14 魔鉱細工師の修行
「たっだいまー!」
そんなこんなで、今日も私は定時で文官仕事を切り上げた。
途中で野菜類を買い込み、上機嫌で帰宅すると、いつものようにドアの上からウィッカが出迎えてくれる。
《おかえり。羊肉、冷蔵庫に入ってるわよ。あと、お釣りはテーブルの上》
朝言っていた通り、昼間買い物に行ってくれたらしい。私は羊肉を売ってる店を知らないから助かる。
領都に出てきて7年。まだこの街は知らないことばかりだ。
「ありがと、ウィッカ。今度羊肉売ってる店どこにあるのか教えて」
《ええ、いいわよ》
いつものように外套とバッグを収納に放り込み、買い物袋片手にお釣りを回収してからキッチンに向かい、そそくさと冷蔵庫を開ける。
油紙の包みが載った皿が、でん! と鎮座していた。
「おお、意外と大きい」
《塊肉にしたわ》
「…ところで私、羊肉の美味しい調理法、知らないんだけど」
前世の記憶で、何となくジンギスカンは知っている。でも、あのタレの調合比は知らないし、それ以外の料理となるとよく分からない。
…確か、いろんな国で食べられてはいるんだよね?
この街では、羊肉はあまり一般的ではない。買ってこれるんだから食べる文化自体はあるはずだけど…そういえば私、今生では羊肉食べたことないや。
《仕方ないわねぇ…》
その後、ウィッカの指導により、何とかケットシー用の羊肉のスープと人間用の煮込みが完成した。
「初めてにしては上出来じゃない?」
《私の指導の賜物ね》
スパイスをたっぷり入れた煮込みは濃い目の味付けで、羊肉の独特の風味と合わさってたまらない味になっている。
今日は羊肉を料理する間に米も炊いた。これがまた合うのだ。人によってはお酒が欲しくなることだろう。
ちなみに私は、自宅で飲酒はしない。お酒を飲む暇があったら魔鉱細工を作る。
──そんなわけで。
「本日もよろしくお願いします、師匠!」
《はいはい》
自宅1階の工房エリアでビシッと頭を下げる。
ウィッカが机に飛び乗り、定位置であるクッションに座る。私は引き出しからガラスのトレイを取り出し、そっと机の上に置いた。
トレイの上には、銀色の水たまり──の形のミスリル銀が、ガッチガチに固まっている。
《じゃ、今日はこれを加工しましょうか》
ウィッカはそう言って、机の上に置いてある瓶を見遣り、ぱたんと尻尾を天板に打ちつける。
《…その前に、マナタイトの補充ね》
「ハイ」
瓶の中に入っているのは、白い粉末。マナタイトを砕いて細かくしたものだ。昨日使ったのもあって、もう瓶の底の方にほんの少ししか残っていない。
幸い、マナタイトなら昨夜の『キャット』の緊急出動で回収してきた。机の上に放り出したままになっていた革袋には、薄紫色のマナタイトの結晶がゴロゴロ入っている。
「えーっと…あった」
机の横の鍵付き収納から大きな乳鉢と乳棒のセットを引っ張り出す。これはマナタイト粉砕専用の乳鉢セットだ。素材はメノウ──石英と同じ成分で、削れにくく割れにくい。
メノウの乳鉢にマナタイトの結晶を放り込み、まずは乳棒を握り締めて振り下ろし、ガツガツと粗く砕く。
見た目に反してマナタイトは結構脆い。あっという間に米粒くらいの細片の集合体になった。
そこで投入するのは、酒精──無水エタノールだ。これは単純にマナタイトの粉が舞い上がらないようにするためで、別に水を使ってもいい。今回は砕いたらすぐ使いたいので、蒸発が速いエタノールを使う。
匂いを思い切り吸い込まないようにちょっと顔を遠ざけつつ、エタノールに浸かったマナタイトを乳棒ですり潰していく。エタノールが乾き切ったら、もう一度エタノールを投入してすり潰し。これを3回繰り返す。
そうして作業を進めると、乳鉢の中に真っ白な粉が出来上がった。薄紫色の結晶なのに、粉にすると真っ白なのだ。毎度のことながら、ちょっと面白い。
マナタイトの粉末は、細かく、均質に粒が揃っていることが重要。イメージとしては片栗粉くらいが理想だ。
「…できた!」
乳棒で粉を混ぜ、大きな粒が残っていないことを確認すると、私は会心の笑みを浮かべて宣言した。
すぐにウィッカが乳鉢を覗き込み──
《………全然ダメね。すり潰し、あと5回追加》
「うえっ!?」
ウチの師匠が厳しい。
…いや、理屈は分かる。マナタイトの粉の状態は魔法金属を加工しやすい状態にできるかどうかにダイレクトに関わってくるっていうし、ただでさえ魔力制御が大雑把な私が使うなら、マナタイトの粉の品質は最大限にまで高めておいた方が良いんだろう。
……分かるけど……
「腱鞘炎になるううぅ……」
《これも修行よ、我慢なさい》
もはやガリゴリとも言わない、粒がどの程度まで細かくなったか全く実感が持てないエタノール入りの粉をひたすら乳棒でスリスリする。
まさに修行だ。毎度のことながら何だこれと自問したくなる。
ウィッカ曰く、魔鉱細工師の見習いが一番最初に任されるのがマナタイトの粉砕らしい。
大きな工房だとマナタイト粉砕専用の魔法道具があるけど、どのみち仕上げはメノウ乳鉢と乳棒を使った人力。毎日ひたすら粉を作り続けると聞いた時、私は震え上がった。絶対腕を壊すやつが出ると。
実際には、腱鞘炎になる前に見切りをつけて辞める人間が多かったらしい。今は知らないけどね、とはウィッカの言だ。
《…よし、これくらいなら良いわ》
「うへぇ……」
その後作業を6回繰り返し、ようやくウィッカの合格をもらった。
腕が重いし手が痺れている。手を離したのに、まだ乳棒を握っているような感覚がある。
…いや、これ修行だからって延々やらされたら心も折れるって。私今、公都の魔鉱細工師に弟子入りしなくてよかったって心の底から思ってるよ。
マナタイトの粉砕作業はもう何度もやっているが、感想は毎回こんなもんである。
手を握ったり開いたりしながら呻いていると、ウィッカの尻尾がパタンと机を叩いた。
《ほらほら、さっさと瓶にしまいなさい》
「うへぇい……」
プルプルする腕を何とか動かし、木のさじを使ってメノウ乳鉢から保管用の瓶にマナタイトの粉末を移す。手が震えてちょっと粉が飛び散ったのはご愛嬌だ。
《落ちたわよ、もったいない》
「ご愛嬌ってことにしといて」
ウィッカは見逃してくれなかった。くそう。
──そんなこんなで、材料が用意できたので。
「よし、じゃあ改めて!」
無理矢理テンションを上げて、私はキリッとした顔で机の上を見渡す。
左側から、クッションに座るウィッカ、ミスリル銀が載ったガラスのトレイ、マナタイトの粉末が入った瓶、そして太い筆。
こぼしたマナタイト粉末は濡れ雑巾で拭き取って、ちゃんと綺麗にした。ウィッカの物言いも入らない。
筆は、マナタイトを魔法金属に均等に振りかけるための道具だ。普通の絵筆より軸は短くて、毛は細く、たっぷり密集している。
…なお本来は、化粧をする際にチークなどを頬にのせるための筆である。買ったはいいけど本来の用途では全く使わなかったので、マナタイト粉末用に転用した。
チークとかね。面倒臭いからね。
「まずはマナタイトを…」
筆を瓶の中に入れ、先端でマナタイト粉末を軽く撫でる。筆の先端に均一に粉末がついたら、そっと筆をミスリル銀の上に持っていき、筆を持つ右手の手首を左手でポンポンと軽く叩く。
お菓子の仕上げに振りかける粉砂糖のように、ミスリル銀の上に白い粉が付着した。
その作業を数回繰り返し、私はウィッカに声を掛ける。
「こんな感じ?」
《悪くないわね》
ウィッカの『悪くない』は、合格という意味である。
ちなみに腕の良い魔鉱細工師は、筆なんか使わないで手でざっと粉を撒くんだそうだ。多少不均質でも、その後の魔力の添加でいくらでも微調整ができるらしい。うらやましい。




