37 手のひら返しが過ぎる
その後──
「セラフィナさん、ぜひ自分と新しくできたカフェに」
「行く気はございません」
「せ、セラフィナさん、その…僕と遠乗りに」
「行きません」
「セラフィナ・アッカルド! この私の第二夫人に」
「誰がなるかド阿呆が!」
次々やって来る貴族の相手で、午前中はほぼ潰れてしまった。
最後の方は完全に口調が崩れていた気がするがまあいいだろう。私の精神衛生の方が大事だ。同僚たちの同情の視線が痛い。
ようやく昼休みになり、私は一息ついてお弁当を広げた。
今日のお昼は、パンとウィッカから教わったラム肉の煮込み。使うハーブの種類と分量を調整し、私好みの味に仕上げてある。
パンを一口、そしてラム肉をぱくり。口の中でパンの甘香ばしさとラムの野性的な味、そしてハーブの爽やかな風味が一体となって、鼻に抜ける。この風味がたまらない。
口元を緩めながら味わっていると、
「セラフィナ・アッカルド!」
「んぐ」
バン!とドアが開き、現れたのは設備課のデイヴィッドだった。
せっかく昼食を堪能していたというのに台無しだ。
とりあえず口の中のものを無理矢理飲み込み、私はその場で立ち上がる。ああ…もったいない。
デイヴィッドは真っ直ぐこちらに近付き、やたら偉そうに言い放った。
「喜べ! この私がお前を妻に迎えてやる!」
「断る。帰れ」
ブフッ!
誰かが噴き出した音がした。
お断りします、と言ったつもりだったのに、口をついて出たのはきわめて端的な台詞。私は思ったより疲れているらしい。
「……は? こ、断る? 何故だ!?」
「逆に何でその台詞で受け入れると思ったん…ですか」
ギリギリで口調を敬語に戻す。
今は文官の仕事中なのだ。たとえ相手が狩人としては格下の45番だとしても、敬語で。敬語で。
「この私が手を差し伸べているのだぞ!?」
あっダメだムカつく。
私は即座に上っ面を取り繕うのを諦め、デイヴィッドの胸ぐらを掴み上げた。
「誰が手前ェの嫁になんぞなるか。帰れ三下。貴重な休憩時間に邪魔すんな」
「うぐぅ…!」
「…それとも、お前があの『全館冷房設備』を発案した諸悪の根源だって吹聴されたいのか?」
デイヴィッドにだけ聞こえるように囁くと、瞬時に顔色が変わる。
あれを設備課の会議で提案したのは、恐らくこの男。そう思ってカマをかけてみたのだが、どうやら当たりらしい。
考えてみれば当然といえば当然。あの場所の気温を知らなければ、それを冷房として使おうなんて発想は出てこない。狩人として活動している時といい、つくづく余計なことしかしない男である。
普通なら責任を取らされるはずだが、今ここにいることを考えると、まだ調査自体が進んでいないのだろう。…後で狩人管理事務所にチクっておこう。
心に決めて手を離すと、デイヴィッドは青い顔で後退った。私はそれを冷めた目で見遣り、しっしっと手を振る。
「求婚お断り。お帰りクダサイ」
「…お、伯父上に言いつけてやる!」
大変情けない捨て台詞を吐いて、デイヴィッドは逃げるように出て行った。
ふうと溜息をついて席に座り、私は改めてお弁当に手を伸ばす。横から、心配そうなアナスタシアの声がした。
「セラフィナ、あのまま行かせてよかったのですか?」
「平気だよ。ヤツの弱点は把握してるから」
パンを千切りながら応じる。
実際、デイヴィッドに対して切れる手札は結構ある。
さっき口にした全館冷房設備の件。さらに、普段からやたらと居丈高な態度を取っていること。これは実のところ、出自がどうだろうと仕事の上では平等であるという文官の原則に反する。私が人事部に訴えれば厳重注意になる案件だ。
そして、少し前に乗合馬車の発着場で見た光景。杖をついた老婆を転ばせておいて、その老婆を罵倒していた。同僚の情けで吹聴するのは自粛したが、今後の出方によっては態度を改める必要がある。色んな意味で。
「本当に大丈夫ですの? あの方の伯父様といえば、人事部長ですのよ?」
「そうなんだ」
初めて知った。世間は狭い。道理であの男がやたら偉そうな顔をしているわけだ。
…あ、でも。
ラム肉を持ち上げるフォークを止め、軽く首を傾げる。
「人事部長ならなおさら、大丈夫だと思うよ。だってあっちの心はもうへし折ってあるし」
「え…」
「へ、へし折って…?」
同僚たちの動揺をよそに、私はさっさと食事を再開する。
午前中はしょうもないことで時間を食ってしまい、仕事が思うように進んでいない。早く今日の分の依頼を片付けなければ。
──なお。
午後にもひっきりなしに求婚者が現れ、最後にはアナスタシアを始めとする同僚たちがブチ切れて、「求婚者お断り」の貼り紙が代筆課のドアに貼りだされる事態となったことを、ここに報告しておく。
ギリギリ定時にその日必須の依頼を終わらせ、私は急いで領主館から退勤した。
同僚たちの勧めもあってのことだ。勤務時間中に来る不届きな連中は多かったが、勤務時間外の方がヤバいだろうという予測が立っていた。
アナスタシアたちに「こっちは任せて逃げろ」と言われ、私はありがたく定時ダッシュしたわけだ。
──が。
「キャット! ウチの息子の嫁になる気はないか?」
「おうキャット! 実は俺の従兄弟が紹介してくれって言っててな──」
「あ! ずりーぞお前ら! ウチの甥っ子も」
「──やかましいわ! 全員散れ! 邪魔だ!」
私が怒鳴ると、周囲を囲んでいた狩人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
狩人管理事務所に入った途端これだ。多分冗談半分なんだろうが、残念ながら今の私に冗談を受け流せる余裕はない。
見渡すと、明らかにいつもより狩人の人数が多かった。
まさか私とコンタクトを取るためにわざわざマントと仮面をつけて待っていたのだろうか。
そんなはずはない──と否定しかけて、昼間の領主館でのひっきりなしの熱烈アピールを思い出した。…有り得る。
ぞわっと後頭部の毛が逆立つような感覚を覚えながら、私は受付を横切り、奥の廊下へ進んだ。
今日はパイソンの治療の続きを受けに来ただけだ。待機する必要もないし、処置を受けたらさっさと帰ろう。
「パイソン、来たよ」
「うむ、入れ」
ドアをノックし、返事を受けてから開けると、中には先客がいた。
「あ」
オウルは仮面もマントも外している。黒い上下だけの姿でパイソンの対面の丸椅子に座っていることから、診察を受けていたのは明らかだった。
「ごめん」
咄嗟に踵を返そうとすると、2人に呼び止められる。
「よいよい。丁度終わったところじゃ」
「キャット、入れ」
「…ハイ」
何となく居心地悪く思いつつ、入室してそっとドアを閉める。
そこで気付いた。私はちゃんとノックして、パイソンの了承を得てからドアを開けた。
つまりオウルの素顔が見える状態で入室の許可を出したのはパイソン。私が悪いわけじゃない。
私の後ろに別の誰かがいたらどうするつもりだったんだ。
「…」
ジト目で見遣ると、仮面越しなのに雰囲気で伝わったのか、パイソンは大変意地の悪い笑みを浮かべた。
この狒々ジジイめ。




