2-08 薔薇の狙撃手には腕がない
ルカは装具士である。
体の欠損を補う義肢であれば、義眼、義手、義足、なんでも作る。
事故で指を失った女性、退役軍人の腕、病で足を切断した貴族。依頼人に合わせて精巧な義肢を作ることが可能だ。
本日最後の依頼人は、小さな家に一人で暮らす少女。左腕を失った彼女、ローズは軍人だった。
ローズの上官は「彼女に必ず良い腕を」とルカに大金を握らせる。
だが一方、義手の製作を拒否するローズ。
腕をつければまた戦場に戻らなければならないと怯える彼女に、ルカはある提案をする。
美意識の高い装具士ルカと戦場に戻りたくない狙撃手ローズは、退役の言い訳を模索しつつ、義手が出来上がるまで束の間の穏やかな日常を過ごす。
木目の浮かぶ表面には艶。
接続部の金属は丁寧に磨いてあり、鈍い色を放つ。
どうせ服と靴を被せれば分からないのだが、見えないところでも手を抜けない。雑な作りではすぐに調整が必要になるからだ。
今回の依頼人の要望は『出来るだけ本物らしく見えるように』。充分だろう。
「素晴らしい。見ろ、こうしていたら全く偽物と分からないだろう?」
でっぷりと腹に肉を蓄えた男に問われ、使用人が黙って頷く。ルカはそれを横目で見ながら器具を片付け始めた。
「立って歩くようになるにはかなりの訓練が必要ですからね、頑張ってください」
「いい、いい。もう今更。これで移動は出来るしな」
そう言って、男は自らが座る車椅子をぽん、と叩く。
ルカは男に見えないように口元を歪ませた。
これだから怠惰な貴族は。この男は自堕落な生活が元で病となり、結果足を切断したのだ。
依頼時点で分かってはいたが、装飾用。せっかく精巧な義足を手に入れたのだから、また歩こうという気にならないものなのだろうか。
まくっていたシャツの袖を戻しながら小さくため息をつく。
思い返せば、先日義手を依頼してきた令嬢は良かった。
装飾用だからとびきり素敵にと、腕の全面に飾り彫りを所望したのだ。
ルカは義手の肘から指の先にかけて、緻密で艶やかな百合を彫った。さらに桜貝のような偽の爪には色を。「塗り替えられるようにしてほしい」と依頼人が言うので、除去可能な染料で。
どうせ装飾用義足なら、あの時の令嬢のように好きにさせて欲しかったものだ。だが、体面重視の貴族にそんな発想はないだろう。
そう思い至り、ルカは鞄をパチリと閉めた。
まあいい、予定通り金がもらえれば。
「調整が必要になればお呼びください」
「ああ。これ、あれを」
男に指示された使用人から証書を受け取る。ふっかけた通りの数字を確認し、ルカは屋敷を出た。
「ご自宅まで?」
「いや、もう一軒」
待たせておいた馬車に乗り込み、窓の外に目をやる。
濁った空からは雨。きっと傷が痛むだろう。そう考えたら、先ほどの依頼人も気の毒に思った。
ルカは装具士である。
体の欠損を補う義肢であれば、義眼、義手、義足、なんでも作る。事故で指を失った女性、退役軍人の腕、病で足を切断した貴族。
自分ほど美しい装具を作る技師はいない。ルカはそう自負している。
依頼人の体の特徴を捉え、用途に合わせて材質、形状を選定する。外観は自然で駆動部は滑らか。体に着けた際の違和感は薄く、馴染みが早い。よって依頼は絶えず訪れる。
今日最後の依頼人は、以前仕事をした軍人からの紹介であった。他国との戦時下である。ルカを頼る軍人は多い。
「ここでいい」
街の外れの小さな家の前で馬車を降りると、近くにルカが乗ってきたものよりも上等な馬車が止まっていた。雨から逃れるように駆け足で軒下に入る。
庭には背の低い垣根。丁寧に手入れされているようで、小さな蕾をたくさんつけている。
一方、郵便受けや庭仕事用の道具といったものが見当たらず、窓の向こうはカーテンが閉められている。人が住んでいる気配が感じられない。
言い知れぬ違和感を覚えながら、ルカは玄関の扉を叩いた。
「失礼、依頼を受けてきた者ですが」
中から現れたのは、長身で体格の良い男だった。濃紺の軍服に勲章が光る。依頼人かと思い全身に目をやったが、どこかが欠損している様子はない。
「どうも、先生。患者は私ではありません、奥へ」
「それは失礼」
「どうぞ」
肩章を見るに、ずいぶんと位が高そうである。ルカはシワ一つない彼の軍服の背中を見ながら家に入った。
案内されたのは廊下の一番奥。
扉には明らかに素人の手によるものであろう薔薇が彫られていた。ルカの彫った百合とは比べ物にならないほど稚拙だ。
「開けるぞ」という声と同時に開かれた扉の向こうは寝室のようだった。そこに少女が一人。寝台で身体を起こし、ぼんやりと空を見つめていた。
人形のようだな、とルカは思った。
そのくらい、少女の表情は乏しかった。生気が無く、何かを諦めたような。そしてその瞳には光がない。
「ローズ、技師の先生が来た。先生、彼女はローズです。腕を失いました。義手をお願いします」
「え、はあ」
「料金は前払いで。これを」
渡された証書を見て、ルカは目を剥いた。
多すぎる。先ほど貴族の屋敷で受け取った額よりも遥かに大きい数字がそこに記されていた。高額な料金の前払い。明らかに訳ありではないか。
「これはどういう」
「額でご理解頂けますね? 彼女に必ず良い腕をつけてください。期待しています。それでは」
鋭い眼光と有無を言わせぬ声で脅され、軍人相手の仕事に慣れているルカでもぞくりとした。
言葉を紡げぬ内に、彼は靴を鳴らしてさっさと部屋を出て行く。なるほど、断らせるつもりなどさらさらないらしい。
ルカは小さく息をついて部屋を見回した。
この部屋も生活感がない。花の一つどころか、机すらも。
無機質な少女の収まった寝台の横に小さな丸椅子が一つあるだけ。どうやら面倒な仕事に当たってしまったようだ。
少女の右手は膝の上に置かれている。対して、すとんと袖の落ちている左腕。見たところ、肘上からか。
ルカは咳払いをして、椅子に腰掛けた。仕事をしなければならない。
「さて、どんな義手が必要だ?」
ローズと呼ばれた少女は虚ろな瞳を向けると、小さく呟いた。
「腕は要りません」
予想外の言葉に、ルカは眉を顰めた。
つい先ほど「必ず良い腕を」と軍人は言っていたが、当の本人が拒否するとは。
「さっきの軍人は家族か?」
「上官です」
「君も軍人なのか」
「誰よりも上手く人を撃てますよ。ご覧になります?」
ローズが弱々しく微笑む。
ルカがかぶりを振った拍子に、何かに足がぶつかった。目をやれば、寝台の下には頑丈そうなケースに包まれたもの。形状からそれが銃であることを察した。
彼女の言った意味が分かった。その場合、これをお見舞いされるのは自分ではないか。遠慮願いたい。
そう考えたところで、いま彼女はそれを使えないことに気付いた。腕がないのだ。そしてローズもそのことに気付いたらしい。バツの悪そうな顔で肩を竦める。
「……そういえば無理なんでした」
「ご披露頂くことにならずに済んでよかったよ」
「私もです。もう撃つ気はありませんから」
彼女の言葉から、ルカはわずかに事情を呑み込んだ。
ローズの上官は彼女を復帰させたい。本人が言うのだ、きっと狙撃手としての腕が良いのだろう。しかし本人に復帰する意思はない。
「退役したらどうだ。君まだ若いだろう。辞めたって年金が出る」
「辞めたいです」
俯いたローズが声を絞り出す。
「辞めたい。せっかく家に帰ってきたのに、腕をつけて銃を支えられるようになったらまた戦場に出て人を殺さなければいけなくなる。もう嫌です」
「……戦場経験は長いのか?」
「実績を聞いたら私を悪魔だとお思いになるでしょうね」
自嘲気味に笑ったローズから目を逸らし、ルカは首をぽりぽりとかいた。
希望しない人間に装具を作る気にはならない。それに現役軍人相手の仕事だと、作ったところで戦場でまた壊されるのがオチだ。
「とはいえ、金を受け取ってしまったからな。断ることは出来るだろうか?」
「どうでしょう、死にはしないと思いますけど」
先ほどの軍人の冷たい目を思い出して顔をしかめる。証書を受け取らず突き返すべきだった。
唸って考え込んだルカに対し、ローズは顔を歪ませ、右手でそこにはない左腕を掴んだ。服の袖がぎゅうと絞られる。
「痛むのか?」
「あ、いえ……、大丈夫です」
「痛むんだろう、無理するな。窓を開けても?」
頷いたローズを見て、ルカはカーテンとともに窓を開けた。湿気を含む風が室内に入ってくる。だが、雨は止んだようだ。
窓からは庭が見えた。玄関の反対側のようだが、こちらにも同じような垣根が植えられている。正面のものよりも背が高い。
「この家に戻ってきたのは最近?」
「え? ええ、病院を出て帰ってきたのが一昨日です」
「その割にあの垣根は手入れされているようだな」
「あれは……、あれは大切な薔薇なんです。私がいない間も手入れしてもらうように手配していました。表の薔薇はもうすぐ咲きます」
振り向けば、懐かしむような目。柔らかい表情のローズに、それが本来の彼女の顔なんだろうとルカは思った。
不在の間も手入れされる薔薇と、扉に彫られた拙いそれ。彼女の守るもの。
花を慈しむ少女が、望まない人殺しを強要される。
それは健全か?
「……要は、腕をつけても戦線復帰出来なければいいわけだろう?」
ルカの言葉に、ローズがはじけたように顔を上げる。
「そんなことが?」
「案がある。君の上官が飲むかどうかは交渉次第だが」
ローズはまだ若い。腕がなければ銃を構える必要はないとはいえ、そのまま通常の生活を行うことに困難もあるだろう。
普通はそこにあるものがないことで周囲から奇異の目で見られ、偏見に晒されることは多い。だからこそ、一目見た時に相手を騙すことのできる、リアルな義肢が必要とされるのだ。
そしてルカは将来あるこの少女に義手を作ってやりたいと思った。
窓から離れ、また丸椅子に戻って鞄を開く。
腕をまくり、彼女ににっこりと微笑んだ。
「さ、君の第二の人生を始めようじゃないか」





