第9話
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ベンとリリーがベンの自室で待機しているのと同じ頃。
トーマス伯爵邸内の執務室で、伯爵は万年筆を右手に持ち、頭脳をフル稼働させながら書類の山と戦っていた。
先週、風邪を拗らせて寝込んでしまったせいで、その時に処理する予定だった書類が丸々処理出来ず、予定がずれ込み、回復した今、必死に処理している。
今、伯爵が処理しているのは領地の税収に関する書類で、書面のあちこちに細かい数字が並び、果たしてその数字が本当に記載されている通りに合っているのかその都度計算して確かめる必要があるものである。
これは非常に頭を使う。
ただ書類を読んで内容を確認して、その内容でよければ指定の箇所にパパっと名前をサインするのとは訳が違う。
いくら締め切りまで時間がないと言っても適当にやっつけ仕事で処理するということは絶対に許されない。
伯爵の両肩には領民の生活がのしかかっている。
領民の生活を守る為、伯爵は領主としてしっかりと責任を持って自分の仕事に取り組んでいる。
そんな差し迫った状況の最中、執務室のドアをノックする軽快な音が鳴る。
ノックの音から判断して、執務室に来たのは家令のマークだと伯爵は察した。
伯爵は、今、この必死に書類をしている時にマークが来ることは歓迎していない。
マークは伯爵が忙しいと知っている時は、緊急性が高く、かつ本当にどうすべきか対処に迷うことやどうしても伯爵でなければ対応出来ないもの以外は極力伯爵の手を煩わせないようにしている。
伯爵が忙しい時にマークが執務室に来ることは、彼の手に余るような厄介なことや重大なことが起きたのとほぼ同じだ。
伯爵はこの忙しい時に一体何が起きたのかと内心イライラしながら、とりあえず入室許可を出す。
「旦那様、失礼致します」
「マーク、何か問題事が起きたのか? 悪いが今、立て込んでいて猫の手も借りたい位、本当に忙しい。週末までに処理しなければならない書類が溜まっているんだ。緊急の用件でないなら、後にしてくれ」
「緊急の用件です。ベンお坊ちゃまが新しい婚約者のお嬢さんをこの伯爵邸に連れて来られておりまして……」
「……は? ベンの新しい婚約者だと?」
マークからもたらされた情報に伯爵はそれまで動かしていた万年筆を持った手を止めて不審げに片眉を上げる。
「はい。お名前はリリー・バーンズ伯爵令嬢と名乗っておられました。ベン坊ちゃまと彼女本人が仰ることが本当かどうか定かではありませんが、アデレード様の義妹だと。しかし、アデレード様の義妹だと言う割に質素なワンピース姿でしたから、何か訳ありなのかもしれません」
「私はベンの婚約者をアデレード嬢から他の令嬢に変更した覚えはない。バーバラも私に無断でそんなことをするはずがないし、やらないだろう。……となるとベンが勝手に何かやらかした可能性が高いな」
バーバラとは伯爵の妻である。
「それにアデレード嬢の義妹と言っても、私は会ったこともなければ、バーンズ伯爵やアデレード嬢からそんな話を聞いたこともない。それに、アデレード嬢の誕生日パーティー等でバーンズ伯爵邸には毎年足を運んでいるが、招待客に彼女の義妹なる人物を紹介している場面なんて見たことがない。ホスト側として招待客をもてなしているのは伯爵夫妻とアデレード嬢、それから嫡男だけだった。つまり義妹と言っても、訳ありで表には出せない娘ということになる」
新たに赤ん坊が生まれたり、息子が妻を迎えたり、養子を迎えたりで家族が増えた場合。
大抵、それを名目にしたパーティーを開いたり、元々主催予定だったパーティーで増えた家族の紹介の場を設ける。
新たに迎えた家族の紹介の場を設けないということは、その人物にその家の者として社交はさせず、表舞台には出さないということに他ならない。
だから余程問題がない限りは、パーティー等人が大勢集まる時に紹介される。
アデレードの婚約者の父という立場から伯爵は、バーンズ伯爵家が主催するパーティーには参加頻度が高いが、その伯爵でも会ったことがないということは、他家でも会ったという者はいないと思われる。
「旦那様のその情報で、訳ありなお嬢様であることがほぼ確定しましたね。坊ちゃまが婚約者を変更したいと申し出てバーンズ伯爵家側が了承したのか、バーンズ伯爵家側が何らかの事情で婚約者を変更したいと申し出て坊ちゃまが了承したのかは話を聞いていないからまだわかりませんが」
「バーンズ伯爵家側の事情であるならば、バーンズ伯爵が私の所まで出向いて説明するなり、手紙を送るなりすると思うが、それがないということは急に決まったのかもしれない。それに、今日はベンがバーンズ伯爵邸を訪問している。まだ私達に言っていないだけで、バーンズ伯爵からの伝言か手紙か何かを預かっているのかもしれない」
「その可能性はありますね。あと、彼女、普通の貴族令嬢ではなさそうです。彼女、私に挨拶するなり何を言ってきたと思います?」
マークの問いに伯爵は何か嫌な予感が胸をよぎった。
「わからない。一体何を言ったんだ?」
「自分の為にドレスと大きな宝石が付いたアクセサリーを用意するよう言われました」
「……は? 一応聞くが、別に今すぐ着替えなければならないような状態ではないんだよな?」
「手違いで服が濡れたとか汚れたから着替えたいというような様子ではありませんでした。そのようなやむを得ない状況であるならばまだしも、ただ単に我が儘を言っているだけのように見受けられました。お会いして挨拶後、すぐにそれでしたから、流石に驚いてしまいました」
「マークのことだから彼女の言う通りに用意した訳ではないんだろう?」
「ええ。ベン坊ちゃまの婚約者であればご用意しましたが、その時点でリリー様がベン坊ちゃまの新たな婚約者だという情報が正しいと確認は取れていませんので、旦那様が婚約者だとお認めになられたら用意するという話をしました。婚約者かどうかもわからないのに、ただのお客様にトーマス伯爵家の財産から高価なドレスやアクセサリーを購入する訳にもいかないでしょう」
「婚約者であるならば贈り物をしても常識の範囲内だからな。現時点でただの客人にそうする必要はない。新たな婚約者とは一体どういうことなのかベンに問い詰める。ディナーの時間までに仕事はキリの良いところまで終わらせなければ」
「奥様もそろそろお戻りになられる頃ですので、ディナーの時間になら皆様揃って食事をしながら話が出来るのではと思います。ベン坊ちゃまにもそうお伝えしておきました」
「バーバラが帰宅したら、今、私に教えてくれたことと同じことを前情報として彼女にも伝えておいてくれないか?」
「畏まりました。トビー坊ちゃまはディナーに同席させますか? 自室にお食事を運んで自室で召し上がって頂くことも出来ますが……」
トビーはベンの三歳年下の弟である。
因みにベンは16歳なので、トビーは13歳だ。
伯爵家の二男として将来ベンの補佐として仕事をする為に色々なことを学んでいる年頃の少年である。
「トビーは同席させる。今回のこの一件。ベンから話を聞いた結果、事の次第によってはベンを切り捨てる事態になるかもしれない。貴族として愚かなことをした時、私は躊躇せず処断するのだというところも見せておいた方がいい。それを見て、トビーが自分はベンみたいにはならないと教訓にして胸に刻み、成長することを期待する」
貴族はたとえ肉親であっても時には冷酷な処断をせざるを得ない時は訪れる。
出来ればそんな時は来ないのが理想だが、理想と現実は異なる。
息子でも貴族として失態を犯した時は、家族の情よりも貴族当主として裁かねばならない。
息子だから多めに見てもらえるだろうという希望的観測は捨てさせなければならない。
「確かにそういうことは学ぼうと思っても中々学ぶ機会はないです。失礼ですが、今回のことはちょうどいい機会かもしれないですね。では、トビー坊ちゃまも同席するということでご用意させて頂きます。私はこれで失礼致します」
マークが退室した後、伯爵は座っていた椅子に深く体重をかけ、背もたれにもたれ、深くて重苦しい溜息を一つついた。
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