31 アナスタシアの実情
領主館へのデモン侵入事件から、5日。
ようやくパイソンから退院の許可が下りた翌日、私は文官仕事のため領主館に出勤した。
「おはようございます」
到着したのは始業ギリギリ。代筆課のドアを開け、いつものように挨拶したら、何故か室内の全員にギョッとした目で見られた。
その視線が痛くて、私は一歩、後退る。
「え、えーと…?」
冷や汗を流しながら呻くと、ガタンと音を立てて一人が立ち上がった。アナスタシアだ。
「セラフィナさん、貴女…来て大丈夫なんですの!?」
「へ?」
アナスタシアはカツカツとものすごい速足でこちらに迫り、ガシッと私の肩を掴む。
「デモンとの戦いで重傷だと…! 怪我は……ない…みたいですわね…?」
上から下まで私を見回すうち、段々勢いがなくなり、眉が寄せられていく。解せぬとでも言いたげな顔だ。
解せぬと言いたいのはこっちの方である。確かに魔力枯渇は起こしたが、怪我は──まあ左肩から指先までがイカレたけど、目に見えるような外傷は負っていない。
ちなみに左腕の麻痺はまだ半分くらい残っている。アナスタシアは私の両肩を掴んでいるけど、左肩は分厚い布団越しのような鈍い感触だ。
思うように動かせないので、今は魔鉱細工作りも狩人の仕事もできない。いや正確には、魔力は戻っているので狩人の仕事はできるはずだけど、やると言ったらパイソンとオウルに叱られて全面的に禁止された。
代筆課の仕事だったら大体右手だけで事足りるし、正直暇だったから来てみたのだが…まさか重傷扱いされているとは。
「ご心配おかけしました」
とりあえず頭を下げると、アナスタシアがキッと眦を吊り上げる。
「本当ですわ! 私たちを助けて自分だけデモンに立ち向かうだなんて…向こう見ずにも程がありましてよ!?」
その表情に、私は違和感を覚えた。
完全に叱責する口調だが、目には涙が浮かんでいる。本気で心配していたと分かる顔だ。
…ええと、もしかしてアナスタシア、言い方がアレなだけで実は結構情が深いタイプ?
少々信じがたいが、そう考えると辻褄が合う。
アイリーンが勤める宝飾品店で「高級なものを見ろ」と言ったのも、「せっかく来たのだから少し背伸びをしたものも見てみたら良いんじゃないか」とアドバイスをするつもりだったのかも知れない。そんな言い方するなと反論したら、そんなつもりじゃなかったと青くなっていたし。
これはなかなか面白…ゲフン、難儀な性格だな。すごく貧乏くじ引きそう。
「ごめんなさい」
再度、今度は謝罪の意強めで頭を下げると、アナスタシアは分かりやすく動揺した。
「あ、謝ることなんて…! その…貴女のお陰で私たちは助かったのだもの…。…っでも! れっきとした大人が、周囲に心配をかけるものではありませんわ!」
どうしよう、アナスタシアが面白い。まさかこんなところで誤解され系ツンデレ令嬢に出くわすとは思わなかった。
「ちょっと! 何笑ってますの!?」
しまった、顔に出ていたか。私は意識して表情を引き締める。
…アナスタシアの背後で、課員がみーんなニヤニヤしてるのが気になってしょうがない。
まあまあ、と手を挙げながら課長が近付いてきた。課長も笑顔だ。
「とにかく、無事でよかった。あの後急に欠勤になったから心配していたんだ。──ああ、その間の仕事は他のみんなで片付けた。休みは全部有給休暇扱いにしてあるよ」
「ありがとうございます」
課長が気を利かせてくれていた。
聞けば、狩人管理事務所から領主館に「セラフィナ・アッカルドはしばらく休む」という連絡が来ていたらしい。…と、いうことは…
「…もしかして、私が狩人やってたってこと、もう全員に知られてます…?」
「そう…ですわね」
「すごく噂になっちゃったしねえ…」
アナスタシアと課長が目を逸らした。
ただでさえ、あの騒ぎで自ら『キャット』を名乗り、文官の服装のまま狩人として動いていたのだ。
私がそう呼ばれているのを見聞きした人もいるだろうし、管理事務所からの連絡はもはや裏付けの一つにしかならない。
覚悟はしていたが、改めてその事実を突きつけられて気持ちが沈む。
文官は副業禁止。私にとっては文官の方が副業だが、領主館の上層部がそれで納得するとは思えない。まだ何も言われていないのは、単に処分の内容が決まっていないだけだろう。
…嘆いても仕方ない。あの時の私に、デモンを見過ごすという選択肢はなかった。私は私にできたことを誇ろう。
思考を切り替えて、私は顔を上げた。
どんな処分になるにせよ、何か言われるまでは仕事をしよう。給料欲しいし。
「今日の仕事ってもう来てますか?」
訊くと、アナスタシアが困惑気味に頷く。
「え、ええ。…でもこの状況で仕事をする気ですの?」
「他にやることがないので」
正直に述べると、課長が噴き出した。
「なるほど、分かった。無理はしないように」
そうしてみんな、仕事を始める。
…の、だが…。
「あっ、セラフィナさん!? 無事だったんですか!」
「はい、おかげさまで」
「よかった…! こちら今日の依頼分です! 急ぎではないので、よろしくお願いします!」
「承ります」
午前中は、このようなやり取りをひたすら繰り返す羽目になった。
…いや、分かってる。予想はしてた。急に仕事を休んだら、復帰した時に驚かれたり気遣われたりするのも当然だしむしろありがたい。ありがたいんだけど…!
昼休憩が近付くにつれて、段々と様相が変わってきた。
仕事の依頼でもないのに急ぎ足でやって来て、箱やら袋やらを差し出す文官が増えたのだ。
「セラフィナさん! ご無事でよかった…! あ、これ実家で持ってる店が出した新作のお菓子です。是非!」
「あ、ありがとうございます」
「セラフィナさん、こちら最近街で評判の焼き菓子です。よろしければ」
「ありがとうございます…」
何かみんな態度変わってるよ? 気のせいじゃないよね!? 何で揃いも揃って異様に腰が低くなってんの!?
あと、何で全員こんな速やかに食べ物持ってくるの!? 私、ひもじい顔でもしてる!?
昼休憩の時間まで、それは続いた。
机の端に山と積まれた食べ物を見遣って顔を引きつらせていると、
「…大変なことになりましたわね…」
アナスタシアが声を掛けてきた。
そういえば今日は、午前中、一度も休憩室に行っていない。時々ごく短時間席を外す以外、ずっと真面目に机で仕事をしていた。
何か心境の変化でもあったのだろうか──ちょっと見直していると、アナスタシアが手に持っていた紙袋をこちらに差し出してきた。
「その…散々貰っているのを見ていたので申し訳ないのですけれど」
Oh…マジか。
「当家の庭で採れたあんずで作ったジャムですわ。ちゃんと長期保存ができるように処理しておりますから、適した保管場所のなさそうな貴女の家でも大丈夫でしょう」
言ってから、アナスタシアははたと動きを止めた。
私がそっと紙袋を受け取ると、その顔がみるみるうちに赤くなり、はわわわわ、と表情が崩れていく。
「ち、違う…違うんですの! その、長期保存ができますから安心してくださいなと言いたかっただけで…!」
その場で勢いよくうずくまり、貴族の淑女らしからぬ動きで頭を抱える。見事な縦ロールがブワッと広がり、ぱさりと背中に落ちた。
うん、何となく分かってきた。
彼女、この言い方がデフォルトで、毎回毎回言っちゃってから自分の発言を心の底から後悔するタイプだ。
「分かってますよ。ありがとうございます、アナスタシア様」
いただきますね、と笑顔で紙袋を掲げると、アナスタシアは泣きそうな顔で上目遣いにこちらを見詰めてきた。
「……シア」
「ん?」
「アナスタシア、で…呼び捨てで構いませんわ。その…敬語も不要です。貴女は命の恩人ですもの」
うわ可愛い。なんだこの生き物。
内心の動揺を押し殺し、私は笑顔で頷く。
「──分かった。私もセラフィナって呼んで、アナスタシア」
「…ええ!」
ぱあっとアナスタシアの顔が輝いた。
…美人の笑顔は破壊力が強い…。




