“ハイトラーの悪役令嬢”の、やさぐれ 2
一瞬、その親密さに、え? とは、思ったものの。彼の腕の中の女性が泣いているのに気がついて、エミリアは心配が先に立った。
彼女は、その顔をよく知っている。
いそいで駆け寄り、声を掛けようとしたエミリアに……しかしドミニクは『近寄るな!』と拒絶の一声。
泣いているドレス姿の女学生の肩をかばうように引きよせて、エミリアには鋭いまなざしをよこす。
その鋭さに、エミリアはとても驚いた。
『……ドミニク……? ……ミンディ?』
そう、彼の腕のなかにいたのは、エミリアの親友ミンディだった。
どうしたの? なぜミンディは泣いているの? どうしてそんな怖い顔をしているの? という戸惑う細い声には、返事は返ってこなかった。
ドミニクはただ彼女を睨んでいて、ミンディはずっと彼の腕の中でハンカチを顔に押し当てて泣いている。
彼とは十三歳からの付き合いだが、怒鳴られたのなんて、初めてのこと。すくんだ身体はこわばったままで、身も思考もうまく働かなかった。
エミリアはただ呆然と、親友の肩を抱いた彼を凝視する。
そんな彼女に、ドミニクは嫌悪のまなざしで指を突き付けた。
敵意のにじむ指先には、エミリアは目を瞠るほかない。
彼は大きな声で、周りに向かって高らかに宣言する。
『わたし、ドミニク・ツェルナーは、エミリア・レヴィンの悪事を告発する!』
その声に、ダンスホールの中にいた人々の視線が、一斉に彼らに集まった。
しかしエミリアは、とっさにはドミニクの言葉の意味が理解できなかった。
『悪、事……?』
ただ呆然と、なんら心当たりのないその言葉を繰り返す。
すると、ドミニクとミンディはその間に、なぜかダンスホール前方の壇上にあがり、まるで政治家が演説するかのような語り口調で、大きく観衆に訴えかける。
『エミリアの、わたし、ドミニク・ツェルナーに対する、強引で執拗な束縛』
『他の娘と話しているだけで、嫉妬をむき出しにし、その娘を攻撃し、怪我をさせたこともある』
『被害を受けた娘は数知れず』
『それを止めようとした親友ミンディ・ハウンにはつらく当たり、先日などは、ついに彼女にも暴力も振るった』
『そもそも、彼女は商人の娘のミンディをさげすんでいて、いつも物を貢がせて搾取している。もうこれは、見過ごすことはできない!』
ドミニクは『見てくれ!』と怒気はらむ声でまわりに言った。
するとミンディが、顔に添えていた手とハンカチを少しだけ下げる。そこに露わになった赤いあざ。エミリアはその痛々しさに驚いたが、もっと驚いたのは、ドミニクがそれを彼女のせいだと周りに訴えたこと。
ドミニクは壇上からエミリアを指さし、周囲からは、嫌悪のまなざしが彼女に集まった。これにはエミリアは唖然。
そんなことをした覚えは微塵もない。
なぜそんなことを言うのだと反論しようとしたが──その瞬間、彼女は横から誰かに突き飛ばされた。
『⁉』
小柄なエミリアは簡単に床に転がって。
床に肩を打ち付けるようにして倒れたエミリアが、ハッとしてそちらを見ると、傍らには怒った顔の男子生徒が仁王立ちしている。
──ミンディ・ハウンの弟、ヨシュアだった。
何をするのと、抗議しようとすると、今度は壇上から泣きじゃくっていたミンディが弱々しい声でまわりに訴えた。
その頬には、涙の粒がホロホロと落ちていく。
『わたし……ずっとエミリアには『いやしい商人の娘なんか、わたしのような力のある家の娘と一緒にいなければいじめられるわよ』と脅されていて……ずっと金銭や高価な贈り物を強要されつづけていたんです……。従わないと、彼女は怒って付き人にわたしを痛めつけさせるんです……!』
この訴えには、エミリアの戸惑いはさらに加速。しかし聞き捨てならないことが一つあった。その瞬間、ただ動揺していたエミリアの中に反旗が上がる。
『何言ってるの! たとえ命じても、ニコラはそんなことには加担しないわ‼』
ニコラ、とは、病弱すぎる彼女が学園で世話になっている婦人。たった今、ミンディが“付き人”と言ったのは彼女のこと。家族も同然の彼女が貶められるのは、断じて許せなかった。
『わたしの家の者は、そんなこと──』
『黙れ悪党!』
『っ』
反論を続けようとした瞬間、そばに立っていたヨシュアが声を張り上げる。その押さえつけるような怒号には、エミリアは思わず身をすくめた。年頃の男子の腹からの声は重く、華奢な身体の彼女にはきつ過ぎた。
『⁉』
──気がつくと、エミリアはいつの間にか、大勢の男子学生たちに周りを取り囲まれていた……。




