! 参考書をありったけ持ってきてちょうだい!」
娘は駆り立てられるように奮起した、が。ニコラは困り顔。
「お嬢様……もうお手持ちの参考書は全部終わってしまいましたよ。それに今日もお天気が悪いですし、お買い物に行くのも難しいかと……」
諦めるように言われ、エミリアは残念そうな顔を空へ向ける。
確かに、暗い空は今にも雨が落ちてきそうだった。
ここのところ、この辺りはずっと天気が悪い。
雨期でもないのに、西の空から暗い雲が流れ込んでくる。
今の時期、このあたりの地域は春の陽気に包まれているはずが、ずっと肌寒かった。
これにはエミリアも心配そうに鶏小屋を見た。
「困ったわね……隣国の竜王陛下は、いったいいつまでご機嫌が悪いのかしら……。これがずっと続くようなら、パールの居場所を少し考えないといけないわ……」
「お嬢様、野鳥たちの噂によれば、竜王陛下はここひと月ほど、末の妹君と大喧嘩なさっていて、隣国はずっと天候が荒れているらしいです。困ったものです。隣国に近い領地は、ここよりももっと影響を受けているみたいですよ……」
ニコラの顔は畏怖に満ちている。
この王国の隣には、偉大なドラゴンを王として栄える竜王国がある。
竜王は、人族では遥かに及ばぬほどのすさまじい魔力を持ち、その力は地を砕き、天を揺るがすと言われている。
彼が怒ると天候が荒れ、近隣の国もその影響を受けてしまう。
「竜王陛下は、口から炎を出して、拳からは雷光を放つほど激しく怒っておられるそうです。怖いですねぇ……」
ヒヨコ顔を肩に沈めるように首をすくめるニコラに、何故かエミリアは「あらぁ」と羨望のまなざし。
「そうなの? なんて羨ましい……」
「は……?」
「わたしも手から雷光でも出たら、即刻ドミニクたちを突き刺してやるのに……残念だわ。わたしも竜人族に生まれつきたかった、ね? パール」
「コケ!」
「……」
エミリアが名を呼ぶと、足元の雄鶏が同意するように鳴く。
いいわねぇ竜王様は……と、実感のこもったため息を吐く娘に、ニコラはまた呆れた顔をした。と、彼女は思い出したように令嬢に訊ねる。
「そういえばお嬢様……宴の日、癇癪を起してダンスホールの天窓を割り散らかしたとか噂されてますけど……本当ですか?」
あんな高いところにあるものをどうやって? と、疑わしそうな顔で首をひねるニコラに、エミリアは眉間にしわをよせる。
「はあ? なんのこと? 知らないわ」




