38 ルーカス・ブレット
「ほれ、さっさと座れ」
パイソンが言うとオウルが素早く席を立ち、私を目で促す。所作が一々洗練されているし、何度見てもこの美形っぷりには慣れない。
マントと仮面を外して丸椅子に座り、半袖シャツの袖をめくり上げて左肩を露出させる。
さっきまでの笑みが嘘のように真剣な目をしたパイソンが、眉を寄せて私の左肩を見た。
「…ふむ。見た目はほぼ治っておる。感覚はどうじゃ?」
「昨日よりは触れた時の感触が分かりやすくなってるし、ゆっくりなら日常の動作もできるようになってきたよ」
「順調じゃな」
パイソンが満足そうに頷いて、今日の分の回復魔法を施してくれる。
淡い水色の光が左肩から指先までを包み込み、じんわりと暖かくなっていく。この感覚も、最初の頃はほとんどなかった。毎日少しずつ治っていくのが分かって、ちょっと嬉しい。
しかし…
「…」
背中にものすごく視線を感じる。用は終わったはずなのに、何故かオウルが背後に立ち、じっとこちらを見ているのだ。
「…そういえばお前さん、今日は大変だったじゃろ」
「へ」
回復魔法の施術が終わり、服を整えていると、パイソンが急にそんなことを言い出した。
顔を上げると、パイソンは再び大変意地の悪い笑顔になっている。一瞬背後のオウルを見遣り、こちらに視線を戻して、軽い態度で続ける。
「昨日の時点で求婚の菓子折りを貰っておったしのう。今日は求婚者が大挙して押し寄せてきたのではないか?」
上から命じられた結婚や養子縁組は速攻で──力技でお断りしたとしても、それならばと普通に求婚してくる者は多いはず。昨日、パイソンはそう予測していた。
ふ…と私の口元がほころんだ。いや、引きつった。
「…来たよ。ええ。来ましたとも」
「ぬ」
「午前に10人、昼休憩中に3人、午後に13人。お陰で全然仕事が進まなかったよせっかく出勤したのに! 何であいつら仕事中に平気で求婚してくんの!? 邪魔! うざい! 仕事しろ色ボケどもがー!!」
地を這うようだった声が段々上がり、最後にはとうとう叫んでしまった。
だって仕方ない。あまりにも邪魔だった。途中、ちょっと本気で魔法をぶっ放そうと思った。
アナスタシアたちの手前、ギリギリで我慢したけど。
「お、落ち着くんじゃキャット。どうどう」
パイソンがちょっと目を見開いている。
上がってしまった息を整えながらオウルをちらりと確認すると、何故か完全に無表情だった。仮面より仮面っぽい。
「…貴族にとってはお家の存続こそが至上命題だからのう。大方、求婚してきた者たちも家長からの指示があったのだろうよ」
「その指示にホイホイ従うのも大人としてどうかと思う。あと、一回り以上年上のオッサンが「第二夫人にしてやる」とかほざいてたんだけど。複数人」
ぼそりと呟いたら、パイソンの表情が凍った。
「……それは…あまりにも残念じゃから仕方ないのう…」
フォローがフォローになっていない。
「大体、求婚してきたのってほぼ全員、仕事上の繋がりすらないか私を見下してるのが丸分かりだった連中なんだよ? それが手のひら返していきなり「結婚してください」とか、どう考えたって受けるわけないでしょ。貴族って馬鹿なの?」
「馬鹿なのは否定せんが、あまり言ってやるでない」
馬鹿なのは否定しないんだ…。
パイソンも貴族だったはずだが、貴族だからこそ思うところもあるのだろうか。苦笑しているが、目がマジだ。
私は思い切り肩を落とした。
「…明日も同じような状況になるのが目に見えて正直すっごい憂鬱。領主館に行きたくない…」
「休めばよいではないか」
「でも仕事はあるし、休んだらそのうち自宅に突撃してきそうだし…」
「ぬう…」
私が今一番恐れているのがそれだ。
家にまで押し掛けられたら、大変なご近所迷惑になるし下手したら正体がバレる。借家住まいでそれは避けたい。
パイソンが眉を寄せて呻き声を漏らした。多分、パイソンも私の予想を否定できる情報を持っていないのだろう。
行き詰まった重苦しい空気の中、背後から涼しげな声がした。
「──なら、俺と婚約するか?」
「………………へ?」
今、なんつった?
ばっと振り返ると、オウル──いや、ルーカスと目が合った。
整った顔はあくまで真面目で、虹の煌めきが見える紫紺の瞳は、微かに揺れているように見えた。
「こんやくって……婚約!?」
頭の中で、ようやく単語の響きと意味が繋がる。
一瞬脳裏に浮かんだのは、ルーカスも家の指示で動いているのかという疑念。だがすぐに、ルーカスはそういうタイプの人間ではないと思い直す。仮面越しではあったけれど、そう信じられる程度には彼の人となりを知っていた。
私が目を見開いたまま見上げていると、ルーカスは目を逸らさないまま、淡々と続けた。
「少なくとも婚約者がいる人間に求婚するほど、貴族も恥知らずじゃない。──俺の実家は侯爵家だから、そういう意味でも手を出しにくくなるだろう。それでもなお踏み込んでくる人間は、遠慮なくぶっ飛ばせばいい」
「それはなかなか魅力的──じゃなくて。今侯爵家っつった?」
「言ったな」
「…この街には、侯爵家は一つしかないんじゃなかったっけ?」
「そうだな。その侯爵家だ」
ルーカスが、とても冷静に逃げ道を奪っていっている気がする。
答えは消去法で出た。ルーカスの生家は──
「………領主一族じゃん!!」
私が突っ込むと、ルーカスは平然と頷く。
「そうだな」
「苗字が違う気がするんだけど!?」
先日、この男は『ルーカス・ブレット』と名乗った。
このクレメンティ領の領主一族の苗字は、領地の名前と同じ『クレメンティ』。ブレットではない。
ルーカスの答えは極めて単純だった。
「『ブレット』は母方の苗字だ。フルネームは、ルーカス・ブレット・クレメンティ。…俺は三男で、第二夫人の息子。どうあっても家督を継ぐ立場じゃないからな。それを周囲に知らしめる意味で『クレメンティ』は名乗らないことにしている」
でも領主一族は領主一族。
ほぼ詐欺だ。何だそれ。
私が顔を引きつらせていると、パイソンがくくくと笑った。
「ちなみにじゃが、お前さん以外の狩人はほぼ全員『オウル』の正体を知っとるぞ」
「え!?」
「その方が指揮命令系統に乱れが生じにくいからな」
「何それ!?」
命令する側の人間の地位が上であることを知っていた方が、部下は素直に従う。貴族の慣習に照らしても合理的ではある。あるが…もはや全てが言い訳にしか聞こえない。
「…くそう、何かすっごい騙された気分…」
頭がぐるぐるする。丸椅子に座ったまま、頭を抱えて俯く。
すると、すぐ横にルーカスが近付いてきた。
「──で、返事は?」
「へ」
「婚約するか否か」
「…」




