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【書籍化】鬼と姫君~平安異形絵巻~  作者: 狭山ひびき


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祟りの噂 1

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「晴明! 晴明‼」


 朱雀門をくぐり、のんびりと歩いていると、背後から慌ただしく呼び止められた。

 振り返れば、やや垂れ目の壮年の男の姿があった。

 上等な絹の衣に、一部の乱れもなく整えられた髪。

 邪魔者が消え、あとは帝と娘の間に男子でも生まれれば名実ともに天下を取ったといっても過言でない左大臣、藤原道長その人である。


 父の兼家、兄の道隆と続く関白家、藤原北家の現当主だが、道長自身は関白を名乗らず、左大臣の椅子に落ち着いている。まあ、名乗らないだけで事実上の関白に相違はない。

 現在は、彼が朝廷を牛耳っていると言って過言ではないのだから。

 道長は、立ち止まった老人――安倍晴明の姿をした紫苑の元に早足でやって来た。


「これはこれは左大臣殿。どうなさいました?」

「どうなさいました、ではないのだ。晴明、その……」


 道長はさっと視線を左右に這わせて、近くに人がいないのを確認すると、声を落とした。


「帝はどうなのだ」

「変わりはございませんよ」

「変わりがなくては困るのだ。もう一月だぞ」


 道長が焦るのもわかる。

 一部で噂されているように、帝は今、臥せっているのである。

 ただ、噂のように最愛の后が死んで気鬱で臥せっているわけではない。もちろん、后が亡くなって悲嘆にくれてはいたが、原因はそれだけではないのだ。

 道長としては、娘に男子ができる前に帝に身罷られては困るのだろう。

 詳しい話がしたいと、晴明の腕を軽く掴んで、内裏に向けて歩き出した。


(やれやれまったく、人というのはご苦労なことだ)


 内心でそんなことを思いつつ、それをおくびにも出さず、紫苑は好々爺然とした笑みをたたえたまま道長に連れられて建礼門をくぐった。

 そのまま左に折れて、陰明門へ向けて歩いていく。

 陰明門の両端には近衛の大夫が立っていた。見覚えがあるが名前までは憶えていなかったので、適当に会釈をして門をくぐる。


 道長と共に清涼殿へ向かえば、ここにも中将以下、数名の近衛の姿がある。

 年が明けてから特に内裏の警護が厳重になった。不審人物に警戒するというよりは、不用意に清涼殿に人を近づけないために、であるのだが。

 中将たちに会釈をしながら奥へ進み、帝が臥している御殿(おとど)へ向かう。

 四方を几帳で囲い、その更に内側を囲う大宋屏風の中に帝はいた。


 血の気の失せた白い顔で、固く目を閉じている帝は、静かに呼吸をしている。だが、日に日に目を覚ます頻度は減っていて、すでに二日、目を開けていない。

 先ほど道長に「変わりはない」と言ったが、正確には誤りだ。より悪くなっているというのが正しい。

 だが、馬鹿正直にそんなことを言えば道長が大騒ぎするのは目に見えているので、もちろん口にはしないけれど。


 道長がそっと帝の枕もとに膝をついた。


「主上」


 そっと呼びかけるが、返事はない。

 紫苑は道長の反対側の枕元に膝をついて、その手首に触れた。


(まったくもって厄介な。あのくそ爺め、くたばるならこれを片付けてから行けばいいものを)


 今日まで寿命が持たなかったのだから仕方がないと言えば仕方がないが、晴明の置き土産はたちが悪すぎた。


「なんとかならんのか」


 焦れたように道長が言う。

 中身が紫苑とはいえ、道長には今にもくたばりそうな年老いた爺にしか見えていないだろうに、老体に無茶を言ってくれるものだとあきれるばかりだ。

 もしここで、実は安倍晴明は死んでいると言えば、都はたちまち阿鼻叫喚の渦に落とされる。どいつもこいつも、「安倍晴明」という男に頼りすぎなのだ。


「これは、帝の血を呪っておりますれば」

「それは前も聞いた! 都に穢れが広がっているのもそのためだともな!」

「左様でございます」


 そう。

 昨年の終わりから都を襲っている疫病の原因は穢れだった。そして、その穢れの元となっているのが帝にかけられた呪いだ。

 帝が――正確には、帝の血を引く者がすべて息絶えれば穢れは消える。逆にそれまでは穢れが疫病となって蔓延し続ける。実に性格の悪い呪いだ。

 帝が倒れたのちにそれに気づいた紫苑は、帝の子に害が及ばないように内裏全体に結界を張った。ゆえに今のところ呪いの影響があるのは帝だけだ。


 しかし、帝とその血族が息絶えねば穢れが晴れないのであれば、ここに結界を張り、帝とその子らを生かし続ければ続けるほど、大勢の人間が疫病の餌食になっていく。

 かといって、都の民のために帝とその子らの血を絶やすわけにはいかない。


「なんとかならんのか」


 道長が同じ言葉を繰り返す。

 なんとかなっているならとっくになんとかしていると言い返したいのをぐっとこらえて、紫苑はそっと息を吐く。


「帝を呪う正体までは掴めております。ですが、相手が悪い」

「いったいどこの誰だ!」

「いうなれば、神、ですよ」


 紫苑が答えると、道長が目を剝いた。


「なんだと……? 神が、神の子孫たる帝を呪っていると、そう申すのか?」


 紫苑はゆっくりと首を横に振った。


「そういうわけではありません。神と言いましたが、正確には、その死をもって神と同格になった方ですよ」

「どういう意味だ」


 紫苑は帝の額に触れ、体に流れる血のめぐりを確認しながら答えた。


「将門公の、呪いです」





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