秘密 1
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「まあまあまあ、なんて素敵なお邸でございましょう!」
さっきから、命婦がうるさい。
昨夜は眠れないかに思えたが、蓋を開けてみたら、紫苑の体温の温かさにいつの間にか熟睡していた。
そして今朝、起こしにきた命婦は、人外の輝きを放つ男の腕の中で眠っている綾女を見て驚きのあまり腰を抜かしかけたらしい。
その後、あれよあれよとその日のうちに、綾女と命婦は牛車に揺られて土御門大路の紫苑の邸に連れていかれた。
暮らしていたあばら家とは比べ物にならない大きなお邸に、雅に整えられた庭。
案内された北の対屋には、新しい調度品が揃っていて、命婦はすっかり浮かれてしまったのだ。
鬼の嫁になった綾女本人は一周回って冷静だというのに、命婦はまるで自分が嫁いで来たかのように、あれやこれやと部屋の中のものを触ってはうっとりしている。
「ようやく、ようやくでございます! これで姫様にふさわしいお暮らしができるのですね!」
綾女にふさわしいと言うが、落ちぶれた内親王にはすぎた邸だと思う。
しかし、先々帝の弟を父に持つ内親王が内裏を追われたのが気に入らなかった命婦には何を言ったところで無駄だろう。
なぜなら、帝の姫と同じ暮らしをとまではいかないが、それに近い暮らしが約束されてしかるべきだなどと豪語していた命婦である。聞く耳を持つとは思えない。
(それにしても、確かに大きなお邸ね)
紫苑は鬼だというのに、どうやって都の中でも一等地にあたるこの場所に、これほど大きなお邸を手に入れることができたのだろう。
ここのところ、紫苑に対する疑問がどんどん増えていく。
紫苑が鬼だというのはわかっているが、彼は一体「何者」なのだろう。
「よ~め~さ~ま~」
広い部屋にぽつんと座って考え込んでいると、聞き覚えのあるやかましい声がだんだんと近づいてきた。
びゅんっと風を切る音と共に部屋に飛び込んできたのは綿星である。
ちなみに綿星は命婦には見えないし声も聞こえないので、命婦は不思議そうな顔をしていた。
紫苑の使いである「綿星」という妖がいることは綾女に聞いて認識しているのだが、目に見えない存在を悟れと言うのは無理がある。
綿星と話すには命婦を部屋から出したほうがいいだろうが、さてどうするかと思っていると、音もなく、妙齢の女性が二人、部屋にやって来る。
女房だろうかと思っていると、綿星が「主様のお使いの式神でございます」と言った。
(え? 鬼のくせに式神を使うの?)
式神とは、高位の陰陽師あたりがよく使う鬼神である。契約を結び、主である陰陽師の手足となって動く、いわば異形の使用人のようなもの。
紫苑もその「鬼神」の一人であるはずなのに、同じ鬼神を使役するなんておかしなものだ。
どうやらこの二人は高位の妖のようで、命婦にも姿が見えるようだった。
二人とも見た目は人と変わらないため、命婦は人と認識したようだ。いちいち訂正する必要もあるまい。
邸を案内するという二人に連れられて、命婦は部屋を出ていく。
「ねえ、鬼って縄張りがあるって紫苑が言っていたわよ。どういうこと?」
「その通りでございます。ですがあれら式神は主様の配下でございますので。主様は同じ鬼でも別格でございますから」
よくわからないが、紫苑はすごい鬼らしいというのはわかった。
「綿星も鬼?」
「私は見た目通り狐ですよ。まあ、六百年ほど生きておりますがね」
「六百年⁉」
どうりで、時折じじくさいことを言うわけである。とんでもなく年寄りだった。というか、そんなに年寄りならもう少し落ち着きというものを見せてほしい。
「六百年生きていて、私に名をつけたのは嫁様がはじめてでございます」
「そうなの? 名前がなかったら不便じゃない」
「そうでもございませんよ。それまでは単に稲荷狐と呼ばれておりましたからな」
「……ちょっと待って」
今、とんでもないことを聞いた気がする。
「稲荷狐って、神様じゃないの」
「人の中には、そう呼ぶものもおりますな」
こんこんこん、と綿星は楽しそうに笑った。
綾女はあんぐりと口を開ける。
綿毛みたいな狐の妖が実は神様だったとか、冗談はやめてほしい。威厳もへったくれもない、ただのお節介じじい狐にしか見えないのに。
(ちょっと待ってよ、本当に、紫苑って何者なわけ?)
神様を普通に使役しているとか、絶対おかしい。
ぽかんとしていると、綿星が綾女の目の前に座って、にんまりと目を細める。
「主様は、特別なのでございますよ」
それはそうだろう。他の鬼神を従え、神様まで配下にしているとか、普通じゃないことくらい綾女にもわかる。
「と、忘れる前に主様の伝言がございますれば。日が沈む前にはお帰りになるとのことで、嫁様と今後について少しお話しすることがあると。そうそう、夕餉は先に食べておくようにと言付かっております」
今朝まで一緒に過ごした紫苑は、今日は外せない仕事があると言って、綾女たちのための牛車の手配だけして出かけていった。
鬼が仕事ってどういうことだろうかと思っていたのだが、彼がこんな大きな邸を持っていることといい、その理由を話す気になったのだろうか。
わかったわ、と頷けば、綿星が両方の前足を口元に当てて、ぷくぷくと笑い出した。
「それから、今日から夜は一緒にすごすそうですぞ。いやはやお子が楽しみ――みぎゃあっ」
綾女は、両手でむんずと綿星の頬を掴むと、無言でぐいっと左右に引っ張った。








