107話~俺が貴女を護ります~
ご覧いただき、ありがとうございます。
今話から4話程、決戦前のお話となります。
「それで?決勝は何時になるのだ?」
恐らく、今週末辺りかと。
夕食前のミーティングを終えた蔵人は、男性達の為に用意された大広間で独り、腕を組んで考えていた。
さて、どうしたものか、と。
蔵人は、ガランとした大広間を見渡す。
既に、ここで寝泊まりする人間は蔵人とサーミン先輩だけとなっており、その唯一のルームメイトは応援に来ていたハーレムメンバを数人連れて、夜の街へと繰り出してしまった。
自分も誘われるかもと思った蔵人は気配を消して、その危険な群れから抜け出した。
そして今考えているのは、この後の予定についてであった。
考えられる選択肢としては、
一つ、訓練場まで赴いて、軽めの異能力練習を行う。
二つ、風呂に入って早めの夕食。そして早めに就寝する。
三つ、ホテルのロビーで、如月中の情報並びに動向を調査する。
四つ、浜辺で夜風に当たりながら、魔力循環を行う。
色々考えられるが、2番のすぐ寝るのは勿体ない。
今はまだ18時過ぎであり、明日の試合開始は13時からだ。集合時間も10時だから、朝早く起きすぎても試合に影響する。ここは…
「ロビー行くか」
3番である。
蔵人は、取り敢えず誰かいるかもと、ホテルのロビーに行き先を決めた。
とは言え、このジャージ姿では目立ちすぎる。
蔵人は、サーミン先輩が貸してくれたパーカーを着て、フードで顔を隠してから部屋を出る。
もう、サーミン先輩達も居なくなっているだろうから、安心だ。
ロビーに着くと、そこには早めの夕食を摂りに来た選手達が夕食会場に入っていく姿と、
鶴海さんがロビーの端に設置された椅子に座って、将棋を指していた。対面の相手は若葉さんだ。
若葉さんがこちらに気付いて、手を振っている。
「やぁ、蔵人君。今日は大活躍だったね!おっと、今日も、だね。お陰様で撮れ高はバッチリだよ!明日も頼むね!」
「若葉さん、それってあれだろ?校内新聞用の写真がバッチリってことだよね?都大会の時は間に合わなかったけど、関東大会の新聞は、校内に張り出す前に俺にも見せてくれないか?」
「ん〜…じゃあ、どんな事書くか、構想だけ後で教えるよ」
蔵人の要望に、若葉さんは渋々頷く。
新聞は出来上がるまでに凄い労力が必要だし、手間もかかる。何より、新鮮度が命だ。
そんな中で、編集長以外の承認なんか待っていられないのだろう。
敏腕記者に対しては、そこが妥協点か。
蔵人は頷く。
「分かった。その方向でよろしく頼むよ。それで、2人とも将棋をやっているのかな?盤面は…鶴海さんが勝っているのですかね?」
蔵人は覗きながら聞いたが、盤面は随分と複雑だ。盤の中央で激戦が繰り広げられており、王と玉が直接対決を繰り広げている。
それでも鶴海さんが優勢と思ったのは、知的で落ち着き払っている鶴海さんの様子を見てそう思ったに過ぎない。
案の定、鶴海さんが苦笑いしながら首を振る。
「違うわ、これは将棋じゃないの。将棋の駒をファランクス選手に見立てて、如月中の動きを若ちゃんに聞いていた所よ」
鶴海さんの解説に、蔵人はなるほどと相槌を打った。
確かに、将棋にしては余りにも歪すぎる陣形だ。だが、ファランクスと思えば納得できる。
納得は出来るが、
「ええっと、2人はなぜここで策を練っているんです?ここだと他校の、特に如月に聞かれるかも知れませんよ?」
先程も、如月中と思われる集団がエレベーターに乗っていく姿が見られた。
そんな蔵人の問いに、鶴海さんが頷く。
「蔵人ちゃんの心配も当然ね。でも、今私達の部屋は使えないのよ。桃ちゃんと鈴華ちゃんが先輩達を呼んで、ボードゲームを広げてどんちゃん…遊んでいるから」
どんちゃん騒ぎをしてるのね。
蔵人が納得していると、若葉さんも口を開く。
「それに、もしも他の場所、例えば人気のない会議室とかで密談していたら、誰かに聞かれるかもしれないんだ。静かな分、私達の声が聞こえやすいからね。ここなら、雑音が多いから、近づかれなければ聞こえないし」
「ああ、なるほど。でも、そんな奴いるのかな?」
敵チームとはいえ、わざわざ1年生の会話を盗み聞きしにくる様な奴がいるかと、蔵人は疑問だった。
たまたまロビーで見かけた敵チームの会話を聞く方が、容易な気がしたのだ。
だが、若葉さんは人差し指を左右に振った。
「ちっちっち。蔵人君は甘いよ。なんたって、如月には音張さんがいるんだよ?彼女の情報収集能力は異常だよ。多分、彼女の異能力、エレキネシスで盗聴か何か出来るんだよ」
なるほど。電波か。
そんなことまで出来るものなのかと、蔵人は音張さんの異能力技術と、若葉さんをも警戒させる情報収集能力に戦慄を覚えた。
やはり彼女は、危険人物だと。
蔵人は、しばしばの間、若葉さんの解説と鶴海さんの戦略を聞いていた。
ファランクスのルールブックにも基本的な事は書いてあったが、鶴海さんが指す駒達は、まるで本当の軍隊の様に動いていた。
その中で、改めて気付かされるのは、桜城の攻撃パターンについて。
1つは、エースの美原先輩だ。
彼女が一点突破して、そこから前線を切り崩すやり方。
2つ目は、遠距離攻撃での攻略法。
前線の盾役で相手近距離部隊を足止めし、そこに後方から遠距離攻撃で削って攻め崩すやり方。
この2つが、桜城の主な攻撃方法であった。
でも、と、鶴海さんが飛車をポンと置く。
「今年からはもう一手、蔵人ちゃんがいるから、こういう攻め方が出来る」
鶴海さんが飛車を後方から一気に上げて、相手前衛の盾役を食い破る。
電撃強襲と言うらしい。
如月側の飛車と王将を、若葉さんが指さす。
「この攻め方は、紫電選手と音張選手も得意としていて、如月が良く使う戦法だから要注意だよ」
「そうね。如月はブリッツと前線の押し上げを併用した殲滅タイプの攻撃チームみたいだから、例えブリッツで前線を突破されなかったとしても、桜城前衛の陣形が崩れたらそこから一気に潰しに来るわ」
「だから、蔵人君の役割は大きいんだよ。美原先輩と同じくらいにね」
2人の解説に、蔵人は深く考え込む。
蔵人の相手は一流のCランクだ。
今まで相手してきたCランクのように、無双できる保証は全くない。蔵人の小手先の技術など、簡単に跳ね返されてしまうかもしれない。
そんな相手に、競り勝つだけではだめで、前線を維持して、相手のブリッツを完全に防御しなければならない。
もしも前線に穴を開けられでもしたら、紫電の電光石火でタッチを奪われてしまうからだ。
「なるほど。なかなかの大役だ」
13年間、あれやこれやと異能力の修行を積み重ねて来たが、果たして、何処まで通用するのか。
そう、自分に問うた蔵人だったが、答えは目の前から帰って来た。
「蔵人ちゃん、貴方なら大丈夫よ」
「そうだよ。美原先輩とあれだけ激闘を繰り広げた君なんだから、例えCランク王者と言っても、簡単には切り崩せないよ」
2人の言葉に、蔵人は顔を上げる。
彼女達の目は、とても力強く輝いていた。
「ああ。そうだね。ありがとう」
蔵人が少し頬を緩めて2人にお礼を言うと、2人に笑顔が広がる。
同時に、周りから吐息と言うのか、ため息の様なものが聞こえた。
そちらを見ると、幾つもの目、目、目がこちらを見ていた。
桜城の先輩方、如月や前橋、天隆や冨道の生徒までいる。
部屋の端には、ホテルの従業員も仕事ほっぽり出して、こちらをウットリと魅入っている。
なんだ?そんなに、この解説が素晴らしかったのか?
蔵人が若干引き気味で周りを見ていると、2人もそれに気付いた。
「あら、随分と注目されちゃっているわね」
「仕方ないよ。蔵人君がいるからね」
「うん?またしても俺なのか…」
蔵人の呆れ声に、さも当然の様に若葉さんが頷く。
「そりゃそうだよ。男子がこんな公の場で女子と会話していたら、誰でも珍しがるよ」
若葉さんの言葉に、蔵人は首を傾げる。
男子と女子が喋っているだけで珍しいものなのかと、久しぶりの特区事情を目の当たりにして。
そんな蔵人を見て、若葉さんは人差し指をピンッと立てて、更に詳しく解説する。
「良いかな?蔵人君。普通の男子は、たった1人で女子と、それも複数の女子と会話するなんて滅多にしないよ」
「そうね。学校の中であっても、男子は通常固まって行動するし、固まれる程男子がいない学校では、先生と一緒に行動する子が多いわね」
鶴海さんが思い出しながら、若葉さんに相槌を打つ。
それを受けて、若葉さんも思い出すように目を瞑る。
「そうそう。私が小学生だった時の修学旅行も、男子は基本別行動で、ホテルに着いたら真っ先に男子フロアに逃げちゃって、次の日の朝まで絶対降りて来なかったよ」
若葉さんが目を開けて、ピンッと立てた人差し指を蔵人に向ける。
「でも、蔵人君はこうしてここに居る。女子が多いこのフロアに。しかも、女子と会話していて、とても楽しそうにキャッキャウフフしているでしょ?」
「きゃ、キャッキャウフフなんて!私達、そんな事してないじゃない」
鶴海さんが少し赤くなってモジモジしているが、若葉さんは気にせず続けた。
「つまり、蔵人君が私達と会話したり、笑ったりしているのを、周りのみんなが羨ましがっているんだよ!」
「そうね。こんなシュチュエーション、恋愛ドラマや漫画の中しか御目にかかれないものね」
ドラマや漫画か。
蔵人は、周りの女性達の様子を見て、内心苦笑いする。
俺からしたら、女性の権力が増大して、特区なんて設置しているこの世界の方が御伽話なんだがね。
「なるほどね。端的に言うと、女子に抵抗感を示さない男子が珍しいって事か。特区の男性は内気だからね」
蔵人がまとめようとすると、若葉さんの指が再び蔵人を捉える。
「内気どころじゃないよ。男子は普通、女子を怖がって表にすら出てこないからね」
「それは仕方ないわ。だって男の子は私達みたいに、攻撃型の異能力じゃないもの。怖がって当然よ」
「うんうん。男子はか弱いからね。自分達よりも力がある女子の前になんて、なかなか出て来られないよ。私だって、Aランクの前に立ったりしたら、凄く緊張するもん」
なるほど。女子でも強者の前では委縮してしまうのか。
蔵人は頷き、若葉さんに同意を示す。
「俺も同じだよ。足立戦の時は、Aランクから逃げることを先ず考えてしまったからね」
あの時、足が前に出たのはサーミン先輩のお陰だ。天井を突破するためには進まねばならないと思い出せなかったら、今でも蔵人は前線より先に出ていなかったかもしれない。
そう思った蔵人に、鶴海さんは首を振る。
「それでも、貴方は立ち向かったわ。無理だって、周りが悲鳴を上げている中でも果敢に挑んで、そして勝ってしまった」
「凄いよね。どうやったら、あんなこと出来るようになるんだろう」
そう言って、2人が期待を込めた目で見てくるので、蔵人は少し恥ずかしくなった。
軽く手を振って、2人の視線を弱める。
「少し、慣れただけですよ」
蔵人がそう言うと、鶴海さんは少し上を見て、思案気に言葉を紡ぐ。
「慣れ、ね。それもあるかも知れないけれど、私は、蔵人ちゃんが人間として強いんだと思うわ」
「人間として、ですか?」
蔵人の問いに、鶴海さんが頷く。
「そうよ。蔵人ちゃんは心がとっても強いわ。美原先輩との決闘でも、圧倒的不利な状態で、怪我どころか命も危ないあの試合を前にしても、とても堂々と戦っていたじゃない」
鶴海さんの言葉に、蔵人は少し心が浮く。
それを押しとどめようと、笑って誤魔化す。
「いえいえ。あれは、鶴海さんが、みんながストーリーを考えてくれていたからで、それで少し気持ちも楽になっていたからですよ」
「そうかしら?私だったら、とてもあんなこと出来ないわ。例え相手が美原先輩じゃなくて、鈴華ちゃんだったとしても、対面で対峙したら、まともに立てるとも思えないわ」
それは…そうかもしれない。
蔵人は納得する。
だがそれも、決して蔵人の人間性が他の男子よりも優っている訳ではなく、ただ単に経験の差である。蔵人が上位者の前に立てるのは、それよりも遥かに凶悪な相手と対峙したことがあるからだ。
人間を超越した存在、それは英雄や勇者だったり、魔物や悪魔だったり、時には凶悪な龍だったり。
こんな奴らと戦っているうちに、恐怖という感情が薄れてしまったのかもしれない。
蔵人が考え込んでいると、鶴海さんが頬を掻きながら苦笑した。
「ごめんなさい。今の言葉は、その、失言だったわ」
「えっ?」
突然、鶴海さんが謝りだしたので、蔵人は内心焦った。
自分が機嫌を損ねていると勘違いさせてしまったのではと。
「い、いえ。全然、俺は怒ってなんていませんし、寧ろ、鶴海さんに認められたみたいで、嬉しかったです」
嘘ではない。
いつも理路騒然としていて、みんなをしっかりと見てくれている彼女に認められるのは、蔵人にとっても嬉しかった。
だが、鶴海さんは首を振った。
「大丈夫よ。蔵人ちゃんが怒ってないのは分かっているわ。そうじゃなくて、私が強い人の前に立てないって言ったことよ。私は、そんな事言っちゃいけない立場なのに」
鶴海さんの言葉に、蔵人は一時心の緊張した肩を下ろす。自分が気を使わせている訳じゃないと分かって。
だが、直ぐに気持ちを戻し、鶴海さんの言葉を否定する。
「鶴海さん、貴女は指揮官となるべき人です。筑波戦でも、前橋戦でもお見事な采配でした。そんなあなたが、無理に前線に出る必要を俺は感じません。指揮官が、頭が打たれたら戦争は出来ませんから。だから、貴女が強者の前に出る必要は無いと思いますよ」
蔵人の力説に、鶴海さんは薄っすらと微笑みを返す。
「ありがとう、蔵人ちゃん。私も、出来たらベンチから指示を出し続けたいわ。でも、それだけではダメな場面が必ず出てくるわ。今は、監督の補助として、部長から一部の指揮権を頂いているけど」
おっと、もうそんな立ち位置まで登られているのか。
蔵人は、目の前の女性に尊敬の色を送る。
それに、鶴海さんはやんわりと首を振る。
「でも、それは蔵人ちゃんが居るから出来る事なの。貴方はちゃんと指示を見てくれるし、耳もとても良いもの。でも、いざ他の人に指示を出そうとしたら、声が届かなかったり、指示を見てくれない可能性が高いわ。特に、前線にいる人達は目の前の相手に集中してしまっていて、ベンチからでは細かい指示がなかなか届かない。それは、大会の規模が大きくなれば大きくなるほどね。テレパスを入れられたらいいんだけど、そんな精密な送信が出来る人は、かなりの高ランクの男子になってしまうわ。現実的じゃない。現実的に言えば、監督の他に、細かい指示が出せる選手がフィールドにいることがベストなのよ」
なるほど。最前線で作戦を組み立てる軍師と、各兵に指示を飛ばして実際に兵を動かす100人隊長との違いか。
前者は軍全体の行動指針を指示し、戦争を組み立てる将軍。
後者は、実働部隊に受け攻めの細かく指示を飛ばす兵長。
兵長がいなければ、いかに天下の大軍師と謳われた諸葛孔明と言えど、一度の勝利も得ることはなかっただろう。
「部長が言うには、夏休み明けにも代理の顧問が来てくれるって話しみたい。そうしたら、私はベンチからではなく、フィールドから指示を出せる事が求められるわ。実際、全国大会では私を選手に登録したいって、部長から言われているの」
なんと、もうそんな話にまでなっているのか。
蔵人は内心驚くと同時に、目の前で真剣に悩んでいる女の子の心情が、少し分かった気がした。
鶴海さんが目を伏せて、続ける。
「でも、多分、今の私がフィールドに出ても、まともな指揮を取れるとは思えないわ。自分のことが精一杯で、周りを見る余裕もない。いえ、それどころか、みんなの足を引っ張っちゃうわ。多分、怖くてなんにも出来なくなっちゃう。そう、思うから」
その状況を頭の中で描いたのだろう。
鶴海さんが机の上に出した両手は、僅かながら震えていた。
蔵人は、何か言いしれない、強いて言うなら衝動という物が腹の底から突き上げて、咄嗟にその手に自身の手を重ねる。
「鶴海さん」
呼びかけながら、両手で彼女の小さな手を優しく包み込む。
「安心してください。俺達は盾役です。シールドは護るためにあります。貴女を、貴女達後衛を護ることが、俺達盾の役割です」
鶴海さんが顔を上げる。
「くらと、ちゃん?」
若干目に涙が溜まっていて、目と頬に若干の赤みが射している。
でも、手の震えは治まっていた。
蔵人は、ゆっくりと頷く。
「約束しましょう。貴女には指1本、触れさせやしません。俺が貴女を護ります。だから、俺の後ろで、俺達を導いて下さい」
少し冷たくなっていた彼女の手に、柔らかい暖かみが戻ってきた。
それと同時に、彼女の顔にも、柔らかな笑顔が戻ってきた。
「なんだか、愛の告白みたいね」
「えっ?あっ」
微笑んだ彼女の指摘に、今度は蔵人がドキッとする。
確かに、思い返せば物凄く臭いセリフだ。
そんな蔵人の様子に、鶴海さんはふふっと笑った。
「でも、ありがとね。とっても元気とやる気が出たわ」
鶴海さんのその一言で、焦っていた蔵人も心が落ち着いた。
言ってよかったと、そう思えた。
そんな蔵人達の横で、カシャリと音がする。
若葉さんだ。
「いや〜、まさかこんな所でゴシップネタが手に入るとは」
「しまった!」
一番ヤバい奴の存在を、一瞬でも忘れてしまった。
蔵人が鶴海さんの柔らかい手から両手を離し、若葉さんを捕まえようと手を伸ばすのと同時に、若葉さんが席を立った。
その顔には、敏腕記者の得意顔が浮かんでいた。
蔵人は、宙に迷った両手を漂わせながら、言葉を選ぶ。
「若葉さん、話をしよう。そいつを世に出されて困るのは、俺よりも鶴海さんだ。それは君も本意ではないだろう?取引の条件を、先ずは決めようじゃないか」
「条件?良いよ。じゃあ…そうだね…」
若葉さんは上を向いて考えながら、移動する。
次に彼女が口を開いたのは、ロビーのかなり入口。
いつの間にか人垣が出来ていて、興奮気味なギャラリーを背に、彼女は人差し指を口元に持ってきて、小悪魔的に笑った。
「じゃあ、先ず、私を捕まえてみてよ!」
そう言うが早いか、若葉さんは人垣へと走り出し、
「よっと!」
人垣の頭上を、まるでトランポリンでジャンプした様に、軽々と飛び越えて行った。
な、なんだと!?
蔵人は、そんな彼女の様子に驚愕し、しばしの間固まってしまった。
が、直ぐに気を取り直し、席を立つ。
「鶴海さん、すみません!また後で!」
「え、ええ。頑張ってね」
蔵人は鶴海さんの言葉を背に、人垣の手前にアクリル板を出して、彼女と同じく人垣を飛び越える。
飛び越える際、女の子達のキラキラとした熱視線を身体中に浴びるが、気にしていられない。
今は逃げたウサギを捕まえねばならないのだ。
「待てぃ!わかばー!逃がさんぞぉ!」
蔵人は、若葉さんを猛追した。
やはり、主人公はまだ、この世界の常識と言いますか、貞操観念に慣れていませんね。
「逆転世界だと、本人も認識しているのだがな」
頭で理解するだけではダメなのですね。感覚が慣れていないと言いますか。
「自身の価値についても、かなり下に見ているみたいだからな」
まだまだ、何かやらかしそうです…。




