445話~あの人は来ます!必ず!~
「蔵人様」
声が聞こえて、俺は目覚める。目の前には見慣れない天井が広がっていた。
体を起こすと、体にかかっていた白いシーツがズレ落ちて、そこからシルクの寝間着を着させられた俺の体が見えた。
改めて見回すと、ここが全く見慣れない部屋と言う訳ではない事に気が付く。たった一度だけだが、ご厚意で泊めていただいたあるホテルの一室であった。
ビッグゲームで、晴明に負けた時に担ぎ込まれた高級ホテルのスイートルーム。そこの高級ベッドで、俺は再び寝かされていた。
つまりは、そう言う事か…。
「蔵人様」
俺が全てを察して嘆いていると、優しい女性の声が耳に届く。
柳さんだ。
あの時と同じように、困った笑顔を浮かべている。
「申し訳ありません、蔵人様。もう少し、お休みになられていた方が良いのは分かっていたのですが、どうしても…」
『いえ。ありがとうございます、柳さん。お陰で、嫌な夢を見ずに済みました』
きっとあのまま悪夢を見ていたら、俺は何度も同じ戦いを繰り返していただろう。ああしていたら勝てただとか、もっとこう動くべきだったのだとか、逃した栄光を手に入れようと藻掻き苦しむばかりだったはずだ。
俺が軽く頭を下げると、柳さんは辛そうな顔で首を振った。
「いいえ。私は、貴方からお礼を頂ける立場ではありません。本来であれば、貴方をゆっくりと休ませてあげる事こそが、私の役割ですのに、私は…」
『…柳さん?それは、どういう…』
顔を伏せる柳さんに、俺は目を細める。
何かがおかしいと。こんな豪華な部屋で休ませてもらって、傷も癒えているというのに、彼女は何を求めているのかと。
いや、そうじゃない。そもそも、この部屋がおかしいんだ。ここを使ったのはビッグゲーム。大阪の大会だ。俺達が戦っていたのは東京オリンピック。つまりは東京での試合の筈。なのに、何故またこの部屋に居るのだ?俺は何か、大きな勘違いをしているのではないか?
そう思って、俺は柳さんをジッと見た。彼女が何に葛藤しているのかを、見極める為に。
すると、彼女が顔を上げる。
強い目の光を携えて、こう言った。
「蔵人様。目を覚まして下さい。そして、戦って下さい」
『…覚ます…戦う』
ああ、そうか。
俺は理解する。
『あの戦いはまだ終わっていない。そう言う事ですね』
そう呟くと同時、俺の世界が歪む。
ベッドが、部屋が、全てが歪んで消える。
目の前で佇む、柳さんを除いて。
その彼女は、こちらへと手を差し出す。
「こちらです、蔵人様」
『恩に着ますよ、柳さん!』
俺はその手を握り、ニヤリと笑いかける。
その途端、足が浮いた。真っ暗な世界で、唯一光を漏らす天井へと体が浮き上がる。
『リベンジマッチと、洒落込もうじゃねぇか!』
〈◆〉
「く、黒騎士様!」
血を吐き倒れ伏した黒騎士様に、私は無我夢中になって飛びついていた。それを行った氷像に対する憎悪よりも、黒騎士様に対する焦燥感の方が勝っていたからだ。
そんな私を、誰かが突き飛ばした。
フルフェイスの、新入りだ。
「きっ、貴様!」
「触るな!!」
剣を抜きそうになった私に、フルフェイスが一喝した。その一言で、何故か私の抜刀は止まった。
彼から、黒騎士様に似た威圧を感じた。
そんなバカなと思った私の肩に、誰かの手が乗った。
クマ選手だ。
「大丈夫だよ。クーちゃんの事は、亮ちゃんに任せよう」
「ワシらはあいつを止めるぞ」
ハマー選手が前を向き、こちらに迫り来る氷像を指さした。
黒騎士様を吹き飛ばした氷像は、足元の鈴華達を攻撃しながら、少しずつ日本領域に食い込んでいた。
「まだ終わっとらんぞ。ワシらの戦いはのぉ!」
「勿論です!」
氷像へと駆け出したハマー選手を追って、私も鈴華達の元へと駆け出す。私の後ろからも、複数人の走る音が続く。
黒騎士様ですら倒せなかった猛者に、白銀騎士は誰も尻込みしなかった。ただ勝利の為にと、前へ前へ駆け出していた。
『これは凄い!黒騎士選手を倒したグレーソル選手に向かって、日本選手が総出で打って出ます!』
『試合時間も残り2分を切り、待機得点では負けが確定していますからね。Sランクを倒さねば日本に未来はありません。ですが、黒騎士選手抜きで何処まで戦えるか…』
「ワシらを舐めるんやないぞ!どりゃぁあ!」
悲観的な実況席を黙らせるように、ハマー選手が前に出て、氷像が放ったアイスニードルを盾で防いで見せた。Bランクの攻撃に、彼のDランクシールドが打ち勝ったのだった。
そんな、まさかそれは…。
「ランパート?」
「おう。ようやっと1枚作れるようになったばかりじゃけどな。ワシだって出来るんじゃい!お前らも見せたれや!」
「おう!流石だぜ、ハマー!あたしも特大のやつ、見せてやるぜ!」
鈴華も磁力を発生させて、今宙に浮かべた氷柱のコントロールを掌握する。それをそのまま、氷像の頭に落とした。
氷像が、両手を着いて倒れる。
やった。鈴華がやってのけた。
私も、負けていられない。
そう思って、刀を抜いて氷像に近づこうとしたが、氷像は素早く立ち上がり、私に向かって拳を振り上げてきた。
不味い!
つい、刀を構えて防御の体制を取ってしまった。でも、そんなものでSランクの攻撃を防げるはずもない。
こんなところで…。
そう思った私の体がふわりと浮き、次の瞬間には空を飛んでいた。
「気ぃ抜いとったらアカンで、鮮血選手」
「伏見、選手」
氷像の拳が飛んで来る寸前、彼女が空を飛んで私を助けてくれたみたいだ。
なんて機動力。流石は、黒騎士様のお仲間。
私達が空を飛んでいる間も、白銀騎士たちの攻撃は続く。
鶴海選手が中心となってみんなに指示を出し、組織立っての動きを繰り出している。
美原選手がアタッカーとなって、進もうとしている氷像の足に拳を突き立て、少しずつ押し返していた。
彼女に向けて攻撃を繰り出そうとしていた氷像に、クマ選手のミニゴーレムと、鈴華の磁力がその攻撃をズラしていた。
時折、桃花選手が氷像の攻撃範囲に飛び込んで、美原選手に向いていた敵意を一部引き付けていた。
そして、そんなみんなに、ハマー選手が大きな盾を渡している。ただのアクリルシールドみたいだけど、あんなのが役に立つの?
「自分も、これを持っといた方が良いで」
地面に降り立つと、伏見選手から同じ盾を渡される。その盾の裏側を見て、私は驚く。
世界が、湾曲して見えたからだ。
「これって…」
「せや。蜃気楼盾言うらしいで。カシラのクオンタムシールド程やないけど、うちらの姿をくらましてくれとる。これで自分も、戦えるんちゃうか」
「勿論です!」
私は早速、氷像へと駆け寄る。
盾を構えて体を隠すようにすると、氷像は拳をあらぬ方向へと振り下ろした。どうやら、この盾は私の姿を湾曲させて、別の場所に居るように見せるらしい。
私は氷像の足元までたどり着き、その太い脚に刃を突き立てた。
カキンッ!
くっ、硬い。
でも、諦めないわ!
私は再び日本刀を生成し、天高く構えた。
しかし、その刃が振り下ろされるよりも早く、私の体が勝手に後ろへと逃げ始めた。
桃花選手だ。
彼女が私を抱えて、後ろへと運んでいる。その後ろを見ると、さっきまで立っていた場所に、氷像の大きな拳が突き刺さっていた。
熱中し過ぎて、相手の攻撃を察知できなかったみたいだ。
「ごめんなさい。私…」
「大丈夫だよ!僕たちがサポートするから、円さんたちはガンガン戦ってよ!」
彼女の言葉で顔を上げると、態勢を崩した氷像に向かって美原選手が拳を叩きこんだところだった。
でも、氷像はあり得ない速さで立ち上がり、逆に美原選手を襲った。
その窮地を、飛んできた伏見選手が美原選手を掻っ攫って救う。
1人1人が支え合い、絶望的な状況を繋ぎとめていた。1本1本の絆は薄く儚くとも、それが蜘蛛の巣のように張り巡らされて、巨大な敵を押し返していた。
「僕たちは1人じゃないんだ!」
「ええ、そうね」
地面に降ろして貰った私は、また駆け出す。途中で、ハマー選手からミラージュシールドを投げ渡され、それを掲げて真っ直ぐに攻め入った。
後ろを気にしなくていいと言うのは、とても心強い。私は、ただ前を向くだけ。目の強敵に、ただ刃を突き立てるだけ。
「はぁあああ!」
私の刃は、しかし、巨人の足の表層しか穿たない。
その攻撃は、余りにも脆弱。
いいえ。
「まだまだぁ!」
突き刺さった刀の背に足を掛け、私は再び刀を突き立てる。そうして、氷像の胸部まで到達した。
黒騎士様が目指した場所。そこには、2人の選手が抱き合う形で氷の中に閉じ込められていた。
いえ、これが術者。こいつらさえ倒せば、全てが終わる。
「きぇえええいっ!」
私は大太刀を生成し、それを氷像に突き立てる。
足よりも更に深く突き刺さったその一刀は、しかし、彼女達の元には到底届かない深さであった。
それでも、氷像は震えた。私の刀に怯えるように、体を大きく仰け反らせ、そのまま背中から倒れてしまった。
私は突き刺さった大太刀を強く握りしめて、その衝撃に耐える。耐えた先には、無防備な氷像の姿があった。
「今なら」
焦りそうな気持を落ち着かせ、黒騎士様の事を思い出す。
今の私では、貴方のような攻撃は出来ません。ですから、貴方のお力をお貸しください。
私は彼を思い出しながら、大太刀を生成する。でも、出来上がったのは大太刀とは思えないものだった。刃が螺旋状に巻き上がり、先端には鋭利な針が付いた刀。
「これが、私のドリル?」
分からない。でも、これがきっと最善なんだ。
これなら。
「せぇええいっ」
気合を入れて、私は思いきりそれを突き立てる。すると、先ほどよりも更に深く、氷像の胸を穿つことが出来た。
もう一度、もう一度!あともう少しで、術者達に到達する。
あと…。
「アカン!」
私がもう一回突き刺そうとした時、再び伏見選手に抱えられて空を飛んだ。
そこで、何がアカンのか分かった。氷像は倒れながら、両手を突き出して空中に氷の弾を生成していた。
その球は、ただの氷の塊ではなかった。無数のアイスニードルの塊。それが、今、
爆発した。
「避けて!」
私の声とほぼ同時に、会場中に氷獄の吹雪が吹き荒れた。
私達の方にも、無数の刃が飛んで来る。それを、私は両手に生成した刀で叩き落とす。
「せいっ!せやぁ!くっ」
でも、全てを落とせる訳じゃなかった。左肩に一本、突き刺さってしまった。
いえ、こんなの、黒騎士様の痛みに比べたら!
「でぇあああああっ!」
私は構わず、こちらに飛んで来る全てのアイスニードルを叩き斬った。その奮闘により、何とか伏見選手への被弾は免れた。
地面に降り立つと、他の選手達も無事なのを確認できた。観客席も、バリアを張っていたから何とか無事だとか。
逆に、ロシア側で待機していた選手の半分が、今の攻撃で倒れていた。あんな遠くまで届く攻撃。黒騎士様は大丈夫なのかとヒヤリとしたけど、そちらは円柱の裏に退避していて大丈夫であった。
よくやったわ。あのフルフェイス。
でも、状況は不味い状況だった。
私達は回避に専念してしまったので、氷像は完全にフリーになっていた。既に立ち上がり、私達が苦労して稼いだ距離もダメージも、全て修復してしまった後だった。
それを見て、観客席からも絶望の声が届く。
『何という攻撃だ!全てを巻き込んだ広範囲攻撃。これはいよいよ、打つ手がなくなってきましたね』
『Sランクの底意地ですね。やはり、黒騎士選手を失ったのは致命的でしたか』
「失っていないわ!」
私は叫んでいた。
「失っていない。あの人は来ます!必ず!」
「おう!そうだぜ!」
私の隣に、鈴華が並び立つ。
「ボスが言ってただろ?勝利の道を考えろってな。あたしらの道を、あたしらが作り出すんだよ!」
「っしゃぁ!ワシの魂、見せちゃるわボケ!」
「オイラもおっしゃあ!」
「行くで!みんな!」
「「「おおぉお!」」」
私達は再び駆け出す。強大な敵に向かって。
〈◆〉
【素晴らしい!素晴らしいぞ、グレーソル!流石は我らの秘密兵器だ】
ロシアベンチでただ1人、オルロフ監督が声高らかに大きな笑みを浮かべていた。その目は爛々と輝いており、ただただ氷像の背中ばかりを追っている。今さっきその氷像の攻撃で被弾した選手達には、一切の視線も送らずに。
【素晴らしい。2つの異能力、Sランク。これこそが祖国の求めた力。これを量産出来れば、我が国の覇権が…】
「量産がなんだって?オルロフ・スクラートフ」
俺のその声で漸く、オルロフはこちらを向く。橙子が銃を構えているのを見ても、驚くどころか笑みを浮かべる始末だった。
分かってねぇのか?こいつ。これ程の事をしでかしておいて。
「今すぐ試合を棄権しろ。オルロフ。そして、てめぇは俺らと来てもらうぞ。危険薬物取締法違反の容疑だ」
【ふっ。日本軍の手先か。だが良いのか?そのように先走って。我々は何一つ、ルールを破ってはいない。薬物と言ったが、我々はしっかりとドーピング検査も受けているんだ。それで、どうして棄権せねばならんのだ?】
オルロフは馬鹿にした様な笑みを浮かべ、我々を見回す。
【君達こそ気を付けるべきだ。この状況を見たら、日本チームが負けそうだからと脅しをかけたように見えるじゃないか】
「んだと、てめぇ!」
玲央が怒りの声を上げて、オルロフに飛び掛かりそうになる。それを、すかさず橙子と恵美が取り押さえた。
その様子を見て、オルロフが両手を上げる。
【おや、恐ろしい。これはちゃんとした警備員を呼ばないといけないみたいだな】
「余裕でいられるのも今の内よ、オルロフ監督」
暴れる玲央を抑えながら、恵美が険しい顔をオルロフへ向ける。そのまま視線をフィールドへ、日本領域へと踏み込んだ氷像へと移動させた。
「あのグレーソルとか言う選手。彼女の心音はおかしいわ。人間ではあり得ない速さで脈動している。まるで、アクセラレーションを使っているみたいに」
「2つの異能力。それは、アグレスの特徴と合致するものであります」
恵美と橙子の指摘に、オルロフは肩を竦めて【それで?】と白を切る。
そんな奴に、俺は人差し指を突き立てる。
「終わりだ、オルロフ。グレーソル選手を検査に掛ければ、お前らの悪事が明るみに出る。何処へ逃げようと、Fを利用した時点で国際手配だ」
【何故、検査に掛ける必要がある?】
オルロフは再び、勝ち誇った様に笑みを広げる。
【グレーソルの体は健康そのものだ。医務室に行く必要なんて何処にもない。加えて、貴重なSランクである彼女は、試合が終わったと同時に本国へ戻ることになっている。一体いつ、君達の検査を受ける必要があると言うんだい?】
「…それはな、あと1分後だ」
俺は、苦戦する日本選手達に視線だけ向ける。
「後1分で、あいつらが倒してくれる。グレーソル選手を。お前らの野望を」
【おやおや?頼みのブラックナイトもいないのに、どうやって倒すんだい?あんな瀕死な騎士達で】
煽るオルロフを、俺は睨むだけしか出来なかった。
そこに、恵美の悲鳴が響く。
「日本領域に、13人目の反応あり!これは、黒騎士選手の物です!」
「っ!くっ…」
爺さん。お前さんはまだ、やる気なのか…。
俺は、歯を食いしばった。
…危険ですね、オルロフ監督。また、アグレスを量産しようとしています。
「ディの懸念していた通りだな。人は歴史を忘れ、そして繰り返す」
千代子ちゃんを倒して、Fの価値を下げないといけません。
「ここが、この世界の分岐点である」




