第15話
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あの婚約破棄から一週間経過した。
リリーが離れからいなくなったことで、彼女に関わっていたメイド達もいくら仕事で特別な手当が貰えるとは言え、一緒にいると精神的に疲れる相手から解放され、通常業務に戻り、バーンズ伯爵家は全体的に彼女が来る前の日常に戻っていた。
まるでリリーなんて最初からいなかったかのように平和な日々だ。
今日はトーマス伯爵夫妻とトビーがバーンズ伯爵邸を訪問することになっている。
先日の婚約破棄に関する一連の騒動の顛末を直接会って話すことが訪問の目的だ。
バーンズ伯爵は自分の屋敷からベンとリリーを送り出したところまでしか知らないので、その後、トーマス伯爵家でどのような結末を迎えたのか知りたかったし、トーマス伯爵はバーンズ伯爵の口から改めて最初から経緯を聞きたいと思っていた。
トーマス伯爵夫妻とトビーが伯爵邸に到着したのは昼前だった。
昼前なのでバーンズ伯爵一家とトーマス伯爵一家でランチをし、その後バーンズ伯爵とトーマス伯爵は当主同士の話をし、その間、バーンズ伯爵夫人とトーマス伯爵夫人とバーバラは女同士でお茶をし、ウィリアムとトビーは少年同士で一緒に遊ぶというのがトーマス伯爵一家の滞在中の流れだ。
ランチ会はバーンズ伯爵邸のダイニングで行われるので、トーマス伯爵家一同は応接室から家令のテレンスにダイニングまで案内されて来た。
ダイニングのテーブルには既に人数分の席が用意され、カトラリーも伯爵邸での食事に相応しくあるべき位置に寸分の狂いもなく綺麗に並べてセットされている。
「トーマス伯爵家の皆様、本日は我が屋敷まで足を運んで頂き、ありがとうございます。今日のランチは先日の婚約破棄で皆様にご迷惑をおかけしたお詫びも込めて精一杯のもてなしを用意させて頂きました。短い時間の滞在ではありますが、楽しんで頂けたらと思います。では、乾杯」
バーンズ伯爵の挨拶でランチ会が始まる。
ランチではあるが、バーンズ伯爵夫妻とトーマス伯爵夫妻にはシャンパンが出されている。
華奢なフルートグラスに注がれたシャンパンはしゅわしゅわと泡が弾けている。
ランチの内容は前菜、スープ、肉料理、デザートだ。
ディナーではないので、魚料理や口直しのソルベは入らないが、立派なコース料理である。
この場にいる者は、一番年下のウィリアムでさえテーブルマナーがしっかり身についているので、先日のトーマス伯爵家のディナーのようにマナー関係で問題が起きることはなく、恙なく進む。
全員が前菜のオードブル、スープまで食べ終わったところで、トーマス伯爵夫人が徐に口を開く。
「それにしても、先日の我が屋敷でのディナーは本当に酷かったわ。後で詳しいお話は当主同士での話をする際にでもお伝えしますが、リリーとかいう子。どのナイフとフォークから使うかからわからなかったのよ。そんな子にお目にかかったのは初めてで驚いてしまったわ」
「彼女に関して、貴族の生活で必要な技能は何も習わせなかったのです。成人まで養子として面倒を見ることにして、成人したら養子縁組は解消し、平民に戻ってもらう予定でしたから。トーマス伯爵夫人、形だけではありますが当家に連なる者が大変失礼致しました」
「バーンズ伯爵家側にもご事情があって習わせなかったということはわかりましたから、バーンズ伯爵からの謝罪は結構です。他にもスープの飲み方は直接口を付けてズルズルと飲んでおりましたし、一時食事を中断してお水を飲む時に、ナイフとフォークの置き場所を”もう下げて良い”というサインになる場所に置き、給仕が下げると理由がわからず混乱した挙句、見当違いな理由で自分を納得させておりましたわ」
「まぁ! 彼女、バーンズ伯爵邸の離れで暮らしている頃、ほぼ毎日のように”貴族が食べているコース料理が食べたい”と言っておりましたのに、実際にコース料理を頂く機会が来ても食べ方がわからなかったのですわね」
アデレードがトーマス伯爵夫人とバーンズ伯爵の会話に参加する。
「ナイフとフォークの件の時に、アデレードちゃんを引き合いに出して、”アデレードちゃんとは大違いね”と言ってみたのよ。直接そうは言わなかったから、私が本当に伝えたかったその言葉は伝わっていないと思うけれど。そうしたら自分とアデレードちゃんを比べるなと怒鳴ってね。”お義姉様に良い感情はないから、比べられたら物凄く気分が悪い”と。何でそこまで言うのかと疑問に思って」
「私と彼女はこの伯爵邸でほぼほぼ顔を合わせたことはありません。けれど、一度だけ遭遇したことがあるのです。その時に私を見たことで、それまではぼんやりと思い浮かべていた伯爵令嬢の姿が、急にはっきりした像になったのかもしれませんわ。あの時の私は典型的な貴族令嬢の姿でしたから」
「なるほど。本物の伯爵令嬢を見て自分もこうなりたい、こう扱われたいと思ったのかもしれないということね」
「本人ではないから正解かどうかはわかりませんけれどね。彼女に付けていた監視の為のメイドからの報告書にはその時から待遇を良くしてくれという要求が激しくなっていたようですわ」
「ところで話は変わるけれど、ベンはどうやって彼女と出会ったの? 聞いた話では彼女は離れで暮らしていたから、普通ならベンと接触はしないと思うのだけれど……」
トーマス伯爵夫人が肉料理――今日は鶏肉のソテー――をナイフとフォークを使って器用に切り分けながら尋ねる。
「去年の私の誕生日パーティーの日に出会ったようです。その日の報告書にそう記載されていました。その日、私の婚約者としてパーティーに参加していたベン様が、パーティーを抜け出して、彼女が暮らす離れのある裏庭の方へふらふらと行き、ちょうど裏庭を散歩中だった彼女に遭遇しまして。そのパーティー自体は本邸の庭園で行われたガーデンパーティーで、まさか招待客が本邸の庭園から遠く離れた裏庭の方に行くなんて思っていなかったお父様が、彼女に裏庭で散歩する許可を出していたのです。その結果、ベン様と遭遇することになったのです」
「そうだったのね。疑問が解決したわ」
「そうして出会った二人はそれからもバーンズ伯爵邸で主催された何らかのパーティーでベン様が招待客として来た時や、婚約者だった私に会いに伯爵邸を訪問する時に裏庭の方に抜け出してちょくちょく会っていたようです。彼女に付けていたメイドが会わせないようにはしていたのですが、ベン様が客人・私の婚約者という立場を振りかざしてきたので、仕方なく会わせていました。メイドは独断ではなく、お父様に相談の上です。お父様は、婚約者がいるのに蔑ろにするベン様の様子を快くは思っていなかったので、二人が恋人同士になったと確信した時、婚約の解消をするおつもりでした。彼女についても、ベン様は私の婚約者なのに居候という立場の彼女が奪うということがどれ程悪いことなのかわからせる予定だったのです」
「こう言っては何だけれど、黙認していたのです。トーマス伯爵も伯爵夫人もご存知かと思いますが、私の実の兄が婚約者がいながら別の者に浮気して大変な事態になりました。だから娘の婚約者も、婚約者がいるのに浮気するような輩は要らないと思っていたのです。別に愛せとは言わないが、大切にして欲しいとは思っていた。トーマス伯爵にこんな話をするのは非常に申し訳ないですが……」
バーンズ伯爵はアデレードの言葉に続ける。
バーンズ伯爵は二人の行動を黙認していた。
ベンが途中で我に返り、婚約者への態度を改め、リリーと会わないようにするのなら見逃すつもりでいた。
しかしそんな様子はなく、二人は関係を深めていく。
ベンが急に婚約破棄を言い出したから事態は動いたが、そうしなくてもバーンズ伯爵はそろそろ婚約解消を検討する段階に入ろうとしていた。
婚約破棄ではなく婚約解消なのは、トーマス伯爵と穏便に話し合いをして決める予定だったからだ。
「悪いのは婚約者を大切にしなかったベンだから我々は何も言わないし、言えない。ベンはベンで、私達に婚約者に贈り物をすると嘘をついて贈り物の代金を支払わせ、アデレード嬢ではなく彼女にせっせと贈り物をしていた。我々も近々問い詰めて、然るべき処断をするつもりだった。それが少し早まっただけだ」
トーマス伯爵がトーマス伯爵家でのベンの動向についてバーンズ伯爵に教える。
「結局、どっちもどっちね。婚約者がいるのに大切にせず、彼女の話を鵜呑みにして婚約破棄を突き付けたベンと、自分の立場を自覚せず、噓をついてベンの気を惹いて婚約者から奪った彼女。こうなるのは必然だったのね」
トーマス伯爵夫人はぽつりとそう漏らしながら、シャンパンを飲み干す。
話をしながらも、全員着々と食事を口に運んでいたので、気づいたらもう次はデザートが給仕される頃だ。
「せっかくのランチなのにあの二人のことを話していたら、重い空気になってしまいましたね。デザートを食べながらちょっと気分を変えましょう。今日のデザートは新しく料理人が開発してくれたもので、お客様にお出しするのは初めてですわ」
バーンズ伯爵夫人が二人のことを話していたせいで、重くなってしまった場の空気を変える為に話題を変える。
「まぁ、嬉しいですわ! 早速頂きますわね!」
ランチ会は和やかな雰囲気で終わった。
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