側室問題発生。(ローデリヒ)
医務室に向かう途中で、ローデリヒとイーヴォは例の文官を送り届けた侍従と顔を合わせた。ある程度容態が落ち着いてきた、という報告をする為に一旦宮廷医に預けてきたらしい。
それなりに長い付き合いのローデリヒとイーヴォの様子に、彼は何事か起きたのだろうと察したらしい。慌てて二人を宮廷医の元へと案内する。
幸いにも、文官は逃げ出すことなく宮廷医の元に大人しく留まっていた。白いベットに上体だけ起こして、薬湯の入ったカップを握り締めている。
神経質そうな見た目の中年の文官は、ローデリヒの姿を見るなりハッと怯えたように慌てて頭を下げた。事情の知らない老年の宮廷医は、「急にかかったストレスによるものでしょう」とのんびり説明する。それを聞いたローデリヒは、宮廷医に人払いするように命じて、件の文官と向き合った。
「決裁待ちの書類に釣書を紛れ込ませたな」
「は……、はい……」
冷や汗をダラダラ流しながら、文官は素直に認める。随分と長い間王城に仕えてきた者だった。こんな事を起こすのは初めてだ、とローデリヒは思いつつ問い詰める。
「誰に頼まれた?」
ド直球だな……といった視線をイーヴォは向けるが、ローデリヒに睨まれた文官にとっては、そんな事を気にする余裕なんてなかった。唇は真っ青になるくらい震えている。手に持ったカップの中身が、震えで零れそうだった。
「……ゲルストナー様、です」
「……宰相がか?」
ローデリヒは眉を上げる。
あの国王に真っ直ぐ意見をし、あの国王を長年支え、あの国王が執務をサボったら真っ先に連れ戻しに王城を駆けずり回る苦労人。
ジギスムントと仲が良く、……むしろジギスムントと二人して国王に苦労を掛けられているので、戦友感が漂っていた。おそらくジギスムントよりも国王の被害にあっている人である。
己の父の事で迷惑を掛けまくって申し訳ない気持ち半分、幼い頃からの身近な大人なので、ローデリヒにとっては親近感があった。
そしてゲルストナー家は公爵位を戴く、臣籍に下った元王族なのである。一応親戚なのだ。
「実はゲルストナー様が面と向かって釣書を渡しても殿下は受け取らないだろうと、だから決裁待ちの書類に紛れ込ませてしまいなさい、と仰いまして……」
その通りなのでローデリヒは黙るしかなかった。
「申し訳ございません。殿下が側室を持つ気がないのは存じ上げております。ですが、」
文官は流石に言い淀んだ。ローデリヒも続く言葉は分かっている。
「宰相に逆らえなかった、か」
「申し訳ございません……」
深々と頭を下げる文官を見て、ローデリヒはうんざりしたように息をついた。
――全く、仕事を増やすな。
ここにはいない宰相に内心悪態をつき、文官には「追って沙汰を下す。それまでは自宅で休んでおけ」と命令した。罰と言っても、数日の自宅謹慎だろうが。
文官を宮廷医と侍従に任せ、ローデリヒはイーヴォを連れて、国王の執務室へと足を向けた。
勿論、この事態を作った当事者に直接問い詰める為に。
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「で、殿下……?」
前触れもなくいきなり来たローデリヒに、執務室の前に立っていた騎士はギョッとしたような顔を向ける。
「宰相はいるか?」
「は、はい!しかし、陛下はおられません」
「陛下に用がある訳では無い。開けるぞ」
部屋の中にいる人の返事もそこそこに、ローデリヒは華美な装飾が施された取っ手に手をかけ、重厚な扉を開け放った。
「ちょ……、あれ?殿下?どうされました?」
いきなり室内に入ったローデリヒに目を丸くしたのは、丸眼鏡を掛けた冴えない中年男性。くせっ毛らしい金髪はあちこちに跳ねている。片手に束になった書類を持ち、利き手にペンを持って、書き物をしている最中だった事が誰の目にも明らかだった。
「釣書を私に見せてどうするつもりだった?」
釣書という言葉に、中年の男――ゲルストナーは事情を察したらしい。ずり落ちてくる眼鏡を上にあげ、「ははあ」とローデリヒが乗り込んできた理由に触れた。
「側室候補がお気に召さなかったので?まだまだ殿下の側室になりたいご令嬢はいらっしゃいますよ。エクスナー伯爵家の三番目ご令嬢とか、フィルツ子爵の一番目のご令嬢とか、ライザー子爵家の二番目のご令嬢とか」
「そういう事を言っているのではないことくらい、分かっているだろう」
腕を組んでギッと睨み付けるローデリヒを涼しい顔で流し、ゲルストナーはゆっくりとペンを置く。そして侍女を呼び寄せ、お茶の支度をするように命じる。
「とりあえず、場所を移しましょうか」
直系のキルシュライト王族に臆すことなく、傍系の王族は眼鏡を再び上げて提案した。
「どうせ殿下の側室は要らないというわがままでしょう?そんな子供みたいな事おっしゃらないでください。大体殿下はもうすぐ二十歳ですよ?側室の一人や二人いてもおかしくありません。幸いにも、もう既に跡取りであるアーベル殿下はいらっしゃいます。そして、妃殿下が懐妊されております。ですが、キルシュライト王家の傍系は我がゲルストナー家とヴォイルシュ家のみ。我がゲルストナー家はまだしも、ヴォイルシュ家は何代前に王族から離れたと思っているんですか。もうヴォイルシュ家に残る王家の血なんて、出涸らしの紅茶みたいなものですよ。ローデリヒ殿下には次代へキルシュライト王家の血を繋いでもらわなければなりません」
部屋を移し、人払いが済むなり、ゲルストナーは矢継ぎ早に言葉を浴びせた。ローデリヒは慣れたように紅茶の入ったティーカップに口をつける。
ある程度予測していた展開だった。
「だから、アリサとアーベルの事で精一杯だと言っている。アリサだってアルヴォネン王国から嫁いできた身、この国に大きな後ろ盾がある訳ではないし、肩身の狭い思いもして欲しくない。まだ一部の者にしか言ってないとはいえ、二人目も出来た事だし、側室など差し迫って必要ないだろう」
何度も使ってきた言葉を今回も使う。
全て真実だった。執務を終え、アーベルの寝顔を見た後にアリサと一緒に眠る。休みの日はほぼ一日中アーベルに構っていた。
どこにも側室に割く時間などない。
「むしろ妃殿下が外国から嫁がれてきた為か、側室希望者が多いんですよ。妃殿下の国内の影響力は低い。そして、アーベル殿下の能力も未だに分からないので――」
「黙れ」
ゲルストナーの言葉にローデリヒの目はスッと細くなった。力を込めてゲルストナーの言葉を遮る。
――アーベル殿下の能力も未だに分からないので、ローデリヒの跡継ぎの座は奪える可能性がある。
ゲルストナーの言っている事は貴族では当たり前だった。
ローデリヒ自身もよく分かっていた。
何故なら散々晒されてきた状況だったから。
キルシュライト王家には求心力が求められる。
キルシュライト王族は光属性の一族。幼い頃より国民を導く光であれと言い聞かされる。
誰かを導く道標は、只人では務まらない。
「それ以上はアーベルに対する侮辱だ」
「申し訳ございません」
あまり悪いと思っていないような調子でゲルストナーは頭を下げる。ローデリヒはそんなゲルストナーの様子に、これ以上言っても無駄だと分かり、諦めたように紅茶のカップに再び口をつけた。
「まあ、それもあるのですが……、実は一番懸念している事がありまして……」
やや口ごもりながらゲルストナーは眼鏡を上げる。
なんだ、と目線だけで続きを促すと、非常に言いづらそうに中年の宰相は正直に話した。
「その……、大変申し上げにくいのですが……、妃殿下の夜の営みの負担が大きすぎるのではないかと思いまして……、毎晩通われてますし、そんなに間を置かずに懐妊されていらっしゃいますし、寵愛されている事はわかりますが……」
「ゲホッ?!」
「ぶっふっ?!」
ゲルストナーの勘違いに、ローデリヒは紅茶で噎せ、沈黙を守っていたイーヴォは耐えきれずに噴き出した。二人のリアクションに、「出過ぎた事を言いましたが……」とゲルストナーは非常に気まずそうに眼鏡を上げる。
数度咳き込んだローデリヒは、ポケットからハンカチを出して口元を拭った。
本当にゲルストナーは余計なお世話だが、まさかそういった事の回数が片手の指の本数の半分にも満たない事を言っても、信じてもらえそうにない。
というか、自分の父親程の年齢の男に、正直に話せるはずもなかった。プライベートが過ぎる。
ローデリヒは散々説明するか悩んだ末、切り札を使った。
「…………独身に側室を勧められたり、夫婦生活にあれこれ口出しされたくはないな」
「元既婚者です!!陛下が私にめちゃくちゃな仕事の割り振りをしてくるから!!残業ばっかりで嫁に愛想つかされて出ていかれたんですよォッ!!!!」
白いハンカチを胸ポケットから出して、眼鏡を外しながら涙を拭う。号泣する中年の男を見てローデリヒの良心が苛まれた気がしないでもなかったが、全員が使う切り札であるが故に、日常的な光景と化しているので、もはや慣れきってしまっていた。
しばらく泣き続けるであろうゲルストナーを放置して、ローデリヒが紅茶を楽しもうとティーカップに手を伸ばしたところで、来客の知らせが外から入ってくる。
その相手の名前を聞いた瞬間、ローデリヒは珍しい、という気持ちと焦りが湧く。滅多に執務室とかには近付かないのに。
入室してきた女性はブロンドの長い髪を乱し、ピンク色の大きい瞳を不安で揺らしていた。
「ローデリヒ様!どうしよう?!アーベルがいなくなってしまったんです!」
ゲルストナー(国王の被害者)




