ショボい滑り台と、工事現場みたいな公園
ゼルは間違いなく、全然知らないはずのクレアに対し、静かに言った。
「クレアさん、あなたの事はこのイヌから、よく聞かされていました……初対面の気がしないわ」
顔中血まみれ、掌と耳を止血がわりに火薬で焼かれたシンが、腫れ上がった目を向けた。
毛細血管が破れ、真っ赤になった目でゼルを凝視した後、思ったよりはっきりした声で言った。
「ゼル……?知らんぞ。お前誰だ」
そりゃそうだ。だが、ここで言いくるめられなければ、少女達を説得するのは無理だ。
私と林堂君が、パキスタン入りする際、念の為、クエッタに招集しておいた部隊に、私が下した命令の一つ。
『芝居の出来る少女を見つけろ。内容は、監禁された少女達を、ストックホルム症候群から解放する事。やり方は任せる。報酬は、パキスタン平均年収の2倍。リスクの説明は忘れるな』
アジズが、クエッタの演劇学校に連絡し、斡旋してもらったのがこの娘だ。簡単な面接の後、演劇学校には、不採用の詫びを入れ、彼女を個人的に雇った。
アジズの評価はこうだ。
「ガッツがあり、何より金を欲しがってます」
金銭欲は、雇う側としては一番信用できる。信条や、正義感が原動力の人間は、一貫していないので、些細なことで寝返る。
彼女が失敗したら、2番目の策は無効になる。
その場合、解放した少女達を置いて離脱する事になるが、私達の事を喋る可能性が高くなる。
アフガニスタン国境まで、車で3時間。
これだけ、殺したのが露見すれば、流石に非常線が引かれるだろう。
ゼルが、オプション・ギャラを手に入れられるかどうか、お手並拝見だ。
ゼルは、叫んだ。
「喋るな、犬!」
スマホを振りかぶると、流れるように踏みとどまり、サンダルを脱いで、シンの顔面でいい音をさせた。
丸まって顔を押さえるシンをスルー、ケンケンで、飛んで行ったサンダルを回収する。
飾りが取れたりしてないか、ためつすがめつし、念の為、シンのズボンで、靴の裏を拭って履くと、カッコよくチャドルを払った。
なんとも言えない、部屋の空気を無視、沈痛な面持ちで、クレアに歩み寄る。
「犬、確かにオマエは……知らないでしょうね。今の私を」
クレアが、褐色の顔に戸惑いを浮かべ、遠慮がちに言った。
「あの、私もあなたの事は……」
「いいの!何も言わないで」
そっと、クレアの肩に手を置くと、左手でスマホを高速スワイプしながら、しんみりと言った。
「……大切なのはこれからなんだから」
「……力業、キライじゃないッスよ」
ゼルはチラシを受け取った通行人を落としにかかる、英会話の勧誘レディの様な熱心さで畳み掛ける。彼女も必死なのだ。
「出身は、カッカサパークの傍だったかしら?あのショボい滑り台とシーソーがある、工事現場みたいな公園……ごめんなさい、それ、ライラだった。東の方?ミレニアムモール行ったことある?……そーそー、超キレイなんだよね!マックとか高いから食べられないけど、涼むのはタダだから、溜まり場になってるアソコ!」
ピクリと反応を示した、もう二人の少女を見逃さず、ガバッとそちらを向くと、スマホをかざした。
「あなた達も、仲間?ホラ、今こうなってる!あ、これ、友達と行ったときの写真」
ここからでも、バカっぽいポーズを取った集合写真が見えた。
恐る恐る、iPhoneを受け取った、これも褐色の少女が、画面を覗き込んだ。
クレアも、他の少女達もそれに倣う。
一人の少女が、震える声で呟いた。
「ここ、パパとママに連れて行ってもらったことある」
一番、年少らしい少女だ。
「ピザが……信じられないくらい、美味しかった」
ポロポロと涙をこぼし始める。
「ママ」
あとは声にならなかった。
「会えるよ」
腰をかがめ、視線を会わせたゼルが、優しく言った。
泣きぬれた顔を上げる少女。年相応の泣き顔。
「悪いやつはみんな死んだ。ハシムっていう、あなた達の内の、誰かをさらった奴らもみんな」
白い肌の二人が短く悲鳴をあげた。
この娘達が、きっとハシムに攫われたのだ。もっと念入りに殺しとくべきだった。
ゼルは本物の笑顔を見せ、優しい嘘をついた。
「私も体を汚された。でも」
iPhoneを、向かいからスワイプ。
「美味しいアイスも、キレイな服も、カッコイイアイドルのMTV、パパとママ、友達がまってくれてた」
言葉にあわせて写真を次々、流していく。
「だから、大丈夫。みんなで帰ろ?」
5人は一斉に泣き出した。
ゼルは、放心して、うわ言を呟く、クレアに向き直る。優しく抱きしめ、囁いた。
「クレア、この子達を躾けるのを手伝わされたんだね。私みたいに」
クレアが震え始める。
「私も、自分を責めたよ。自分が汚れただけじゃなく、自分を増やした事が許せないで……死のうとした」
クレアが悲鳴を上げた。自分を取り戻して……しまったのだ。
全員が身構えた。
最悪は拘束する。自殺を図る前に。
「でも、違った。悪いのは、普通に生きてた私を、地獄に落した奴だよ」
クレアの顔を掴み、ゼルはしっかりと覗き込み、断言した。
「悪いのはシンだ」
恐怖に歪んだ顔に、涙を浮かべた未来の大女優は微笑みかけた。
「……大丈夫、生きよ?」
頽れ、ごめんなさいと泣き叫ぶクレアを、ゼルはしっかりと受け止めた。





